ぼく、サーアイアイの洞察による『情動』とは・・
外からやってくるさまざまな『刺激』が『きっかけ』となり思い浮かんだ『過去』の『ドラマ』に『意識(思考・感情)』がとんでいってしまい『感情』が波立つことを『情動』といい・・
これにより『気分』や『体調』が悪くなり『平常・平静』を失い、目の前のことに集中できなくなり『今、ここ!!』を生きられなくなることを『情動』が引き起こされた状態にある・・
と考えていて、もうすこし違う表現をすると・・
『内なる世界』で『過去』の『ドラマ』のなかで生きているようになることであり、それはあたかも夢をみているときに『あたま』や『こころ』や『からだ』が反応して現実であるかのように感じるのと似ているんだ。
ここでつかわれている『過去』は『*過去世』も含む『過去』であり・・
『*過去世』とは『現世』に生まれる前に生きていた『過去の世』のことを言い『魂』は新しい体をもらって何度も生まれ変わっているんだ。
『今、ここ!!』とは『今にOK!!』をだし『過去』も『未来』もない今、この『場所(空間)』のこの『瞬間(時間)』に完全に集中していることをいうよ。
そして・・
『今を生きる』とは『今、ここ!!』にありながら・・
- 今、する必要があること
- 今、したいこと
- 今、自分にできることを・・
するということなんだ。
また・・
ここで『気』という言葉がでてきたときは『意識(思考・感情)』=『気(エネルギー)』の意味でつかわれていて・・
低い『周波数』の『気(エネルギー)』つまりは『ネガティブ(否定的)』な『意識(思考・感情)』を『負の気』としているよ。
〇ここに載せているすべての内容は、ぼく、サーアイアイが、自分のなかに深く入って、自分の中にある『影』を観察したことによる『体験』から得た『洞察』をもとにしているのであり、医学的根拠があるものではありません。
ぼくらのなかには『宇宙』の起源から今にいたるまでのさまざまな『命』の『記憶』が、気づくこともできない『無意識』のなかでずっ~と息づいていて・・
今までに『経験』したさまざまな『ドラマ』が、ぼくらのなかに流れているんだ。
そんな『過去』の『ドラマ』のなかで印象に残った・・
などの『五感』や・・
- ある季節、ある時刻・ある時間帯など(時間)
- 狭い所、広い所、高い所など(空間)
などの『時空』や・・
なんとなく感じる『気配』や『気(エネルギー)』などの『第六感』で感じること・・
これらすべてが『過去』の『ドラマ』のなかで『記憶』されているため、なにかを感じた途端、これらが『刺激=きっかけ(引き金・トリガー)』となって『過去』のある『ドラマ』が思い浮かんでしまうと(フラッシュバック・映像が映し出される・再生される)・・
『無意識』のうちに『自動的』にその『映像(描いている世界)』のなかで『考えていたこと(思考)』や『信じていたこと・思いこまされていたこと(信念)』や『誓ったこと(決意)』や『感じていたこと(感情)』がよみがえり・・
その『ドラマ』のなかでしていたこと(動作や行動)もよみがえってしまうんだ。
例えば下記の絵のように・・
ある『刺激』が『きっかけ(引き金・トリガー)』になって『B』という『こわいドラマ』が思い浮かんでしまうと・・
今、ここにある『意識(思考・感情)』は瞬時に『B』という『こわいドラマ』の『チャンネル』につながってしまい・・
今、目の前にある『現実』に『B』という『こわいドラマ』を映す『めがね(色づけ・フィルター)』がかけられ『内なる世界』であたかも『現実』であるかのように感じられ 『感情』が波立つことを『情動』といい・・
『あたま』と『こころ』は『グルグル』『モヤモヤ』して『からだ』は緊張が走り、あちこち痛くなったり『ズッシリ』重くなり『平常・平静』を失い『今、ここ!!』を生きられなくなってしまうことを『情動』が引き起こされた状態にあると、ぼくは考えているんだ。
こうして・・
『過去』の『ドラマ』に囚われたままになっていると・・
ある『刺激』によって『情動』が引き起こされる度に『気分』や『体調』が悪くなり『心身』や『言動』に影響が及んでしまうんだ。
『情動』について、もう少しわかりやすくお話しすると・・
1週間前にこころない言葉を言われ『こころ』が傷つき、そのときの『イヤな気分』が未だに残っていると・・
こころない言葉を言った人が来ていたブルーのTシャツと同じようなTシャツを見ただけで、または、その人から漂っていた『柔軟剤』のニオイがしただけで・・
1週間前の記憶がよみがえり『イヤな気分』が蒸し返され『イライラ』したり『ムカムカ』したり『ドキドキ』したりして『感情』が波立ち『情動』が引き起こされてしまうんだ。
また・・
小学生の頃、跳び箱に失敗して『痛いおもい』や『恥ずかしいおもい』や『悔しいおもい』をした『過去』があった場合、跳び箱を見ただけで、その時の『イヤな気分』がよみがえり、気持ちが沈んで元気がなくなったり『ドキドキ』したり、どこかが痛くなったりしてしまうんだ。
この例のどちらも目の前で何かをされたわけでも何かをしたわけでもないのに『内なる世界』で『過去』の『ドラマ』を再生し体験しているかのようになってしまい『平常・平静』でいられなくなったということなんだ。
そして・・
この例はどちらも思い出せる『イヤな過去』の『ドラマ』により『情動』が引き起こされているけれど・・
むしろ思い出せない『過去』の『ドラマ』による『情動』の方が多く・・
- 『バラの花の香り』が漂ってきたとき、たいての人は『いい気分』になれるけれど、人によってはなぜだか『悲しい気分』になって『体調』が悪くなってしまう人もいたり
- 高いところに行くと『ワクワク』する人もいれば、足が『ガタガタ』するほど『怖い気分』に襲われてしまう人もいるなど・・
同じ『出来事』であっても、人によって起きる『反応』が違うのは『過去』における体験が『ポジティブ』なものであったか『ネガティブ』なものであったかによるのであり・・
どうしてこのような『反応』が起きてくるの自分でもよくかわからない場合は、思い出せない『過去』による『情動』ということになるんだ。
さらに・・
ぼくら『生き物』は『植物』であれ『動物』であれ、きっと小さな『菌類』であれ『命』と『種の保存』に関わる『生存』と『子孫繁栄』において・・
『プラス』に感じることには『快』の『反応』が現われ『マイナス』に感じることには『不快』の『反応』が現われるような『本能』が備わっていて・・
『快』の感情として『気持ちのよさ』や『いい気分』や『安らぎ』や『しあわせ』や『よろこび』を感じられると体調もいい感じになれて『不快』の感情として『気持ち悪さ』や『イヤな気分』や『苦しみ』や『辛さ』や『心配』や『不安』を感じると体調も悪くなってしまうのは・・
『生き物』の『性(さが)』がなせる『情(じょう)』によるものであり、これらが『情動』と深く結びついていると感じるようになったんだ。
また・・
『情動』は『細胞レベル』でもなされているらしくて、ひとつひとつの『細胞』がさまざまな『刺激』により独自にさまざまなことを感じ考え、それにより『気分』や『体調』や『言動』にさまざまな影響が及んでしまうらしいんだ。
心臓移植した人などは、移植してくれた人と同じような『嗜好』になったり『性格』も変わったりすることがあるらしいんだけど『からだ』に残っている『記憶』がそのまま引継がれているということなんだ。
こんな『情動』について・・
ぼくは今まで全く気づくことができなかったんだけれど『暗闇』に入ってしまったことで『影』の存在に気づくようになってから・・
『無意識』のうちに『情動』が引き起こされると『影』に操られてしまうことがわかるようになったんだ(『暗闇』と『影』については、後ほど詳しくお話ししているよ)。
ただ・・
『魂』のもっとずっと深いところには『楽園』で暮らしていた『一心同体』だった『性(せい)』が切り離され『片割れ』どおしになってしまった『魂』の『欠け』による『こころの傷』がくすぶっていて・・
この『こころの傷』からわきあがる再び『ひとつ』になりたいという『情(じょう)』が『情動』の大元になっているとぼくは感じているんだ。(『ヘビ』から『真実の愛』を学ぶを参照してね)
なぜなら・・
もう何年も恋などしていなかったのに『暗闇』に入ってしまってからずっと『失恋』したときに感じる『こころ』にぽっかり『穴』が空いたような、なにかが欠けているような、なんともいえない『沈んだ気分』をずっとぬぐえずにいたからなんだ。
では・・
『暗闇』に入ってしまってからのことをお話しするね。
ぼくはあるときから、今まで思ったこともないような『思考(考え)』や感じたこともないような『感情(感じ方)』がわきあがるようになり、自分が自分でないような自分はどうにかなってしまったかのような『感覚』に襲われるようになり・・
今まで感じたこともないほど『性的』なことに『過敏』に反応するようになり『獣』のような自分が現われたことに驚きながら『感覚器官』も獣並みに敏感になり『フェロモンレベル』の『ニオイ』まで感じとるようになっていったんだ。
この頃は『性的』なことに関して『甘美』を感じている自分がいて、外から感じられる異性の『気(エネルギー)』に『ニヤニヤ』したり『ムラムラ』したりしてよろこんでいる自分に驚きながらもあきれていたんだ。
これ以降、自分がいかに『獣(動物)』であるかを思い知らされるようになっていくんだ。
すると・・
こんな『動物的な本能』を律する厳しすぎる『理性』が現われるようになり・・
今まで異性の身体について『性的』な目で見ている自分や逆に自分が『性的』な目で見られていることを特に感じたことはなかったんだけれど、急にこんな状態になってしまったことを許し難く感じ、自分にも異性にも激しい『怒り』と『嫌悪』がわきあがるようになり・・
『性』に関することに『過剰』に『イライラ』し、異性を汚らわしい存在としか思えなくなり、激しい敵対心がわきあがるようになってしまったんだ。
おまけに、今までなら絶対に好意をよせることがないような、むしろ避けていたタイプの異性に『気』をもっていかれるようになり、好きでもない人に惹かれてしまう自分に恐れをなしながら・・
当然、こんな自分に操られてしまったら『獣(動物)』のようになってしまうと感じていたので、異性とは距離をとるようになったんだ。
そうこうしているうちに、男女が一緒にいるところを見ただけで『無意識』のうちに『嫉妬』のようなものを感じている自分に気づくようになり・・
また・・
その逆に、自分が異性を惹きつけ同性に『嫉妬』されているような感じにもなって・・
自分の存在がまわりの人たちを『性的』に『コントロール』していると思い込こみ、これ以降、自分の『性』と『本能』に強い『恐怖』と『嫌悪』と『罪悪感』を抱くようになり『恋する気持ち』をもつことすら『罪悪感』を感じるようになってしまったんだ。
すると・・
『自意識』もどんどん『過剰』になっていき、外で起きていることが『異常』なまでに気になるようになり、自分の『気(エネルギー)』=『意識(思考・感情)』が知らぬ間に外に向いてしまうため、目の前のことに全く集中できなくなってしまったんだ。
こんな状態がすこしづつ強くなってくると『あたま』に浮かぶことが『現実』なのか、それとも『幻想』なのか、その境がわからなくなり・・
『あたま』のなかには『怖い映像』が浮かんできてしまうため、平穏に暮らしている日常が『恐怖』に満ちたものになっていったんだ。
こんな訳もわからないことになってしまったことに最初はただただ『混乱』するばかりで、どうしてこんなことになってしまったのか『パニック』になりそうだったけれど・・
今までなりを潜めていた自分の『影』が浮かび上がり『魂』がむきだしになってきたことに少しづつ気づくようになってきたんだ。
それというのも、ぼくは以前から『自分探し』をしていて『本当の自分』を生きたいとずっと思っていて『魂』のことにも『興味津々』に精神世界についてあれこれ知識を得ていたから・・
これはきっと『魂の暗夜』というものであり『無意識』のなかの『霊(精神)的)な世界』である『暗闇』に入ってしまったのだと感じるようになったんだ。
こうして・・
『霊(精神)的)な世界』で生きている『影』の自分に気づくようになったため『物質的な世界』で生きている『表』の自分と『影』の自分が混ざりあってしまい『現実』なのか『幻想』なのかの境がわからなくなってしまったんだ。
地球は『周波数』が高くなり地球と『同調』するようにぼくらの『周波数』も高くなり『感覚』の『感度』がよくなり『繊細』に『敏感』になってきていて・・
また『光』も大きく強くなってきたため『影』が濃く浮かび上がり『影』の存在に気づくようになってきたとぼくは考えているんだ。
実は『フェロモンレベル』の『ニオイ』まで感じられるようになった頃から・・
『宇宙』の起源から今にいたるまでの『地球』の『多種多様』な『生き物』たちの『進化』や人になってからのさまざまな『ドラマ』のなかで生きた『ありよう』や『意識(思考・感情)』が自分のなかに息づいていることを感じるようになり・・
『花や草木』『虫や動物』の気持ちもなんとなくわかるようになっていったんだ。
こんな『過去の記憶』のなかで生きている存在が『影』なのであり、ぼくらの『ご先祖さま』や『自分の過去世』や『自分の過去』の姿のすべてが『影』なのだということに気づいていくようになったんだ。
さらに・・
『暗闇』に入ってしまってから『負の気』の『ニオイ』や『負の気』を打ち消すような『化学物質』の『ニオイ』など、自然からかけ離れた『不純なエネルギー』を受けつけられなくなり、心身にひどく障るようになってしまったんだ。
『暗闇』のなかは『パンドラの箱』が開かれた世界のようであり『モンスター』と『ヘビ』が『魑魅魍魎』のごとくうずまいていて・・
『ヘビ』にしたがっている『モンスター』は『本能』による『弱さ』と『甘さ』にあらがいきれず『不平・不満』だらけで泣いていたり・・
『白ヘビ』にしたがっている『モンスター』は『理性』による『正しさ』と『厳しさ』をふりかざし『批判・叱責』だらけで怒っていて・・
互いの言い分を主張しあっては一歩も譲らず『本能』と『理性』が極端になり『0(ゼロ)か100(ヒャク)』かの激しい『葛藤』が起き・・
本当はもっと自分に『やさしく』なりたいのに必要以上に『厳しく』なってしまう自分や、本当は「したいことをしたい!!」のに「したいことをしてはダメ!!」という自分もいて・・
真ん中にいるぼくは『本当の自分』を生きたいと『アクセル』を踏んでいても両極にいる『モンスター』が『ブレーキ』をかけてしまうため『赤いハート』は引き裂かれ・・
何倍もの『エネルギー』を使っていながら一歩も前に進めず『体力の消耗』はすさまじく、心身はものすごい『苦痛』と『疲労』に見舞われるようになってしまったんだ。
このように『霊(精神)的)な世界』で起きていることであっても『現実』に起きているのと同じ『感覚』に見舞われてしまうため、心身に障(さわ)りがあることに気づくようになったんだ。
それに・・
自分の『意識(思考・感情)』が『ヘビ側』か『白ヘビ側』か、どちらかに少しでも傾いてしまったら『バランス』をくずし『闇』に突き落とされてしまいそうだったから・・
まるで『細い糸』の上を綱渡りしているかのような『恐怖』を感じていたよ。
ここで『ヘビ』と『白ヘビ』についてお話しすると・・
『ヘビ』と『白ヘビ』は、互いに寄り添いつながりあう『一心胴体』の『本性』であり・・
『ヘビ』は『生存』と『子孫繁栄』の『使命』をまっとうしようとする『性エネルギー』であり『からだ』の『欲求』にしたがい生きることに『快感』や『快楽』をもたらしてくれる『神様の使い』であり・・
一方『白ヘビ』は、清く美しく生きることで神様に近い存在になろうとする『性エネルギー』であり『こころ』の『要望』にしたがい生きることで『精神』を高め『安らぎ』や『よろこび』をもたらしてくれる『神様の使い』なんだ。
けれど・・
『本能』をたいせつにしたい『ヘビ』と『理性』もたいせつにしたい『白ヘビ』が『極端』になってしまっているということなんだ。
こうして・・
『暗闇』の奥のほうに入っていくにつれ、日に日に『あたま』の『靄(もや)』が濃くなり、目の前のことに『集中』できず『思考』も停止しているかのようになり『心身の不調と痛み』はどんどん強くなり生産的なことができなくなってしまったんだ。
こんなことになってしまった自分をこれからどうしていったらいいのか『恐怖』を感じながらも『冷静』になって考えるしかなく・・
その結果、ひとりで静かに『影』と向き合い『自然の力』に助けてもらいながら『自力』で『暗闇』から抜け出してやる・・と決めたんだ。
家族やまわりの人たちに心配をかけたくなかったし、なにより『ひとり』になることでじっくり起きていることを『観察』したかったからなんだ。
また・・
ぼくは自然のなかの『純粋なエネルギー』に身を置くと『ありのままの自分』を『無条件・無性の愛』で包み込んでもらえるため「水を得た魚のごとく」すっかり元気な自分をとりもどし『こころ』も『あたま』も『からだ』も整い安らげることがわかるようになったため・・
『自然の力』に助けてもらうことで医療は受けず『暗闇』から抜け出そう・・これはきっと、神様から『授けられた仕事』なんだと『直感的』に感じたからなんだ。
なにより『薬』で自分の『感覚』を麻痺させたくなかったしね。
だからといって、自然のなかで孤立していたのでは本当の意味で『暗闇』から抜け出すことにはならないから、普通の暮しをしながら『影』と向き合おうと決めたんだ。
ここからは『影』とはどんなものなのか、ぼくの『洞察』をもとにお話しするね。
『表』の自分というと人前で見せている自分であり・・
『影』の自分というと人前では見せていない姿の自分であり、プライベートな自分や人には知られたくない秘密の自分や自分でも「イヤだなぁ~」と感じる醜いところがある自分であったりして、自分でも自覚できる『影』と・・
自分では自覚できない『過去の記憶』のなかに存在している『影』があることに『暗闇』のなかで気づくようになり・・
そんな『影』のなかには『こころの傷』を負った『内なる傷ついた子ども』が存在しているんだ。
ところで・・
ぼくらが生きている世界では『光』があたればそこには必ず『影』ができ『物体』と『影』にはほどよい『距離』があるのが自然な『ありよう』なんだ。
けれど・・
今まで自覚できずにいた『影』の自分である『獣(動物的な自分)』や『悪(醜い自分)』や『獣や悪を律する厳しすぎる自分』が浮かび上がり『表』の自分とごちゃ混ぜなってしまったため、混乱するようになったんだけれど・・
『表』の自分にとってはこんな『影』の自分は絶対に許せない存在なため『影』に『×(バツ)』をつけては『否定』し、責めて責めて責めまくり排除することに必死になる日々が始まってしまったんだ。
けれど・・
『影』は自分の『本当の気持ち』や『辛さ』をわかってほしくて浮かび上がってきたのに『表』の自分が『影』の自分をわかろうともせず『×(バツ)』ばかりつけていることに怒り悲しみ・・
自分のことをわかってくれそうな人を探し求め外に飛び出し『モンスター』になってしまったんだ。
そんな『モンスター』の傍らにはいつも『ヘビ』がお供をしていて『モンスター』の気持ちをわかってくれそうな人へと導いているんだ。
このように・・
『影』が外に飛び出してしまうと『無意識』のうち「自分に気づいてよ~、わかってよ~」という『自意識』が外にもれ出てしまうため『地』に足がつかなくなり『こころ、ここにあらず』の状態になり目の前のことに『身』が入らない『気』が入らない感じになり集中できなくなってしまうんだ。
つまり・・
目のまえのことに『意識』を集中させたいのに『無意識』のうちに『自意識』が外にもれ出てしまうということなんだ。『自意識』については後ほどお話ししているよ。
すると・・
『影』なしになったところに、自分の『こころの傷』と同じような傷をもった他の人の『モンスター』と『ヘビ』がやってきて取憑かれてしまうんだ。
『泣いているモンスター』には頼られ肩や腰がズッシリ重くなり『怒っているモンスター』には攻撃されあちこち痛くなり・・
『モンスター』を背負っている『からだ』はよじれたりねじれたりして歪み『首』や『肩』や『背中』や『腰』や『おしり』や『足』に『コリ』や『しびれ』や『痛み』を感じるようになってしまうんだ。
こうして・・
自分ではないものが住みついている『異物感』と『違和感』に何とも言えない『気持ち悪さ』を感じながら『怒り』や『悲しみ』や『憎しみ』や『恨み』などの激しい『感情』がわきあがり・・
『ヘビ』からは『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』に関わる『恐怖』と『悪知恵』を吹き込まれ『本当の自分』を見失ってしまうような『罠』をしかけられるようになってしまったんだ。
この『恐怖』はなんともいえないものがあり『本当のもの・リアルなもの』がどんどんわからなくなっていき『混沌』としていることが当たり前になっていったんだ。
この状態をラジオにたとえると、きれいに聴こえていた音に外からやってくる『電波』による『雑音』が混ざってしまう感じと似ていて、実際に、ラジオに『雑音』が入ってきたり、パソコンやマウスの動きも乱れたりするんだ。
後に『モンスター』の『負の気』と『ヘビ』の『性エネルギー』には『周波数』があり『電波』みたいなものであることにも気づくようになっていったんだ。
このようにして他の人の『モンスター』の『負の気』と『ヘビ』の『性エネルギー』を感じると、同じような『こころの傷』を負っていた『過去』の『ドラマ』に、今、ここにある『意識(思考・感情)』は飛んでいってしまい・・
『感情』が波立ち『平常・平静』を失い目の前のことに集中できなくなることで『情動』が引き起こされていることがわかるようになったんだ。
そのたびに激しい『怒り』と『悲しみ』と『憎しみ』と『恨み』に襲われ、いかに『男性性と女性性の分離』による『こころの傷』が深く、また癒され難いものであるかを思い知らされるようになったんだ。
もともとのぼくらは『本来の本能』にしたがい『本来の姿』で生きることができれば『自立』して『自分らしく』生きることができるのに・・
『本来の本能』にしたがうことを『恥ずべきこと』とされ『本来の姿』の『本当の自分』を生きることに『自己卑下』を植えつけられ、厳しい『罰』があたえられたことにより・・
『本来の本能』は歪められ『ヘビ』と『白ヘビ』の『バランス』はくずされ『本当の自分』を生きることに『自己卑下』と『罪悪感』と『おそれ(恐怖)』を抱くようになってしまったんだ。
こうして・・
『本当の自分』を生きることを許されない『コントロールの世界』による愛のなかで生きるしかないようにさせられてきたため・・
『本当の自分』を生きられない『苦しみ』や『怒り』は強まるようになっていったんだ。
こんなことに気づくようになると・・
今まで感じたこともないぐらい人の目が気になるようになり、それと比例するように『ひとごと』として気にしなくてもいいことまで人のことが心配になったり気になったりして・・
誰かが『ただ、見ただけ・・』なのに、自分の『男性性』と『女性性』が『分離』して『バランス』がくずれているため・・
- 『男性性』が強いときは⇒Aのように、好かれていると思い込み『好意的』に受けとめたり
- 『女性性』が強いときは⇒Bのように、好かれていると思い込み勝手に『嫌悪』を感じ警戒して『敵対的』になったりして・・
どちらにしても『自意識』がとんでもなく『過剰』になってきてしまったんだ。
さらに、誰もいない家のなかにいるのにもかかわらず・・
- 誰かに見られている
- 自分の『影』のなかに潜む『獣』や『悪』を人に悟られてしまうのが怖い・・
などと思うようになり、どこかに監視カメラや盗聴器が隠されていないか気になりあちこち探してみたり、ひとりでいる部屋なのに『いい人』を演じなくてはならない気分になり、くつろげるはずの家が『針のむしろ』のようになってしまったんだ。
また・・
外に出れば人の『視線』や『ふるまい』が異常なまでに気になり、知らない人たちなのに自分とつなげてあれこれ考えてしまい、家に帰ってからもその人たちの顔や言動が『あたま』のなかに浮かび『グルグル』『ザワザワ』して『あたま』や『こころ』が休まらなくなってしまったんだ。
もちろん、これほどまでに『自意識』が『過剰』になり『無意識』のうちに外にもれ出てしまうことは初めだったけれど・・
『思春期』になって自分について考えるようになったり『恋』に興味・関心がわくようになったり、恋する相手や結婚相手を求めているときなどは『自意識』が『過剰』になってしまうのは自然なことなんだ。
けれど・・
不健全に『自意識』が『過剰』になる場合として・・
- 『愛』に満たされないおもいを抱えていて『愛』を補完してくれる人や癒してくれる人を強く求めているとき
- 自分を好きになれず『自信』がもてないけれど、好意をもってくれる人がいることで自分に『自信』を持とうとしているとき
- 「◇◇であらねばならぬ」「△△してはならぬ」など『抑圧・禁止』することばかりで『本当の自分』を生きられず、人に嫌われないよう顔色ばかりをうかがっているときなど・・
人に『依存』して生きようとしていると『自意識』が『過剰』になり、人の目ばかり気になったり、人に振りまわされたり、または自分が人を振りまわしたりして『生きずらさ』を感じるようになってしまうんだ。
それで・・
人に『依存』することをやめて、この『生きずらさ』から卒業したいと思っていても自分の『意思』ではどうすることもできず、同じことを繰り返したりもするものであり・・
事実、ぼくも嫌われたくなくて『無意識』のうちに人に好かれようとしていたり、人に頼ろうとする気持ちから人に好意をよせてしまう自分がいることに気づくと・・
こんな自分を許せなくなり自分を叱り飛ばし律しているのにもかかわらず『自意識』は相変わらず『過剰』なままで、もう自分の『意思』ではどうすることもできないことがよくわかるようになったんだ。
そもそも『自意識』は『楽園』で暮らしていた『完全なる魂』だったアダムとイブにはなかったものであり・・
『一心同体』であった『性(せい)』が切り離され互いの『性』を『意識』しはじめるようになったときから『自意識』が芽生えるようになり・・
『生存』と『子孫繁栄』の『生き物』としての使命をまっとうするために『食』と『性』の『本能の欲求』を満たそうと、互いに補完しあえる相手を求め『恋する気持ち』がわきあがるようになったんだ。
それに・・
人はもともと『ひとり』では生きていけないから人とつながりあって生きようとする『自意識』が出てくるのは自然なことであり・・
こんな『自意識』があるからこそ、素敵な自分になろうと自分磨きに励んだり、人と人がつながりあうことでお互いに生かされ『魂』は成長できるんだ。
けれど・・
困窮していたり、深い悲しみに見舞われていたり、『生きずらさ』を抱えていたり、何か満たされないおもいを抱えていたりすると「自分に気づいてほしい・愛してほしい・たいせつにしてほしい」という『愛』を求める気持ちが『過剰』になってしまい・・
または『愛』を求める気持ちがあるのに自分の気持ちに『ウソ』をついて、そんな素振りを見せないようにしていると『行き場』をなくした気持ちが『モンスター』になって外にもれ出してしまい・・
自分の『意識』はいつも外に向いてしまうため、目の前のことに集中できなくなってしまうんだ。
そうすると・・
『本当の自分』を生きることより、人からどう見られているかが異常に気になったり、あたりで起きていることや人のことばかりが気になり『イラだち』や『心配』や『不平』や『不満』が尽きなくなってしまうんだ。
かといって『自意識』が『過剰』になってしまう自分を恥じたり責めたりしないでいてほしいんだ。
そんなことをしてしまったら『自意識』はますます『過剰』になり、もっと外にもれ出てしまうからなんだ。
これはもう自分の『意思』でどうこうできるものではなく『影』を認め・許し・受けいれ、もともとの『男性性と女性性』のバランスを取りもどし『影』もある『まるごとの自分』を愛することで『魂』を『成長・進化』させることを神様が望まれているということなんだ。
けれど・・
『影』もある『まるごとの自分』を認め・許し・受けいれ・愛することは、とんでもなく難しく『影』に『×(バツ)』をつけ否定しては責めることを止められずにいると・・
『ヘビ』はすかさず似たような『こころの傷』をもった人と惹きあわせ『恋』におちるように仕向けてしまうんだ。
こうして・・
『恋』におちてしまうと『恋の病』にかかり『いい意味』でも『悪い意味』でも今までの自分とは違う自分になってしまい、人生が変わってしまうことがあるんだ。
ここでお互いに『本心』や『本音』を交わしあい『信頼関係』を築けるようになると、生活や仕事などにおいて互いに高めあい補いあえる『パートナー』になれるんだけれど・・
最初のうちは嫌われたくなくて『本性』を見せずにいても、そのうち馴合いになりお互いに『本性』が見えてくるようになると・・
自分の『影』の姿を相手に映して見るようになり、いがみあいが止まなくなったり、または嫌われることを怖れ相手の顔色をうかがい『本心』や『本音』を交わしあうことができなくなってしまうと『共依存』の関係におちいってしまうんだ。
すると・・
どちらも互いに足腰を弱め『自立』することができなくなってしまうんだ。
なので・・
そうなる前に『弱い自分』を克服し互いの『自立』のために『勇気』をだして『本心』や『本音』を交わしあい良い関係になれる努力をするか・・
それがうまくいかないのであれば、離れることがたいせつになるんだ。
こんな『恋』は突然やってきて『甘味』を味わい天国を見た後『苦味』におそわれ『地獄』につきおとされたようになり、自分でもどうしていいのかわからなくなるほど『苦悩』してしまうんだ。
ただ、ここで『恋』に真剣に向き合うと『真実の愛』を学ぶことができるのであり・・
自分の『影』の姿を『恋しい人』の姿をとおして見せられることで、自分の『影』と向き合えるように『ヘビ』をとおして神様がしてくださっているんだ。
なので・・
ここで『影』と向き合い『影』の『素晴らしさ』と『強さ』を『信じ見守る』ほどよい『距離』をとって・・
自分の『本当の望み』をかなえるために自分がしたいことをするようにしていると、互いに『生きる力』がひきだされ『自立』に向っていけるようになるんだ。
けれど・・
『不健全』な愛であるのにもかかわらず『共依存』の関係を続けていたり・・
またはそれ以前に『共依存』の関係になってしまうことを怖れ『恋する気持ち』を『抑圧・禁止』していると・・
これらによる『ストレス』をなにかで埋めずにはいられなくなり『甘い』ものや『やさしい』ものにすがったり『嗜好』や『娯楽』で紛らわせたり、または『仕事』に没頭するなどして・・
自分の『本当の気持ち』をごまかしてばかりで、これらに『依存』するようになると、ますます『不健全』な状態におちいってしまうんだ。
いずれにしても『影』は『表』の自分と『ひとつづき』につながっていて離れることができないものなのに、そんな『影』を認め・許し・受けいれ・愛するどころか『✖(バツ)』をつけて否定していると・・
なぜか『気になってしまう人(好意をよせてしまう人、またはひっかかりがある人)』が目の前に現われ・・
その人のことを好きになってしまうか、または、ひどく嫌いになってしまうかのどちらかになり・・
その人のことが『あたま』から離れなくなり『グルグル・モヤモヤ』したり『イライラ』するため、目の前のことに『集中』できなくなってしまうんだ。
もし・・
だれかと関わった際に『気になってしまう』ことがあって、自分の『ありよう』や『言葉』をついつい振り返っては・・
- 「なんか悪いことでもしたかなぁ~」とか「あれでよかったのかなぁ~」と考えてしまったり
- 自分とその人の関係において『上・下』とか『優・劣』を判断してしまったり
- 次に会うのが少し「イヤなだなぁ~」と感じたり・・
することがある場合は、その人をとおして・・
自分がされたら『イヤだなぁ~』と思うことや『そうありたくない』と思う姿を見せてもらっているのであり『影』の自分が映し出されているということなんだ。
また・・
自分とは『真逆な姿』に見える人の場合でも『影』のなかにそのような自分がいるのを許せず『抑圧・禁止』していることに気づかせてくれているんだ。
ただ、ここで・・
『影』の姿を見せてくれている人を嫌ったり、避けたり、見ないようにしていると『いがみあい』や『無視』のような『不健全』な関わりは止まず、別の人に出会っても同じような関わりになってしまい・・
『影』の姿を見せてくれている人の『ご機嫌』をとろうとしていると『影』に操られ『共依存』の関わりになってしまうため・・
『良い関係』を築いていきたいのなら『勇気』をだして『本心』や『本音』を伝え相手と向き合うことがたいせつになるんだ。
こうして・・
相手が向き合ってくれれば、話す機会を増やすごとに『信頼関係』が増し『良い関係』を築いていけるようになるんだけれど・・
相手が向き合ってくれなかったり、一向に歩み寄る気持ちがないのであれば、きっぱり離れることがたいせつになるんだ。
とはいえ・・
『共依存』の関係になってしまう人というのは『恋人』や『夫婦』や『家族』や『恩義のあるような人』であったりするため『未練』や『執着』や『心配』や『罪悪感』がわきあがり離れることを決め実行するのは難しく・・
たとえ離れることを決めても離れられなくなるような『事態』が起きてくることもあり、これらの『葛藤』を乗り越え『スッキリ』きっぱり離れるのは辛く難しいことになってしまうんだ。
けれど・・
『勇気』をだし『未練』や『執着』や『心配』や『罪悪感』をぬぐい去り、離れることがとてもたいせつになるんだ。
ここまでは、目に見える世界で自分の『影』に『✖(バツ)』をつけて否定していると、目の前には自分の『影』の姿を見せてくれる人が現われるお話しをしたけれど・・
目に見えない世界でも同じようなことが起きているんだ。
それというのは、上記の『絵:A』のように自分にくっついて離れない『モンスター』が自分の『影』の姿を知らせてくれているのであり「いい加減、目を覚まして気づけよ~」と訴えてくれているんだ。
つまり・・
自分の『影』の姿を自分の『目』では見ることはできないから、自分のまわりにいる人や浮遊している『モンスター』をとおして気づくように『ヘビ』が導いてくれているのであり・・
『周波数』が高くなってきた『新しい世界』では『影』もある『まるごとの自分』である『本来の姿』の『本当の自分』を愛することができないと『生ずらさ』がつのるばかりで生きることがキツくなってしまうということであり・・
『自分らしく』生きられるよう神様が促しているということなんだ。
とはいえ・・
いざ『獣』や『悪』や『醜さ』や『弱さ』や『異常なまでの厳しさ』をもった『影』の自分がどんどん浮かび上がり自分でも信じられないような姿をした『影』に出会うと・・
そんな『影』に恐れをなし『影』を認め許してしまったら自分をのっとられてしまう『恐怖』に襲われ、とてもじゃないけれど『影』もある『まるごとの自分』を愛することなどできなくなってしまい・・
『影』に『✖(バツ)』をつけては、攻撃したり逃げまわったりすることに必死になるばかりで『苦痛』や『息苦しさ』はどんどん強くなっていったんだ。
『モンスター』と『ヘビ』により『情動』が引き起こされていることがわかるようになりしばらくすると『情動』をより強く感じる『時間帯』や『状況』もだんだんわかるようになってきて・・
人といるときより一人でいるときに『没頭』しきれていない『無意識』の状態になりがちのときに『情動』が引き起こされやすくなることがわかるようになってきたんだ。
特に『情動』を強く感じるのは・・
- 夕食の『ニオイ』がするころや夕食の支度をしているとき
- 自分が『したいこと』をして頑張ろうとしているときや読書や音楽や映像などを楽しみ『リラックス』しようとしているときやおいしいものを食べ『しあわせな気分』でいようとしているとき
- 好きな人を思い浮かべ『いい気分』になろうとしているときに自分の『影』の姿を見せてくれている人が『あたま』にちらつき離れなくなる
さらに・・
『情動』を一番強く感じるのは、眠りに就こうとしているときや夜中の1~3時半ごろの『陰の気』が強くなるころ、みぞおち近くの胸のあたりの痛みと、ものすごい『気持ち悪さ』で寝ていられなくなり『質のいい睡眠』が得られなくなってしまったんだ。
こうして・・
『いい気分』や『しあわせな気分』や『リラックス』しようとしていると、ものすごく『気分』が悪くなり『エネルギー』が消耗されてしまうため、あたかも『モンスター』に『邪魔』されているかのようになってしまったんだ。
また・・
この頃には『モンスター』を微かな『空気のゆらぎ』として感じるようになり『モンスター』の『負の気』を眉間のあたりで『キャッチ』していることもわかるようになったんだ。
下の絵は、地球の『周波数』が高くなり『光』も大きく強くなってきたことで『モンスター』が飛び出しやすくなってきたことと『無意識』になりやすい夜などに『モンスター』が飛び出しやすくなっていることを現わしているよ。
とにかく・・
『暗闇』に入ってしまってからは『意識(思考・感情)』が混濁し自分が自分でなくなってしまったかのようになり『地』に足がついてない『現実味のない世界』で生きているような感じになってしまったんだ。
さらに・・
もう少しすると『モンスター』には『ニオイ』があることにも気づくようになり・・
自分自身のニオイも服や身につけているものまで他の人の『モンスター』と同じになってしまい『鼻』は『モンスター』の『ニオイ』に占領されてしまうため『本来のニオイ』がわからなくなってしまったんだ。
こうして・・
ますます『本当のこと』がよくわからなくなってしまった世界で『心身の不調と痛み』を耐えるだけの漫然とした時を過ごすしかないようになっていったんだ。
なので・・
『あたま』と『鼻』が元どおりになればどれだけ楽になれるだろう・・と、ずっとおもっていたよ。
こうして・・
朝、目が覚めると「今日もまた地獄のような1日が始まる・・」と、なんとも言えない『暗い気分』に襲われ・・
さまざまな『モンスター』の『ニオイ』が漂う『肥だめ』のような『暗闇』のなかで、朝から晩まで『激しい感情』が荒れ狂う『情緒不安定』と『心身の不調と痛み』をただただ歯を食いしばって耐えるしかなく・・
生産的なことができないことへの『罪悪感』と『焦り』に押しつぶされそうになりながら、その一方では時間が無駄に過ぎていくことを望んでいるような不思議な感覚にもなり、なんとか1日が終わることだけを望むようになったことで・・
夕方近くになると「今日もなんとか終わりを迎えらる・・」と『ホッと』してしまう自分にあきれながら、寝る前と就寝中にものすごい『気持ち悪さ』とあちこちの『強い痛み』を耐えることで朝を迎える日々を過ごすしかなかったんだ。
こうして・・
『ニオイ』がわからなくなったため、当然、味もわからなくなり、何を食べてもスッキリとおいしく感じられず食欲がなくなり、急激にやせ『ガリガリ』になってしまったんだ。
けれど・・
そのおかげで「なんとか生きねば!!」という『生命力』や『免疫力』が活性化されたようで、さまざまな『未病(健康診断では問題なくても不調がある状態)』に打ち克つことができたのはこんな『自然の力』だったことに感謝したほどだよ。
食欲はなかったのにチョコレートや甘い物だけは強く欲するようになり、これらを食べると多少、元気がでてきたため、チョコレートが薬や媚薬として使われていたことや『ウツ』に効くことに納得しながら『甘いもの』で自分を慰めていたよ。
とにかく・・
『闇』にのみこまれず自分のありようを『観察』しながら『生きること』だけで『精一杯』になっていたから・・
少しでも自分を慰めてくれそうな『ドラマ』を観たり、もともと『食いしん坊』だったため、おいしい物が載っている本や雑誌を眺めたりすることで日々をなんとかしのいでいたんだけれど・・
自分の『意思』など、まったくきかなくなった『あたま』と『からだ』をどうすることもできなくなったことへの『虚しさ』に始終、さいなまれ・・
これほどまでに『生きること』に『苦痛』を感じたことはなかったよ。
きっと、端から見たら「仕事もしないでなにをしているのだろう?」と思われていただろうけれど・・
自分を壊さず腐らせず『観察』しながら生きることがどれほど生産的なことであったかが、今になってようやくわかるようになり「よくやっていた、よくやり遂げた」と言ってあげられるようになったんだ。
なので・・
ひきこもっている人たちが部屋のなかでお菓子を食べながらゲームに明け暮れたり、好きなものに『没頭』しているのは、なんとか自分を壊さず生かしてあげるために必死になっていることがとてもよくわかるようになったのと同時に・・
こんな状態であっても、まわりの人が心配していることや望んでいることを実は、当の本人が一番、よくわかっていて、こんな自分を自分が一番、情けなく許せなく思いながら、なんとかしたいのに思うようにいかないことへの『苦悩』がよくわかるようになったんだ。
さらに・・
自分ではどうにもできないことがあると、伝えたいことがあっても言葉がうまくでてこなくなり『辛い気持ち』をわかってほしいはずなのにむしろ心配をかけたくない迷惑をかけたくないという気持ちの方が勝り平気な振りをしてしまい・・
こうやって自分を追いつめてしまうと『危険なこと』になってしまうこともよくわかるようになったんだ。
それと・・
老人たちが、体が不自由になりあちこちの痛みを耐えながら人のお世話になることの『辛さ』と『申し訳なさ』がとてもよくわかるようになったため『ピンピンコロリ』を願う気持ちや「早くお迎えに来てもらいたい・・」などとつぶやく気持ちもよくわかるようになったんだ。
ぼくは『暗闇』のなかで、ある種の『地獄』を味わったおかげで、今まで理解できなかった人たちの『苦悩』や『苦痛』を実感としてわかるようになり『生きている』ことがどれほどたいへんなことであるかを身をもって知ったんだ。
ここからは『暗闇』のなかに入ってしまってからの『心身の変調』についてお話しするね。
簡単にいうと、今まで『無意識』に引き起こされていた『情動』を強く感じるようになったということであり、目の前にいない人の『負の気』を感じては『過去』の『ドラマ』が再生され・・
激しい『怒り』や『悲しみ』や『憎しみ』や『恨み』があふれでてきて『醜い思考』と『攻撃的な思考』が『あたま』のなかで『グルグル・モヤモヤ』して『イライラ』するようになり・・
『無意識』のなかで不安や危険を感じ、おびえていたり、抵抗していたり、闘っていたり、逃げていたり、じっと我慢していたりして『からだ』は緊張して、急に熱くなったり汗が吹き出てきたり、体のどこかがよじれたり痛くなったり、心臓が『ドキドキ』『バクバク』したりして・・
眉間にシワがよりしかめっ面になったり、困り顔になったり、自分を取り繕っているような変な顔になったりして・・
『自律神経』や『ホルモン』のバランスが乱れていることが日常になり『こころ』も『からだ』も『モヤモヤ』し、今まで感じたこともないような『気分の悪さ』とあちこちの『コリ』や『痛み』や『しびれ』に襲われるようになり『平常・平静』でいられなくなってしまったんだ。
そのため、毎日わきあがる『ネガティブ』な『感情』のやり場をどうしたらいいか『はけ口』を探す日々が始まり、自分なりに『発散』する方法をあれこれ試してみるものの激しい『感情』はそう簡単にしずまることはなく・・
『ザワザワ・イライラ』したまま、なにかに『集中』しようとしていても1時間ほどすると『あたま』が『グチャグチャ』してきて考えがまとまらなくなり、ぐったりしてしまうので・・
横になってしばらく眠ることを日に何度も繰り返すようになってしまったんだ。
人目があるところでは『情動』があまり引き起こされないためこのように眠くなってしまうことはなかったけれど、その後、一人になるとぐったりして『ヘトヘト』になっていたよ。
朝は目が覚めても気力や体力がなくなっていたので、すぐに床から出られずひきずり出るようにして起き上がっても、ゴミ出しやおそうじなど日常生活の小さなことがものすごく億劫になってしまい、気合いをいれなくてはできなくなってしまったんだ。
こうして・・
『安らぎ』を得られない『情緒不安定』と『心身の不調と痛み』により、多大な『ストレス』と『疲労』が当たり前になってしまったんだ。
また・・
なんともいえない『不快感』と『鈍い痛み』を『おなか』で感じるようになり、ドブのようなニオイがする黒いドロドロの便になりながら『下痢』や『便秘』を繰り返し、ズッシリした『重さ』を『おなか』に感じるようになってしまったんだ。
このような状態をぼくは以下のように感じているんだけれど・・
『情動』が引き起こされたことで『悪玉菌』が暴れ出し『おなか』のなかで『毒ガス』が発生して『腸内環境』が乱れることで、このような不調が現われたのであり・・
後にこの『毒ガス』がこみあげ肺を『モヤモヤ』させ『喉』や『鼻』の粘膜まで『ヒリヒリ』させるようになったんだ。
最初は、黒いドロドロの便から徐々に色も普通な感じになってきたものの『おなか』の『重さ』と『不快感』はずっと続き夜中や明け方に『鈍い痛み』を感じて目が覚めることはずっと続いていたよ。
とにかく・・
ひとりでいるときには、なんとも言えない『気持ち悪さ』と『心身の不調と痛み』にずっと悩まされてきたから、心身が健やかで安らかであることがどれほど『しあわせ』なことであるかを思い知らされるようになったんだ。
こんな『変調』をきたしながら・・
自分のなかに入ってくる『モンスター』によって『過去』の『ドラマ』につながる『チャンネル』が変わるため『思考』も『感情』も変わり、自分でも信じられないような『人格』が現われるたびに『心身の不調や痛み』も変わるため『不定愁訴』のようになりながら、病気の一歩手前のさまざまな『未病』を垣間見ていたよ。
では・・
具体的にどんなふうになっていたかをあげることにするね。
『人格』については・・
- 敵対心のある『モンスター』が入ってくると⇒身構えたり・闘おうとしたり・身をすくめたり・逃げようとしたり・じっと耐えたりするような『緊張状態』になり『イライラ』したり『ムカムカ』したり『ドキドキ』しては攻撃的になっていた
- 異性を敵対視している『モンスター』が入ってくると⇒異性を無視したり冷たい態度をとってしまうのに、その裏腹な気持ちとして好かれたい愛されたいと思ってしまう『あまのじゃく』になっていた
- 人を『上下』で判断する『モンスター』が入ってくると⇒『優越感』を感じ尊大な『何様な自分』になったり、または『劣等感』を感じ自分を卑下しては「どうせ、自分なんか・・」などと思い『くやしい気持ち』になっていた
- 人の姿をうらやましく感じる『モンスター』が入ってくると⇒嫉妬することが増え、嫉妬している人のことを訳もなく毛嫌いしていた
- 『善悪の判断』が厳しい『モンスター』が入ってくると⇒人に対しても自分に対しても厳しい判断をしては『批難』や『批判』ばかりするイヤな人になってしまったり、必要以上に『罪悪感』にさいなまれるようになっていた
- 「しあわせになってはいけない」と思い込んでいる『モンスター』が入ってくると⇒必要以上に『遠慮』や『申し訳なさ』や『恐縮』する気持ちが強くなり『やさしさ』や『親切』や『贈り物』などを素直に受けとれなくなったり、困っていても助けを求められなくなったり、言いたいことも言えなくなり、臆病で弱い自分になってしまったり、人の『やさしさ』の裏にはなにかあるかもしれないと勘ぐる卑屈な自分になっていた
- 『オドオド』している『モンスター』が入ってくると⇒なにをしていても怒られそうな気がして、静かにおとなしくしていなくてはならないと思い込み、自分の存在を打ち消すようになっていた
- 『清貧』を理想としている『モンスター』が入ってくると⇒富や名誉を求めることは悪しきこととして、服装や身なりも質素になり『我欲』に嫌悪を抱き『恋愛』することも禁じ『異性』を避けるような『偏った考え』をもつようになった・・
このような多様な『人格』が『影』のなかに存在していたことに驚かされながらも・・
なにかが『きっかけ』となり『表』の自分の『たが(抑制)』がはずれてしまうと、これら『影』の存在が『表』に出てきてしまう人もいるのだろうと感じていたよ。
お酒を飲むと『人格』が変わる人や、危機的な状況になったり、強い恨みをもった人に出会ったりすると『豹変』してしまうのは、その例なのだろうと感じていたよ。
また・・
- 自分の『影』と似たような人と出会ったときにはなぜか『ニヤニヤ』してしまったり
- 『共依存』の関係にある人と離れたいほどの怒りがこみあげ言い争っているのに、なぜか『ニヤニヤ』してしまい、憎んでいるのに離れたくない、または争っていることを別の『人格』がおもしろがっているような、なんとも言えない変な気分になったり
- 性的な強い『気(性エネルギー)』を感じたときは知らぬ間に『ムラムラ』していたり、または右の鼻から『鼻血』がでたり
- 今までなら、避けていた異性(派手でセクシーな感じの人)に惹かれてしまったりして・・
自分の『本当の気持ち』や『意思』とは無関係にこんな自分になってしまうことに『怒り』ながらも『性』にコントロールされてしまうと『愚か』になってしまう自分は、いかに『獣』であるかにも驚かされていたよ。
『気分』や『情緒』については・・
- 『性的』なことに『過敏』になり『獣(動物)』の本能が浮かび上がってきたことで自分の本能に恐怖を感じるようになった
- 異性に激しい嫌悪を感じているのに異性に惹かれてしまう裏腹な自分もいて、こんな矛盾した自分に嫌気がさすようになった
- 外からやってくる『負の気』によって、絶えず『感情』がかき乱されているため『イライラ』していることが日常になった
- 『過去』と『現在』と『未来』が渾然としている感じで『現実』と『幻想』の区別がつかなくなった
- 『自意識』が過剰になり人目が気になるだけでなく、自分の内面まで人に悟られているような感覚に襲われるようになった
- 予想や期待と少しでも違うことが起きると『こころ』がかき乱され『イライラ』怒りっぽくなったり『不安』に襲われ『ビクビク』したり、気分が沈みこんだりするようになった
- いつもと違うことが起きるとその後、とんでもなく怖ろしいことが起きそうな気がして深刻になりすぎるため、小さな異変におびえ『不安』や『心配』のために体調まで悪くなるようになった
- 唇をかみしめ耐えているため眉間にシワがより、穏やかな『表情』でいることが少なくなった
目の前ではなにも起きていない日常でありながら『ストレスフルな日々』になってしまった。
『身体』については・・
- 耳の奥に『キーン』とした『高周波音』が鳴り止まなくなり、これが普通になった
- 唇がたらこ唇のように腫れている感じで、歯に麻酔でもかけられているかのような『違和感』を感じるようになった
- 『モンスター』の『ニオイ』で鼻を占領されてしまうため『臭覚』も『味覚』も『本来のもの』がわからなくなり、食欲もなくなってきたため急激にやせ『ガリガリ』になった
- 『モンスター』の『ニオイ』とそれらの『ニオイ』を打ち消そうとする『化学物質』の『ニオイ』によって咳き込んだり『心身の不調と痛み』が強くなり、それらを最もキツく感じるのは『タバコ』になってしまい『生活の質』がとんでもなく損なわれるようになった
- 食べたいという意欲がなくお腹が空かなくなったため、食べなくても平気でいられるようになったが、栄養バランスを考えた食事をこころがけていた
- 強い『負の気』を感じると急激に強い腹痛に見舞われるものの、携帯用のカイロでお腹を温めると痛みが和らぐようになった
- 性的な『負の気』を感じると『性』に関る部位に違和感や不調を感じたり、時には『鼻』の奥で微かなラップ音のような音を感じるようになった
- 性的な強い『気(性エネルギー)』を感じると右の鼻から『鼻血』がでるようになった
- 手のひらが他の人の『モンスター』と同じ『ニオイ』になり『ヌラヌラ』するようになった(手を洗う時に感じる)
- 人の気配を感じたとき顔の前にクモの巣よりもっと微細な透明な糸のようなものを感じ皮膚が『ヒリヒリ』するようになった(アトピーにつながる?、その数年後にアトピーになってしまった)
- 片側の鼻の内側の奥に『おでき』ができ痛みがありながら『おでき』がない方だけでしか呼吸ができなくなり『おでき』が交互に現われるようになった(左右の呼吸により男性性と女性性のバランスをとろうとしている?)
- 急に眠気がおそってきたり、何かしているとすぐに疲れてしまい頻繁に横にならずにはいられなくなった(『エネルギー』の消耗が激しいのと興奮している『脳』を休ませるため?)
- 寝る前と就寝中にものすごい『気持ち悪さ』とあちこちの『強い痛み』を感じるようになった
- 『負の気』を感じると下まぶたがあがり目が閉じるような感じがしたり、耳に圧を感じるけれど『邪気』が抜けると耳の圧がなくなるようになった
今までも普通にあったことがより強く、または頻繁に感じられるようになったこととして・・
- 声がしゃがれる
- 咳やくしゃみがでたり、のどがイガイガする
- 目ヤニが出たり、目がかすんだり、目がかゆくなる
- まぶたや顔面が『ピクピク』し、けいれんしたようになる
- 物を落としたり、手元の注意が散漫になる
- 歯茎が痛くなったり、腫れたり、膿がでたり、あごのあたりが痛くなる(歯周病、口内炎、リンパが腫れる感じがするがポビドンヨード液でうがいをすると楽になる)
- 急に尿意をもよおすようになったり、大便の排泄後、肛門の閉まりが悪くなる(縄張り意識の名残?)
- ため息がでやすくなる(無意識に深呼吸することで脳の酸欠を防いでいる?)
- 髪の毛が乱れたり、髪の毛が首にくっつきやすくなる(内なる世界で取り乱している?)
けれど・・
こんなぼくを最も『苦悩』させていたのは『あたま』のなかでは『ネガティブ』なことばかりがうずまき『靄(もや)』がとれなかったことであり・・
許せなかったことや辛かったことばかりが浮かんでくる『過去』とそんな『過去』から連想される『不安』と『心配』と『不信』ばかりの『未来』に『イライラ』と『ビクビク』が止まず・・
恵まれていたのにも関わらず、楽しかったことやしあわせだったことはいっさい浮かばず、自分の人生は『ろくなものではなかった』としか思えず『夢』や『希望』を描くことはまったくできなくなってしまったんだ。
そして・・
こんなままならない自分に『焦り』がつきまとうばかりで、時間に追われる生活など送っていないのにもかかわらず、いつでも時間を気にして『セカセカ・ドキドキ』するようになり『ゆったりしよう!!』と言い聞かせても全く効果はなく・・
なにかに急かされている『恐怖』は『暗闇』から抜け出す少し前までぬぐえずにいたよ。
それに・・
少しでも普段と違うことが起きたりささいな心配事があったりすると、とんでもなくおそろしいことが起きてしまうと思い込み『ドキドキ』が止まらず、実際にトラブルが起きることも多く・・
すべてを『否定的・悲観的』にとらえてしまうため、平穏に過ごしている日常でありながらあらゆることにおびえ『ドキドキ』しては『ヘトヘト』になっていたよ。
でも・・
人前では明るく元気に振る舞っていたから、ぼくが『暗闇』のなかにいるとは誰も気づかなかっただろう。
明るく元気に見せることで『負の気』をよせつけないようにしていたというのもあるけれど・・
まわりの人たちに心配されたくなかったし、自分の辛さをうまく伝えられなくなってしまい、どうせ伝えたとしても本当の意味でわかってもらえないだろう・・というのが一番だったんだ。
このとき感じたのはあまりに窮地に立たされてしまうと『SOS』を出せなくなってしまうことやごく普通に過ごしているように見える人でも内面ではとんでもなく苦しんでいる人がいることがわかるようになったんだ。
ここで思ったのは・・
- 『SOS』を出せなくなってしまった人にまわりの人はどうしたら気づけるだろうか?
- 「なんで、こんなことになってしまったのか・・」という前に『SOS』を出せるようになるには、どうあればいいのか?
などを考えさせられることになったよ。
『情動』を引き起こす『刺激』として、一番最初に感じたのは人が発する『音』だったんだ。
そのなかでも車が停止しているエンジン音や作業をしているときに発する音が勘に障(さわ)り『イライラ』し、異性の声には『嫌悪』と性的に惹かれてしまう感じが入り混ざり耳をふさぎたいほどだったよ。
そのうち人に見られているような『気配』に『イライラ』するようになり、やがて目には見えない人が発する『負の気』による『ニオイ』つまり『モンスター』の『ニオイ』を感じると『ネガティブ』な『感情』がわきあがるようになり『心身の不調や痛み』も感じるようになってしまったんだ。
『坊主、憎けりゃ、袈裟(けさ)まで憎い』という『ことわざ』があるように、坊主が憎いというだけで身につけている『袈裟』を見ただけで『気分』が悪くなり憎んでしまうのがぼくらの『感情』だったりもするんだけれど・・
『暗闇』に入ってしまってから『影』を憎く感じていたぼくにとっては、自分の『影』の姿を教えてくれている『モンスター』の『ニオイ』まで憎くなり『拒絶反応』を示すようになってしまったんだ。
ぼくらの『原始』のご先祖様は『目』や『耳』や『あたま』がないころ、呼吸をする『皮膚(肌)』または『鼻』の『感覚器官』だけで『生存』と『子孫繁栄』に関わる情報を得ながら『危険』も察知していたのであり・・
肌がゾワっとするイヤな『気配(気)』やただならぬ『ニオイ』を感じるとそにこから早く離れようとするのは『気配』や『ニオイ』から『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』に関わる情報を得ているからなのであり・・
こんなことを『暗闇』にはいったことで強く感じるようになったんだ。
『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』に関わる情報を『ニオイ』から得ていることとして・・
香りのするものをまったくつけていない状態で『いいニオイ』だと感じる人に『快感』を覚えるのは『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』にとって有利になる相手であることを『遺伝子レベル』で嗅ぎ分けているからなのであり、そんな人とずっと一緒にいたいと思うのは・・
『凸と凹』のような真逆の性質をもっている相手でありながらも合わさったときにピッタリはまり息もあうため『リラックス』しながら『生活』も『仕事』も互いの足りないところを仲良く補い助けあうことができるからであり・・
ふたりが結ばれることで病気にかかりにくい優秀な子孫を残すこともできるからなんだ。
つまり・・
『いいニオイ』だと感じる人とは自然に一緒にいたいと思うようになり好きになることで互いが輝きあえる『最高のパートナー』になれるということなんだ。
互いに『いいニオイ』だと感じあえるふたりは、永い間、旅をしてきた『魂』の『片割れ』どおしともいえて・・
目に見える姿・形や条件などを超えた『魂』どうしで惹きあうことになり、ふたりの『魂』のレベルが同じ高さまで『成長』したとき、やっと出会うことができるのであり、再び『ひとつ』になることで『楽園』に還ることができるんだ。
その一方で・・
思春期の女の子が父親の『ニオイ』を臭いといって、避けたり急に冷たくなるのもまた『遺伝子レベル』でなされていることであり、似たような遺伝子をもっている者同士が『近親相姦』になることを避けるためなのであり・・
似たような『傷』をもっている(似たような遺伝子をもっている)者同士から生まれた『子孫』もまた同じような『病気』にかかりやすくなってしまうため『優秀な子孫』を残すために父親を避けるようになるんだ。
『イヤなニオイ』だと感じ『気分』が悪くなる人とは『不快』に感じるため自然に離れたくなるのは『優秀な子孫』を残すためになされていることなんだ。
けれど・・
『イヤなニオイ』を香水や柔軟剤などで消してしまうと、似たような『傷』をもっているがゆえに、最初は、強く惹きあい『恋』におちるようになるんだ。
なぜなら・・
似たような『傷』をもっている相手は自分の『影』の姿でもあるため、惹かれてしまうんだ。
けれど・・
馴合いになり互いに『本性』をだすようになると、上記でお話ししているとおり自分の『影』の姿を互いに相手に映すようになり『バトル』を繰り返すか『共依存』の関係におちいるか、いずれも『不健全』な関係になってしまうんだ。
こうしてみると『ニオイ』がいかに『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』に深く関わりがあるかわかるよね。
ぼくは、急に尿意をもよおすことがあるんだけど、こんなとき動物の本能である『縄張り意識』が働いていると感じていて、近くにいることで『争い』が起きないよう、ほどよい『距離』をとることを知らせているように感じるんだ。
いずれにしても・・
『ニオイ』によって『過去』の『イヤな場面』が浮かんでしまうと瞬時に『イヤな気分』がよみがえり、苦しくなったり、辛くなったり、悲しくなったり、寂しくなったりして『からだ』のどこかが痛くなって『古傷』が痛みだしてしまうけれど・・
ある『ニオイ』によって『懐かしい景色』や『愛しい人の姿』や『楽しかった場面』が浮かんでくると『いい気分』がよみがえり、和んだり、癒されたり、温かい気持ちになれたりして、涙することもあるぐらい・・
浮かび上がる『映像』によって『邪気』にも『癒し』にもなってしまう『ニオイ』について『暗闇』のなかでよくわかるようになったんだ。
『あたま』が発達し、社会ができあがり『権力』のある者がつくった『ルール』や『教え』によって『本来の本能』にしたがうことに『✖(バツ)』がつけられ・・
自然にわきあがる本当の『気持ち』や『要望』は『あたま』で抑えこむしかないようにさせられ『ありのままの姿』で生きることを許されず、生まれつきもっていた『男性性』と『女性性』の『バランス』はくずされ・・
楽しくできる仕事につくことも好きな人と恋することも『抑圧・禁止』された社会のなかでなんとか生き残るために・・
『からだ』や『こころ』が感じる『本能』や『直感』にしたがうより『あたま』にしたがったほうが『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』のために『有利』になるという『思考回路』ができあがってきたため・・
『本来の本能』は歪められ『直感』は封印せざるをえなくなり、自分にとって必要なものまで『排除』してきたことで、自然とつながっていたもともとの『からだ』や『こころ』の『システム』には狂いが生じ『免疫系』に支障をきたすようになったのだと、ぼくは感じているんだ。
このような『男性性優位』の社会によるさまざまな『差別』や『偏見』や『理不尽』や『不条理』のなかで『権力』を持たない者や武力が弱い女性たちは、自分のもっている『男性性』に『✖(バツ)』をつけられ『力』を奪われてきたため・・
悔しいおもいをしながらも歯を食いしばって生きざるをえず、そんな『辛い過去』が記憶のなかで今も息づいているため『男性性』が強い人が発する『ニオイ』を感じると・・
虐(しいた)げられたり、脅(おど)かされたり、我慢させられた『辛い過去』がよみがえり『情動』が引き起こされ『支配・服従』『恐怖・憎悪』『怒り・悲しみ』などの念がよみがえり、おびえたり、とっさに逃げようとしたり、闘おうとする『神経回路』ができあがり・・
これが繰り返されるうちに、この一連の流れが『DNA』に刻まれ『免疫が暴走』するようになり、そのため女性たちに『自己免疫疾患』が多いのかもしれないと感じているんだ。
さらに・・
『男性性』が強い人が発する『ニオイ』とは真逆な『女性性』が強い人が発する『ニオイ』を感じると、ぼくは、男女の間で繰りひろげられてきた『嫉妬』による『怒り』や『悲しみ』を感じ、心身が不調になってしまうことから・・
『男性性と女性性』の『バランス』の乱れがどれほど『ホルモン』や『自律神経』や『免疫系』に影響を及ぼしているかがよくわかるようになったんだ。
これらの『ニオイ』は『フェロモンレベル』で感じられるものであり、それぞれ『特有』な『ニオイ』がするんだ。
また・・
不潔にしていることで菌が繁殖して臭う『体臭』とは別に・・
- 獣のようなニオイ
- 糞尿のようなニオイ
- 肉や魚や油が腐ったようなニオイ
- ドブのようなニオイ
- 魚や醤油やなにかが焦げたようなニオイ
- カビ臭いニオイ
- 玉ねぎが腐ったようなニオイ
- リンゴが腐ったような甘いニオイ
- ガソリンのようなニオイ
- 火薬のようなニオイ
- なんらかの食べ物のニオイ・・
など『体臭』によってかかりやすくなる『病気』がわかるらしいんだけど・・
『体臭』は『ストレス』によるものであり、なんらかの『ネガティブ(否定的)』な『意識(思考・感情)』つまりは『負の気』によるものであり・・
さらに・・
この『ストレス』を紛らしたり発散しようとする不健康な生活習慣を繰り返していると、ますます『体臭』は強くなり『悪循環』になってしまうんだ。
ぼくは、上記のような『体臭』をすごく遠いところからでも感じることができ、これらは『モンスター』の『ニオイ』として感じられ『情動』が引き起こされては『精神』も『神経』も『肉体』も不調になり、さまざまな『未病』を経験してきたことから『体臭』によりかかりやすくなる『病気』がわかることもうなずけるようになったんだ。
また・・
『暗闇』に入ってしまってから、小さなことでも『心配』や『不安』や『不信』を感じると、すぐに『ドキドキ』して気分が滅入り『心身が不調』になりよく眠れなくなってしまったことからも『病は気から』ということも実感しているんだ。
『ニオイ』が『気』=『意識(思考・感情)』と関わりがあるのは、危険な香りがする、きな臭い、うさんくさい、同じニオイがする・・などの『言い回し』があることでもよくわかるよね。
ところで・・
『心情』や『感情』や『精神』を表わす『言葉』や『ことわざ』には『おなか』に関わるものがあるよね。
これらは『おなか』のなかに住んでいる『内なる傷ついた子ども』が外からやってくる『刺激』によって、わきあがってきた『感情』を表わしていると、ぼくは感じるんだ。
それというも・・
ぼくらの『おなか』のなかには『生命の起源』からのさまざまな『命』の『記憶』が宿っていて、多様な『思考』や『感情』や『性格』や『人格』をした『腹の虫』が住んでいて、この『腹の虫』が『腸内細菌』として・・
この世でいう善人⇒『善玉菌』や、悪人⇒『悪玉菌』や、普段はどちらでもないけど自分にとって不都合を感じるときだけ優性な方に流れる人⇒『日和見菌』がいると感じているからなんだ。
そして・・
外からやってくるさまざまな『刺激』によって『情動』が引き起こされると『悪玉菌』である『内なる傷ついた子ども』が『怒り』や『悲しみ』や『憎しみ』や『恨み』や『嫉妬』といった『感情』をわきあがらせ・・
これら『ネガティブ』な『感情』が『毒ガス』となり『腸内環境』が乱ることで上記でお話ししたような『おなか』の不調が現われ・・
さらに『毒ガス』が体を巡ってしまうことで『肺』が『モヤモヤ』し、そのうち『喉』や『鼻』まで『ヒリヒリ』するようになったのだと感じているんだ。
いずれにしても『情動』が引き起こされることで『臭覚』うすれ『味覚』もわからなくなり『おなか』は『ズッシリ』重く不調になり、そのうち『肺』が『モヤモヤ』して、さらには『喉』や『鼻』まで『ヒリヒリ』してしまうことから『風邪』の症状と似ている感じがし・・
さまざまな『未病』を経験したことから『風邪は万病の元』ということもわかるようになったんだ。
ぼくにとって『負の気』による『ニオイ』や『負の気』を打ち消すような『化学物質』の『ニオイ』が『邪気』として感じられ『心身の不調や痛み』のほかに『あたま』に『靄(もや)』がかかり『意識(思考・感情)』が混濁して、この世が薄暗く見えるようになったことから、これらの『ニオイ』は『ウイルス』みたいなものとして感じられるんだ。
以上のことから『情動』は『こころ⇒傷ついた魂』『あたま⇒ネガティブな思考』『おなか⇒ネガティブな感情』が連動して引き起こされていることがわかるようになったんだ。
ぼくが『邪気』として感じてしまう『ニオイ』には・・
- 体臭
- 体臭を消そうとする香水や柔軟剤
- 空間のニオイを消そうとする芳香剤
- タバコ(気配・ニオイとして、漂ってくるタバコのニオイ、物にしみついたタバコのニオイ、喫煙者の呼気など)
があり『体臭』の『負の気』や『化学物質』は、自然とかけ離れた『不純なエネルギー』として『拒絶反応』が起きてくるため、これらをダブルで感じることで、とてもキツくなってしまうんだ。
なかでも一番、キツいのが『タバコ』であり『タバコ』を感じる前にはなぜか『獣』のような糞尿のようなニオイがすることが多く、その後、瞬時にして『情動』が強く引き起こされてしまい・・
『暗闇』に入ってしまった最初のころは『うつ』のようになり寝込んでしまうほどで、とにかくぼくにとっては『生活の質』がとんでもなく落ちてしまうんだ。
とはいえ不思議なことにこれらの『ニオイ』を目の前の人が発しているぶんには、それほど気にならずにいられるんだ。
多分、目の前に人がいることでその人に『意識』が『集中』していることと、自分自身も『表』の自分になっていて『影』の自分が出るすきがないため『情動』が引き起こされにくくなっていて・・
『抑圧』しているものを『タバコ』でまぎらわそうとしていることも『ストレス』からくる『体臭』もわかってあげられるため『感情』が波立たないのだろうと感じているんだ。
『暗闇』に入ってしまってからは、『表』の自分が認知できない目には見えないことの方がキツく感じられるようになり・・
物体が存在する『物質的な世界』より、物体が存在しない『霊的(精神的)な世界』の方が、感じやすくなってきていて、これも地球の『周波数』が高くなっていることに同調しているのだと感じているんだ。
いずれにしもて『タバコ』によって『情動』が強く引き起こされ、さまざまな『未病』を経験してきたことから『タバコ』は万病を引き起こすものであることがよくわかるようになったんだ。
けれど・・
『タバコ』を吸う人たちの気持ちもよくわかるため、ぼくは美しい自然に囲まれた『空気』がおいしいところで暮らすことが『夢』になったんだ。
下記でもお話ししているとおり、自然の『良質なエネルギー』に満ちたところで暮らせたら『すべてがうまくいく!!』と感じているからなんだ。
とはいえすぐにそのような『環境』で暮らすことができないから・・
まずは『おなか』のなかにたまった『ネガティブ』な『感情』をとことん吐き出しスッキリさせてあげながら・・
『あたま』のなかにある『ネガティブ』な『思考』からくる『思い込み』や『思い癖』を見直し『ポジティブ』になれるような『思考』に変容し『感情』をなだめしずめ・・
同時に『悪玉菌』を減らすような自分なりの『自然な生き方』をして『腸内細菌』の『バランス』が整えられれば『情動』による心身の不調は軽減できるようになるだろうと考えているんだ。
実は『暗闇』のなかでは、こんなことにも気づくようになったんだ。
『情動』が強く引き起こされているときに、外からやってくる『意識(思考・感情)』=『気(エネルギー)』の『波(波動)』を感じ『足裏』や体の中心部が小刻みに震え『感電』しているかのようになったため・・
このとき、人体には『電気』が流れていることを感じるようになったんだ。
それもそのはず、この世に存在するものはすべて、目には見えないけれど小さな粒が『振動』していて『周波数』を発しているからなんだ。
この『意識(思考・感情)』=『気(エネルギー)』による『周波数』をぼくらは『テレビ』や『ラジオ』の『電波』のように『無意識』のうちに受発信し『干渉』しあっていて・・
起きている時も眠っている時も外からやってくるさまざまなものから発せられる『電波』により『情報』のやりとりがなされ『思考回路』や『神経回路』が作動し『こころ』や『あたま』や『からだ』に影響がおよぼされているため・・
たとえ就寝中であっても『情動』が引き起こされると『思考』も『感情』も休まらず『身体』に緊張が走り『心身の不調と痛み』により目が覚めてしまうんだ。
おまけにトイレにも行きたくなってしまうこともあり『質の良い睡眠』を得られなくなってしまうんだ。
それはちょうど、パソコンやスマホに特になにかが起きているように見えなくても『バックグラウンド(背景)』では、目には見えない『情報』のやりとりがなされ、常に影響が及ぼされているのと似ているんだ。
実は『情動』が引き起こされているとき、心身への影響以外にも起きてくる『現象』があることにも気づくようになり・・
- 聴いていたラジオに雑音がはいってきたり
- パソコンの動きが悪くなったり
- 電化製品の調子が悪くなったり、故障したり
- 小さな突風が吹いてきたり
- 外で鳥やカラスが大きな声で鳴いていたりバタバタしていたり
- 犬が吠えていたり、小さな子どもが泣いていたり
- 部屋のなかがミシミシ、ギシギシ、バリッといったり、小さなラップ音が壁から聞こえてきたり
- 小さな虫が飛んできたり、蚊もブンブンやってきて刺されやすくなったり
- ときには怪奇現象みたいなことも起きたりして・・
この世で起きるさまざな『現象』や『出来事』は、実はさまざまなものから発っせられている『エネルギー』による『周波数』が相互に関わりあって起きてくるのだろうと感じるようになったんだ。
いずれにしても、人体には『電気』が流れているため、自然ではない低い『周波数』を感じると『感電』しているかのようになり・・
『あたま』でノイズを感じ『こころ』は乱れ『からだ』は緊張し『違和感』や『痛み』や『しびれ』を感じることで『免疫系』にもなんらかの支障をきたしていると感じるんだ。
こうして・・
自分のなかの『気(エネルギー)』が乱れると『イライラする』『ビクビクする』『元気がなくなる』『運気も下がる』といった感じになってしまうんだ。
とはいえ、豊かな自然のなかや『パワースポット』などで『周波数』が高い『良質なエネルギー』を『五感』をフルに使って感じることができると・・
心身の乱れや不調が整い・体調がいい・気分がいい・体が軽い・元気がみなぎるといった感じになり『すべてがうまくいく!!』ように感じるんだ。
ただ・・
このような『良質なエネルギー』にずっと触れていられないため『情動』による心身の乱れから身を守り、たいせつな『エネルギー』がもれ出ることを防ぐためには『電化製品』のように『地面』にしっかり『接地』することがたいせつになるんだ。
ちなみに『接地』は『アース』という意味で英語にすると『Ground』になり『地面(地球)』に『グラウンディング』するといいんだ。
『グラウンディング』するためには下記にあげた『腹式呼吸』を修練するほか『自然とつながる』ことが必要になり『自然の力』を信頼して助けてもらうといいんだ。
『自然の力』に助けてもらうことについてお話しすると・・
『暗闇』に入ってしまってから『味覚』がわからなくなり何を食べてもおいしく感じられず、ものすごく痩せてしまったお話しをしたけれど・・
このとき「家で採れたものだから」とか「頂き物だけどたくさんあるから」と無農薬の新鮮な野菜や果物を届けてくださる方が現われたんだ。
この方がくださる食べ物はどれも自然の『良質なエネルギー』にあふれたものばかりで、食欲がないぼくでも素材そのものの味が滋味にあふれ「あ~~、おいし~~い、しあわせ~~」と感じることですごく元気になれたんだ。
このとき『こころ』が元気がないときや『からだ』の調子がよくないときでも、滋味あふれる食べ物が『特効薬』になることに気づかされ『食』に深く感謝したことはなく『医食同源』を実感したんだ。
ほとんどの『薬』が自然から採取されたものからできていることをおもえば、このことにもうなずけるようになったし・・
食べたいものを食べると元気がでたり不調がよくなったことから『からだ』はちゃんと必要なものを教えてくれることにも気づかされ・・
どれほど『自然の力』に助けてもらっているかがわかるようになったんだ。
このように親切にしてくださる方には『感謝』しかなく、今までのぼくならすぐに『お返し』をせずにはいられなかったんだけれど・・
心優しい人からの厚意はありがたく『無償の愛』としていただき、おいしいと笑顔になるだけでその人に愛をあたえることができるという『メッセージ』を神様から受けとっていたから・・
「いつもおいしいものをありがとうございます。とても元気になれます!!」と満面の笑顔で伝えると・・
その人は「こうやってよろこんで食べてもらえることがなによりもうれしいよ。畑仕事にも精が出てこちらこそ、ありがとうだよ」といつも笑顔を返してくれたんだ。
実は『暗闇』に入ってしまってから、目に触れるさまざまなものをとおして神様から『メッセージ』を受けとっていて、その『導き』にしたがうことで、なんとか『正気』を保って暮らすことができたんだ。
こうやって元気になれる『食』を届けてもらっているのも、もしかしたら神様から『薬』が届けられているのであり、これも『自然の力』が助けてくれているのだろうと感じていたよ。
ほかにぼくを助けてくれた『自然の力』として『自然の香り』と『色』があるんだ。
『自然の香り』については・・
森や林のなかで緑の香りや花のいい香りを嗅いでいると『いい気分』になれるのは、もともとぼくらも自然の一部だから『自然の香り』を嗅ぐことで『本来の姿』を思い出し『いい気分』になれるからなのだと、ぼくは感じているんだ。
それに、緑の香りには『フィトンチッド』という成分があり、有害な『臭気=邪気』を『消臭・脱臭』し『空気』を浄化する効果があるようなんだ。
とにかく・・
ぼくらの日常では、電化製品から出ている『電磁』や『モンスター』から発せられる『負の気』によって、知らぬ間に身体の『電気』は乱れ、心身に悪い影響が及ぼされてしまうんだけれど・・
自然の『おいしい空気』を吸いながら川や滝などの『マイナスイオン』を体全体で浴びていると『電気』の乱れが整えられるばかりでなく、心身にたまった『邪気』が浄化されるんだ。
また・・
お花のいい香りに『やさしさ』や『安らぎ』や『甘さ』を感じることができると『ホルモンバランス』が整い『情緒』が安定するため、気分が和んだり明るい気分になれるんだ。
こうして・・
『自然の香り』に助けてもらうことで『神経』や『精神』の乱れが和らぎ『リラックス』できると『身体』の歪みも整い、元気になれるんだ。
『色』については・・
ぼくらの生きている世界では、どんなものにも『色』がついていて『色』にはそれぞれ『波長』があるんだ。
「○○さんとは『波長』が合う」というと互いの息が合うため『リラックス』でき、和んだり癒されたり元気でいられるため物事が『スムーズ』に運ぶようになるよね。
色もこのように『波長』が合う『色』に触れていると同じような効果を得ることができるんだ。
そうして・・
ぼくらは『無意識』のうちに、今の自分が必要としている『色』を欲したり惹きつけられたりするようになっていて・・
- 元気がないときには『赤い』ものを身につけ、元気をだそうとしたり
- 心身が疲れているときには森に行き『緑』に触れることで『リラックス』しようとしたり
- 静かにしていたいときには『黒』の服で身を包み、気持ちを鎮めようとしたりなど・・
なんとなく『気になる色』を身につけたり眺めたりすることで心身の『バランス』をとっているんだ。
『暗闇』に入ってしまったとき『自然の力』に助けてもらおうと『直感的』に決めたのは、自分の『自然治癒力』も試したかったのだろうと感じているよ。
ここまでは『自然の力』に助けてもらうことで『情動』による心身の乱れから身を守り、たいせつな『エネルギー』がもれ出ることを防ぐお話しをしてきたけれど・・
これからの『新しい世界』で自分の『花』を咲かせ『自分らしく』しあわせに生きていくためには『魂』がよろこぶようにすることで『情動』を昇華し、ご機嫌さんのいい気分で『周波数』を高く保つことがたいせつになるんだ。
では・・
『情動』を昇華するためにはいかにあればいいか、ぼくの『洞察』をもとにお話しするね。
生きていれば色んなことが起きてきて『ネガティブ』な『思考』と『感情』はひっきりなしにわきあがり・・
小さなことから大きなことまでさまざまなことに『ストレス』を感じ『イライラ』や『不安』や『心配』や『不信』に囚われ『イヤな気分』になってしまうことから逃れることはできないんだ。
だったら『ネガティブ』とは上手につきあっていくしかなく、そのためには『情動』を昇華する必要があるんだ。
それで、まずは・・
人を責めたり苦しめたりするような今までの古くなった『意識(思考・感情)』から『楽に』『楽しく』なれる『意識(思考・感情)』に切り替え新しい『意識(思考・感情)』に変容し・・
今まで囚われてきたことから自分を『解放』して『本当の自分』を生きられるように『行動』を変えていくことで『魂』がよろこぶようにしていると『情動』の昇華につながるんだ。
そして・・
『情動』の昇華で最もたいせつなことは『感情』をしずめることにあるんだけれど・・
目の前では何も起きていないんだから「怒らなくてもいいんだよ」「イライラしなくていいんだよ」「ドキドキしなくてだいじょうぶだよ」と言い聞かせていても・・
『イライラ』や『ドキドキ』は一向に止まず『からだ』にも不調や痛みが現われてしまうため『感情』をしずめることは、並大抵なことではないことを『暗闇』のなかでイヤというほど思い知らされてきたんだ。
きっと誰でも経験したことがあるとは思うんだけれど『あたま』で『感情』をおさえようとしていてもつい『カッと』なって表情や声色や言動が変わってしまうことは自然なことでもあるんだ。
このように『からだ』が反射的に反応することで起きる微細な変化を観察し『こころ』の状態を読み取る『行動心理学』なるものもあるほどで・・
『感情』を『あたま』で『コントロール』しようと平気な振りをしていても『こころ』は『ウソ』を見抜かれないだろうかと『ドキドキ』したり『からだ』も『汗』がでたり『顔』や『姿勢』が微細に動いたり歪んだりして、波立つ『感情』をしずめることはとてつもなく難しいことなんだ。
もともと自然の『生き物(動物・獣)』であるぼくらは『からだ』に正直に生きることで『生存』や『子孫繁栄』が自然になされ『こころ』にしたがうことで『人間らしく』生きられる『本性』をもって生まれてきているのに・・
『コントロール』の世界のなかで生き抜くために、長い間『からだ』の『欲求』や『こころ』の『要望』を『あたま』で抑えつけ『本来の姿』で生きられない『辛さ』や『苦しさ』をなんとかしのぐために『感情』を『無視』することで自分を守ろうとしたことが『極端』になってしまい・・
- 血の通わない『ロボット』のようになり規則正しい動きしかできなくなってしまったり
- 『無感動・無表情』になってしまったことでこの世を『味気ない灰色』にして一般的な生活が送れなくなったり
- 『情(じょう)』がまったくない冷血な『サイコパス』のようになったりして・・
『感情』を『無視』せず『情動』を昇華するためにはいかにあればいいのかを『暗闇』のなかでずっと『苦悩』し続けてきたんだけれど・・
その結果・・
たどりついたのは『傷ついた魂』である『内なる傷ついた子ども』の『こころの傷』を癒すことがたいせつになり・・
- ためこんできた『感情』を吐き出し、抑えこんできたことをかなえ『魂』をよろこばせてあげる
- ゆったりした『腹式呼吸』によって動じない『こころ』を身につける
- 『影』もある『まるごとの自分』を認め許し愛する
- 『情(じょう)』の素晴らしさはそのままに、みんなが笑顔になれるような『情(なさ)け』に変容する
- 神様と手をつなぎ身をまかせる
上記の5つのことを同時進行的に『修練』することで『情動』の昇華が促されるという考えに至ったんだ。
では・・
ひとつずつみていくことにするね。
*ためこんできた『感情』を吐き出し、抑えこんできたことをかなえ『魂』をよろこばせてあげる
人に迷惑にならないように『ネガティブ』な『感情』をとことん吐き出し『泥』や『毒』を外にだしてあげて・・
抑えこんできたことをできる範囲で健全にかなえてあげるようにしていると『内なる傷ついた子ども』は自分のことをわかってくれようとしていることに気がすんで穏やかになってくるんだ。
ためこんできた『感情』を吐き出す方法は・・
- 『自然な生き方』の『こころ』の『要望』にしたがい自分の本当の『気持ち』や『望み』に素直に正直に生きる
- 自分のなかにあるものを『観察』する
に載せている方法を参考にしてみてね。
けれど・・
荒れ狂った『感情』や沈み込んだ『感情』を穏やかで元気な状態にもどすのは難しいことでもあるよね。
そんなときは・・
- おいしい物を食べまくって『しあわせ気分』を思いきり味わわせてあげる
- ちょっとだけやさぐれてもいいから、人に迷惑をかけないように『感情』をぶちまける
- 落ち込んでいたら『どん底』まで落ちきる・・
こんなことをしていると疲れ果て寝てしまい、翌日、目が覚めると案外『スッキリ』できているものなんだ。
感覚としては、とことん好き勝手やらせてあげたり、とことん落ちてしまえば、あとは、はい上がるしかないという感じで気が晴れるんだ。
『ネガティブ』と上手につきあうためには、わきあがってきた『ネガティブ』な『思考』と『感情』に向き合い、ちゃんと考えてあげたり、ちゃんと感じてあげることで自分のことをわかろうとすることで・・
そこに囚われずに抜け出させてあげることができるようになるからなんだ。
それと・・
抑えこんできたことをかなえ『本当の自分』を生きるためには、今までの古い『常識』や『概念』を越える必要があり、これにより批判や反感をかったとしても自分を信じ『勇気』をもって挑んでいくことで『本当の自分』を生きられるようにしていくことがたいせつになるんだ。
あと・・
『魂』をよろこばせてあげるために『恋する気持ち』をもつことはとてもとてもたいせつであり・・
好きなことや好きな人に『情熱』を傾け『ワクワク』する日々を送っていると生きることに『張り合い』がもて『魂』が元気になることで『内なる傷ついた子ども』も元気になってくるんだ。
*ゆったりした『腹式呼吸』によって動じない『こころ』を身につける
『情動』が引き起こされると『内なる傷ついた子ども』は『古傷』が痛み出し『怒りや悲しみ』さらには恐怖による『攻撃や逃走』により「ヒィヒィ」「ハァハァ」言って『呼吸』が乱れてしまうんだ。
けれど・・
これをゆったりした『腹式呼吸』で整えることで『自律神経』の乱れを整え『平常・平静』を取り戻し動じない『こころ』を身につけるということなんだ。
ゆったりした『腹式呼吸』は、おへその下にある『丹田』というところに手を当て、まずは息を「フッと」吐き出してから・・
息を吸い込んだときにお腹がふくらみ、息を吐き出したときにお腹がへこむ呼吸をゆっくりと繰り返せばいいんだ。
ただ・・
ゆったりした『腹式呼吸』は案外、難しいため『自然な生き方』のなかにある『めぐりめぐる『循環』をたいせつにした『深い呼吸』をして地に足をつけ『自分軸』を中心にすえる』を参照しながら・・
下記の絵のような『イメージ』をして、地球に『接地』し『グラウンディング』して、自分の『本当の気持ち』をたいせつにする『自分軸』を中心にすえ『センタリング』することができると・・
『地球』や『宇宙』の愛とつながることができるようになり『生命エネルギー』のセンターである『7つのチャクラ』が美しく輝きだし『ホルモン』の『バランス』が整うため『情緒』が安定するようになるんだ。
こうして・・
『肝』がすわると動じない『こころ』を身につけられるようになり『情動』の昇華が促されるんだ。
日常生活で『グラウンディング』するためには・・
- 自然豊かなところに行く
- 公園など緑が多いところをお散歩する
- 『観葉植物』を育てる、生花を飾る
- 『ガーデニング』や『家庭菜園』で土に触れる
- 芝生や草の上や砂浜を裸足で歩いたり、寝っ転がったりする
- 大きな樹に抱きつくなど・・
『自然とつながる』ようにしているとよく・・
『センタリング』するためには、人の気持ちを思いやったり人の話しに耳を傾けながらも、自分の『本当の気持ち』を伝え『なりたい自分』になるための努力をするといいんだ。
*『影』もある『まるごとの自分』を認め許し愛する
先ほどもお話ししたとおりぼくらのなかには『宇宙』の起源から今にいたるまでのさまざまな『命』の『記憶』が、気づくこともできない『無意識』のなかでず~っと息づいていて・・
自分の『過去の姿』や『過去世の姿』や『ご先祖様の姿(人になる以前の姿まで)』がぼくらのなかは存在していて、そのなかには『獣』や『悪魔』のような『醜い姿』をした存在や『被害者』となり『憎しみ』や『恨み』をもった存在や『加害者』になり『罪悪感』や『自責の念』にかられている存在など『人には見せたくない姿』が『影』のなかには潜んでいるんだ。
そんな『影』と『表』はひと続きにつながっているものの、普段は『無意識』のうちに『影』が『表』に出ないように抑えられているため、人をとおして自分の『影』の姿を見ると「そんなことではダメだろう・・」と怒りがこみあげてくるんだ。
つまり・・
『影』もある『まるごとの自分』を愛することができなければ、自分や人を責めては苦しめ傷つけてしまうことが止まなくなってしまうということなんだ。
このことをぼくは『暗闇』のなかでイヤというほど経験してきて、やっと『影』もある『まるごとの自分』を認め許し愛することで『情動』を昇華していこうと思えるようになったんだ。
けれど・・
そのためには『過去』への『ゆるし』がなされなければならないことに気づくようになったんだ。
『過去の姿』がどんなであったとしても、その『過去』での経験が『学び』となって今の自分を成しているのであり・・
『魂』の成長ためには通る必要があった『過去』であることを理解し『過去』への『ゆるし』がなされるといいんだけれど、あまりにも許し難い『過去』の『ドラマ』を垣間見てしまうと『地獄を見るおもい』や『身を引き裂かれるおもい』がして『過去』を『ゆるす』のは『至難の業』になってしまうんだ。
とはいえ『過去』を『ゆるす』ことができなければ『こころの傷』はいっこうに癒されず、いつまでも『過去』に囚われ苦しんでしまうんだ。
なので・・
なんとしても『過去』への『ゆるし』をなしたいと『苦悩』するものの、もはや『自分の力』だけではどうにもできず・・
自分を『過去』から『解放』してあげるためには『自我』を越えた『神様の愛』である『無条件・無償の愛』で『過去』への『ゆるし』がなされるよう祈るしかなく・・
どんな『醜い姿』をした『影』であっても『神様の愛』である『無条件・無償の愛』で認め・許し・受入れ・抱きしめ愛することができるようになると・・
『影』のなかに潜む『内なる傷ついた子ども』の『こころの傷』は癒されるようになるんだ。
あとは・・
今、ここにいる『表』の自分が『影』にのっとられず『ありたい姿』でいるようにしながら、自分を自分で傷つけてしまわぬよう『自己肯定感』と『自尊心』を高くして自分に『やさしく』できるようにしているといいんだ。
すると・・
不思議なことに、人にも『やさしく』できるようになり、人からも『やさしく』してもらえるようになって・・
『自分が源泉』であることにも気づくようになるんだ。
*『情(じょう)』の素晴らしさはそのままに、みんなが笑顔になれるような『情け(なさけ)』に変容する
『生存』と『子孫繁栄』において『プラス』に感じることには『快』の『反応』が現われ『マイナス』に感じることには『不快』の『反応』が現われるのは『本能』によるものであり・・
このような『生き物』の『性(さが)』がなせる『情(じょう)』は『ヘビ(性エネルギー)』によってわきあがるものであり、これらが『情動』と深く結びついていると感じているお話を上記でしているけれども・・
そのわかりやすい例として、おいしいものを食べると自然に『笑顔』になれるよね、また、自分の好きなことや好きな人に『情熱』を傾け『熱中』していると『ワクワク』できるよね。
こんな『笑顔』や『ワクワク』をかなえたいと思わせ『生きるよろこび』をあたえてくれるのが『ヘビ(性エネルギー)』なんだ。
ただ・・
『笑顔』や『ワクワク』をかなえるためには『お金』が必要になり『お金』をたくさん欲しいと思うようになると『地位』や『名誉』も欲しくなるのが人の『情(じょう)』であり・・
この『情(じょう)』を自分を高めることに奮起して活かせると、人生には『活気』と『彩り』と『豊かさ』と『甘さ』がもたらされ『しあわせ』を感じることができるんだ。
けれど・・
『お金』や『地位』や『名誉』を人とくらべ『上下』や『優劣』をつけてうらやましくなり、人を妬(ねた)み憎らしく感じたり、嫉(そね)み腹が立ったり、または、ままならない自分に怒りを感じてしまうと『魂』は傷ついてしまい・・
『お金』や『地位』や『名誉』をよからぬことをして得ようとすると『魂』は汚れてしまうんだ。
こんなふうに『情(じょう)』に囚われ『我欲』が大きくなってしまうと『ヘビ』に惑わされるようになり・・
「もっともっと・・」といつまでたっても満たされず『イライラ』や『焦り』や『怒り』がつのるようになり、その『ストレス』を不健全な生活をすることで解消しようとすると、精神面や健康面や経済面でよからぬことが起きるようになってしまうんだ。
また・・
好きになった人と一緒にいたい、結ばれて家族になりたい、子供を生み育てたい、または、仕事や生活を仲良く補いあえる『パートナー』が欲しいという『情(じょう)』も『ヘビ』によるものであり・・
このような『愛』を交わしあうことで『生きるよろこび』があたえられ・・
- 好きになった人に好かれたい、お互いが気持ちよく協力しあえるよう励みたいと思うことで互いの『魂』は磨かれ成長できたり
- 共に生きることで『しあわせ』や『よろこび』を分かち合ったり『苦しさ』や『辛さ』を乗り越えることで『絆』が深まったり
- 愛する人を守るためなら自分の『命』さえも投げ出すほどの『強さ』を発揮することができたりなど・・
とはいえ・・
このおもいが強くなりすぎたり、変に偏ってしまうと・・
- 『愛する人』や『好きな人』をよろこばせたい、失望させたくない『愛』を失いたくない、もっと『愛』がほしいというおもいが強くなり、自分がやるべきことや『本当の気持ち』を『犠牲』にしてまで尽くしたり
- 『愛する人』や『好きな人』の『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』に関わることで危機を感じたり、ままならないことがあると、今ある暮しを守りたい、またはもっと良いものにしたいというおもいが強くなり『おそれ』が大きくなることで『分別』を失ってしまうと、よからぬ誘いにのって罪をおかしそうになったり、人を憎んだり攻撃したりすることもあり・・
また・・
自分の『弱さ』や『欠け』や『傷』などを自分で埋められず、誰かに『癒やし』や『愛』を求め埋めてもらうことに『執着』していると・・
自分のたいせつなものを失ってまで『依存』したり、または『依存』した人を盲目的に愛していると思い込み、こんなに愛しているのに自分の思いどおりにならないことに怒り、その人を憎み恨み傷つけたり、たいせつなものを奪ったりして・・
さらには・・
自分と共にいる人たちのことをたいせつに思うがゆえに、それ以外の人たちを排除したり攻撃したりして・・
『愛』への『執着』や『偏り』が過剰に働いてしまうと『自己犠牲』や『おそれ』や『我欲』や『嫉妬』や『憎しみ』や『偏狭(自分だけの狭い考え)』に囚われるようになり・・
『ヘビ』はそこにつけこみ『恐怖』や『悪知恵』や『甘い誘惑』による『罠』を吹きかけ人を惑わすようになるんだ。
こうして・・
『濁った目』にさせられると『ヘビ』の『罠』の裏に潜む『危険』に気づけなくなり『本当の自分』を見失ったまま 『こころ』を置き去りにした『おかしなこと』を平気でするようになってしまうんだ。
また・・
人生における『道』を選ぶ際にも・・
- 『本当の自分』を生きるか『偽りの自分』で生きるか
- 『ありのままの自分』を生きるか、社会やまわりの人や好きな人の期待に応えて生きるか
- 『情(本能)』に流されてしまうか『理(理性)』にしたがうかなど・・
迷いゆれ『葛藤』することで『苦悩』させられるのも『情(じょう)』によるものだったりするんだ。
ここまでお話ししてきて、もう気づいたかもしれないけれど・・
『情(じょう)』があるからこそ、生きることに『よろこび』や『豊かさ』がもたらされ『喜怒哀楽』を味わう人生は彩り豊かになる一方で・・
『情(じょう)』に囚われてしまうと『あたま』だけであれこれ考え『こころ』が置き去りにされたまま『本当の自分』を見失ってしまうんだ。
なので・・
『ピンチ』や『苦悩』や『迷い』があるときこそ『情(じょう)』に囚われそうになる『あたま』の『ザワザワ』や『モヤモヤ』や『イライラ』をしずめ・・
『本当の自分』を見失わないようにするために目をとじて耳をすませて・・『魂』の声に耳を傾けることがとてもたいせつになるんだ。
こうして・・
自分の本当の『気持ち』や『要望』に気づいたら『ヘビ』を『敵』にまわさずふりまわされないようにしながら『ヘビ』を『味方』につけ『白ヘビ』の導きにしたがうようにすればいいんだ。
それというのも『ヘビ』は『からだ』にしたがうために『あたま』をつかい『白ヘビ』は『魂』をよろこばせるために『こころ』にしたがう『一心同体』になっている『本性』だからなんだ。
けれど・・
『暗闇』に入ってしまうと、とにかく『ヘビ』がこわくて、ほんの少しでも『ヘビ』を『味方』にしてしまったら、すっかり『ヘビ』に操られ『獣』のようになり『魔』にひきずりこまれそうだったから『ヘビ』を『味方』にすることはそうたやすいものではないんだ。
かといって『ヘビ』を『敵』にまわしてしまうと『生きる基本』となる『食べる・眠る・排泄する』ことがままならなくなり、自分を肯定することも信じることもできなくなり・・
生きる『よろこび』は失われ、生きること自体が辛く厳しいものになってしまうことを『暗闇』のなかでさんざん体験させられてきたから『ヘビ』を肯定し『味方』につけることが生きるうえでどれほどたいせつであるかは、すごくよくわかっているんだけれど、ぼくにとってはとんでもない『難題』だったんだ。
それというのも『ヘビ』がお供している『モンスター』にほだされたりおぼれそうになる自分と『モンスター』を責めて排除しようとする自分がいて・・
『モンスター』の『気持ち』も痛いほどよくわかるため、ついつい『情(じょう)』に流されそうになってしまうんだけれど、その一方で『モンスター』に取憑かれてしまう『恐怖』から『モンスター』を攻撃したり逃げようとすることに躍起になり・・
ぼくは、自分の『影』の姿をした『モンスター』にどれだけ『強く』なりたかったか、また、どれだけ『やさしく』なりたかったかしれず『やさしさと強さ』『甘さと厳しさ』のはざまでずっと『苦悩』し続けてきたんだ。
けれど・・
こんな『弱い自分』を克服する『強さ』と『賢さ』と『勇気』を身につけられる『聖なる剣』で『ヘビ』の『罠』を払いのけ『モンスター』への『情(じょう)』による『迷い』を断ち切ってもらい・・
『ヘビ』を敵にまわさず『白ヘビ』にしたがえるようになると『真実の愛』に導びかれるようになるんだ。
このとき『白ヘビ』は自分に『やさしく』なることで『情(じょう)』を『情け(なさけ)』に変容できると促してくれて・・
自分に『思いやり』の『こころ』を向けることで自分に『やさしく』なるようささやいてくれるんだ。
『思いやり』の『こころ』とは自分の本当の『気持ち』や『要望』をわかってあげて、そのことをまわりの人に伝える『強さ』を身につけ『本当の自分』を生きられるように自分に『やさしく』なるということなんだ。
こうしながら地球に存在するもの、さらには宇宙に存在する、多種多様なものに『思いやり』の『こころ』を向けることで・・
『男性性と女性性の統合』と『陰陽の統合』がなされるようになり ・・
『神様の愛』である『無条件・無償の愛』⇒『真実の愛』にたどりつき『源の愛』に還っていくことができるようになるんだ。
こうして・・
『情(じょう)』の素晴らしさはそのままに、みんなが『笑顔』になれる『情け(なさけ)』に変容できれば『情動』は昇華され『影』に惑わされず自分の人生の『ハンドル』を自分でもちながら・・
ありたい自分になれるようこころのままに『今を生きる』ことで『自然に還る』ことができ、自然界の『生き物』たちのように『本来の姿』で嬉々として『楽園』で生きられるようになるんだ。
では・・
『思いやり』の『こころ』を日常で実践していくことについてお話しするね。
まずは・・
- 自分を肯定してたいせつにしてあげる⇒『自己肯定感』と『自尊心』を高く保つ
- 自分に『ウソ』をつかない⇒『欲求』や『要望』を健全にかなえてあげる
- 失敗やできなかったことで自分を責めない⇒できていることをほめ、次にはできるよう努め、できないことは人の助けを借りるなど・・
自分に『やさしく』なること。
そうして・・
人の気持ちを『思いやり』ながら『やさしさ』や『親切』や『温かさ』などの『愛』を人に向けるようにすればいいんだ。
ただ・・
『やさしさ』や『親切』や『温かさ』などの『愛』を人に向けるときは『純粋な気持ち』からでないと、かえって『魂』の成長を妨げるものになってしまうんだ。
善いことをしたい『いい人』でいたいという『自己満足』や人に嫌われたくない、または『愛』を失いたくないというおもいが先行してしまうと・・
自分ではそのつもりはなくても、押しつけのような『愛』になったり『見返り』を求めてしまったり、報われない『愛』に『怒り』や『憎しみ』がわきあがり、気分よくいられなくなってしまうからなんだ。
もう何度も言っていることだけれど『こころ』も『からだ』も自然なものであり『ウソ』をつけないようにできているから『見せかけの愛』を生きてしまうと『ひずみ』が生まれ『スッキリ』せず、自分にとっても人にとってもいいことはひとつもないんだ。
むしろ、無理してなにかをしようと思わなくても『しあわせ』や『安らぎ』や『健康』や『成功』を『こころ』から祈るだけで『愛』は届けることができるんだ。
なぜなら・・
どんなことであっても『まごころ』からしていることであれば、その想いは必ず伝わるからなんだ。
ただ・・
こんなふうに『やさしく』なりたくても『こころ』に余裕がもてず・・
『文句』や『不満』や『怒り』や『憎しみ』や『恨み』や『心配』や『不安』や『悲しみ』や『妬み』や『嫉み』などの『ネガティブ』なことばかりしか浮かばなかったり『意地悪』になってしまうことは誰にでもあることなんだ。
もし、こんな自分を責めたりすると『白ヘビ』を悲しませることになってしまうから・・
こんなときこそ、自分に『思いやり』の『こころ』を向けて「そっか、そっかこんな風になってしまうこともあるよ・・」とわかってあげて『こころ』にゆとりがもてるよう『やさしく』なって、ほんのすこしでもいいから自分をよろこばせることをしてあげながら「やさしくなれますように・・」と神様に祈ればいいんだ。
そうすれば・・
『天までとどく祈りの力』によって、自分も人も責めることが減り『思いやり』の『こころ』を多くのものに向けられるようになってくるんだ。
さらにたいせつなことは、人からの『やさしさ』や『親切』や『温かさ』を素直にありがたくいただき『感謝』することであり・・
こうやって困っているときにも人を信頼して助けを求めることができるようになると、自分も困っている人を助けてあげられるようになり『思いやり』の『こころ』はめぐるようになるんだ。
すると・・
『愛』が循環することで『魂』は『イキイキ』と輝くようになるんだ。
「情けは人のためならず」というのは『思いやり』の『こころ』はめぐるということであり・・
『情け(なさけ)』は『真実の愛』であるため、だれかが『犠牲』になることなどなく、みんなが『笑顔』になれるものであるからこそ、めぐりめぐって『いいことづくめ』になれるんだ。
こんな『思いやり』の『こころ』は人の気持ちになって考えることから始めて、ほんの小さなことでもいいから『こころ』からしたいと思った『愛』を届けるようにすればいいんだ。
無理なくできる小さな『愛』を日々、積み重ねていくことで『情動』の昇華につながっていくんだ。
*神様と手をつなぎ身をまかせる
ぼくは『暗闇』のなかで十数年間『ネガティブ』な『意識(思考・感情)』を排除しようと躍起になって、ずっとずっと闘ったり逃げまわったりしてきたんだけれど・・
闘えば闘うほど『苦しみ』は増すばかりで、逃げれば逃げるほど『追いかけられ』こんなことを繰り返すばかりで疲れ果て『諦(あきら)め』の境地に達したとき、自分の『意思』ではどうにもならないことを悟り・・
今までさんざん『ネガティブ』な『意識(思考・感情)』に『苦悩』し、考えあぐねてきたけれど、そもそも『ネガティブ』を排除することなどできるはずもなく、すべてがあって『オールOK!!○(まる)なんだ』ということにやっと合点がいったんだ。
つまりは『全体性』に回帰することで『暗闇』から抜け出すしかないことに気づかされ『人智』を越えた神様に身をまかせることで『光』が見えてきたんだ。
『暗闇』に入ってしまったときに『自然の力』に助けてもらい『暗闇』から抜け出そうと決めた『直感』は『神様と手をつなぎ身をまかせること』につながっていたということなんだ。
自分の『意思』ではどうにもならないことは、もう神様の『ご意志』にしたがうしかなく・・
神様という『大いなるもの』に生かされていることを信頼して『いいことだけ』を思い描き『今を生きて!!』いれば、きっとだいじょうぶ!!・・と思えるようになったんだ。
とはいえ・・
『心配』や『不安』や『不信』は次から次へとやってきて『おそれ』や『悩み』はなくなることはないけれど・・
そんなときは『能天気スイッチ』を入れて「そういうこともあるさ~」「ケ・セラ・セラ」「まっ、いいか・・」「なんとかなるよ!!」とつぶやきながら・・
『ラッキー』の『魔法の言葉』の「だいじょうぶ・だいじょうぶ、すべて、うまくいく・・うまくいっている!!」と「『楽に』考えていれば『楽気⇒ラッキー(lucky)』になれる」を何度もつぶやき・・
「あとは神様におまかせしよう!!」と自分に言い聞かせ『ネガティブ』に囚われないようにしているんだ。
それに・・
神様があたえてくれるものは必ずしも『ハッピー』なことだけではなく『アンハッピー』なこともあるのが自然であり、そられの『変化』を受けいれ越えていくことで『魂』は『進化』することができるのだから・・
自然界の『生き物』たちのように神様(自然)に身をまかせていればだいじょうぶ!!と思えるようになったんだ。
こうして・・
『ネガティブ』な自分もちゃんとわかってあげて受けとめてから・・
『ポジティブ』に考え明るく振る舞う『修練』をしていれば、良い向きに『アンテナ』が立ち、良いものを『キャッチ』できる『流れ』ができてくるんだ。
あとは大らかにゆったりと構え『信じて待つ!!』ことができれば、その間に神様が手を尽くしてくださるから焦らないようにしているんだ。
つまり・・
『あたま』であれこれ考えることを手放して、今あるものに『感謝』しながら、日々の小さなことにもこころをこめて『今を生きる!!』ようにしていればいいってことなんだ。
ところで・・
医療に関わる『マーク』や『シンボル』に『ヘビ』と『杖』があしらわれているのを見たことはあるかなぁ~・・
ぼくの解釈は・・
『ヘビ』が『杖』をつたって上昇する姿は『情動』が昇華されることを意味していて・・
『情動』が昇華されたことで『本来の本能』と『直感』をとりもどし『神聖なる野生』を『生きる力』とすることができれば『自然治癒力』が目覚め、心身は健やかになり『楽園』に還ることができる・・
という解釈なんだ。
こうして・・
『情動』が昇華されることで『こころ』と『あたま』と『からだ』が整えられ『スッキリ』できると『今、ここ!!』を『リラックス』しながら『いい気分』で生きられるようになるため・・
『最高のパフォーマンス』を得ながら疲れにくくもなり『夢』や『希望』をかなえながら『ワクワク』して、いつまでも若々しく美しく輝いて生きられるようになるんだ。
さぁ~・・
『情動』を昇華して『本来の姿』にもどり『自分らしく』ご機嫌さんのいい気分で生きていこう!!。
ここまで『暗闇』に入ってしまったことで深く知ることができた『情動』について、ぼくの『洞察』をもとにお話ししてきたけれど・・
文章内のリンクを『クリック』すると関連している内容を知ることができ、下記のメッセージを参照すると『情動』についてより深く理解することができるようになるよ。
*2024年11月6日まで掲載されていた『情動』を改訂いたしました。