『ヘビ』は『モンスター』のお供をしながら『傷ついた子ども』たちがなんとか生き延びていけるよう、あれこれしながら『真実の愛』を学ばせようとしている。
これらすべての内容は、サーアイアイの『洞察』によるものです。
さまざまな『社会』の『権力』によるさまざまな『ルール』や『教え』によって・・
『本来の本能』は歪められ『直感』も『あたま』で封じ込められたため『本来の姿』で生きることを許されなくなった『魂』は『男性性』と『女性性』の『バランス』をくずされ『分離』させられた。
これにより・・
- 『自尊心』は傷つけられ『自己卑下』を植えつけられたことで『自立の芽』は踏みつけにされ
- 『自己肯定感』は奪われ『罪悪感』を植えつけられたことで『自立の芽』は摘まれ・・
『魂=こころ』は傷つき・・
『傷ついた魂』になっても「泣いてはいけない」「怒ってはいけない」と素直な『感情』を表にだすことも『抑圧・禁止』されたため・・
『怒り』や『悲しみ』や『寂しさ』や『憎しみ』や『恨み』や『嫉(ねた)み』や『嫉(そね)み』などの『感情』は、マグマのようにグツグツと煮えたぎったまま『被害者意識』を抱き『こころ』はトゲトゲになってしまった。
そうして・・
『トゲトゲのハート』になった『傷ついた魂』は『内なる傷ついた子ども』として『おなか』のなかに住みつくようになった。
この『内なる傷ついた子ども』が、自分のなかにいる自分である*『影』なのである。
*『影』については、自分のなかにあるものを『観察』する(『本当の自分』に気づいていく)をのぞくとわかるようになるよ。
この『内なる傷ついた子ども』は『こころの傷』が癒されていないため『過去』に感じていた『恐怖』や『不安』や『不信』や『嫉妬』に、今も悩み苦しんでいて・・
- こわいよ~、助けて~、イヤだよ~
- なんで、こんなこわいことがおきてしまうの~
- なんで、自分のことをわかってくれないの~
- なんで、自分のことを愛してくれないの~
- なんで、自分の望みをかなえたらいけないの~
という叫びとともに・・
- 辛い気持ちをわかって、癒やしてよ~~
- 自分の本当の『気持ち』や『望み』をわかって『本当の自分』を生きさせて~~
と、自分のことをわかってくれそうな人(=自分と似たような『こころの傷』がある人)に手を伸ばしながらも・・
その反面、傷つけられるのも、ものすごくこわくて「近寄らないで~~・・、放っておいて~~・・あっちにいって~~」という『矛盾』をかかえながら・・
自分を守る『ドーム』のなかに閉じこもり、怒り悲しみ泣いている。
そんな『内なる傷ついた子ども』のこころの奥そこには、アダムとイブの『一心同体』だった『性(せい)』が切り離されたことにより・・
- 『生存』と『子孫繁栄』の『生き物』としての『使命』をまっとうするために、自分の足りないところを補いあうことができそうな人に『愛』を求め『ひとつ』になることで『完全』になろうとする気持ち
- 『片割れ』になってしまった『痛み』や『欠け』による『こころの傷』をなんとか癒やし埋めようとする『辛い気持ち』
- 自分の『魂』の『片割れ』を探し求め『ひとつ』になり『完全なる魂』に還ろうとする『切なる想い』
も潜んでいて、これらの気持ちも『行き場』をなくしていて・・
『モンスター』の正体は『本来の姿』の『本当の自分』を生きたいという『命』の『根底』にある『自意識』なのでもある。
それなのに・・
『表』の自分が『影』の自分の『辛い気持ち』をわかろうともせず、本当の『気持ち』や『望み』をかなえ、自分の『花』を咲かせ『自立』して生きていけるようにしていないため・・
『辛い気持ち』と『本当の気持ち』をわかってほしい・・と、このような『モンスター』になっては、自分のことをわかってくれそうな人(=自分と似たような『こころの傷』がある人)を求め『宙(ちゅう)』を『フラフラ』さまようようになってしまうのである。
こんな『モンスター』のかたわらには、いつも『ヘビ』がお供していて『モンスター』の『こころの傷』を癒やし合える相手とひきあわせようとしている。
実は・・
この『ヘビ』は『禁断の果実』を食べるようイブをそそのかした『ヘビ』であり『楽園』でしあわせに暮らしていたアダムとイブに『知恵』を吹きこんだ『ヘビ』なのである。
アダムとイブは『禁断の果実』を食べ『知恵』を授かった『罰』として『一心同体』であった『性』を切り離され『魂』は『片割れ』どおしになってしまった。
アダムもイブは、深く傷つき悲しみながら『ありのままのはだかんぼうの姿』でいることが、急に恥ずかしくなり、互いに『性』を『意識』するようになった。
すると・・
カッコいい自分・素敵な自分・相手に認められる自分・相手にほめられる自分・相手に好かれる自分・相手に必要とされる自分になろうとする『自意識』が芽生え・・
互いに『気』をひきあうようになり、またもとの『ひとつ』の『一心同体』の『完全なる魂』に還りたいという『想い』が『恋する気持ち』となって燃えあがるようになった。
そうして・・
アダムとイブを『楽園』から追放させた『罪』をつくらせた『ヘビ』には・・
アダムとイブの子孫たちが『男性性』と『女性性』を統合し、再び『楽園』に還り『ひとつ』になることで『真実の愛』を生きられるように導くことを神様から命じられていたのであった。
『ヘビ』は、この『使命』を果たすためにいつでも『モンスター』の近くにいて『真実の愛』に目覚めるよう一生懸命、働いていた。
この『ヘビ』の正体は『生存』と『子孫繁栄』の『使命』をまっとうするためにあたえられた『本能』を満たそうとする『性エネルギー』である。
それで・・
『ヘビ』は『モンスター』が、癒やされることを願い、似たような『こころの傷』をかかえた者どおしが『恋』におちるようひきあわせた。
『ヘビ』によって惹(ひ)かれあうようになったふたりは、『男性性』と『女性性』のバランスがコインの『表と裏』のような関係にあるふたりであり・・
こんな『真逆の性質』をもつふたりが『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』のために、互いの足りないところを仲良く補いあい協力しあって『ひとつ』になることができれば・・
傷は癒され『男性性』と『女性性』は統合され『完全なる魂』になれることを『ヘビ』は願っていたのだった。
真逆なふたりは『凸・凹』や『+極・-極』の磁石のように、強く惹きあいすぐに燃えあがるような恋におち、あたかも天国にいるかのような『しあわせ』な時を過ごしていたので・・
このまま、互いに『痛み』をわかりあい『こころの傷』を癒すことができれば『真実の愛』に目覚め『ありのままの姿』で仲睦まじく『しあわせ』に生きられる『楽園』に還ることができると『ヘビ』はよろこんでいたのだった。
けれど・・
ふたりはなれあいになり『本性』をだしあうようになると、自分の『影』の姿を相手が『鏡』のように映しだすようになり、互いに『古傷』が痛みだし、ふたりの関係は変わっていった。
そして・・
神様からの『使命』を果たそうと『気高い志』をもった『ヘビ』だったが、自分がしたことが裏目になったことが悲しくて『ヘビ』は自分を責めるようになっていった。
けれども・・
自分を責めたところで、かわいそうな『内なる傷ついた子ども』たちの『こころの傷』は癒されることはなく、さまよう『モンスター』を放っておくこともできなかった。
そこで・・
なんとか『内なる傷ついた子ども』たちの『こころの傷』を癒してあげたいと思った『ヘビ』は『楽園』でイブをそそのかしたときと同じように『知恵』をふきこみ『傷ついた子ども』たちをなんとか生かすために、操るようになっていった。
こうして・・
『傷ついた子ども』たちは『本能の欲求』を満たそうとするとき『ヘビ』の『誘惑』や『そそのかし』に応じるようになり・・
『こころ』の『要望』をないがしろにした『からだ(動物的な肉体の欲求)』や『あたま(損得にからむ欲求)』の方に惑わされたり、目がくらんだり、愚かになったりして・・
はまっていくことで『魔』にひきずりこまれるようになっていった。
『ヘビ』に惑わされるようになった『傷ついた子ども』たちは、自分の『弱さ』にあらがいきれず・・
- お金や地位や名誉を得ようと『よからぬ企て』をするようになったり
- 『恋は盲目』といわれるような恋に堕ち自分を見失ったり、道ならぬ恋におぼれたり、多情になったり
- 辛さを忘れようと不健康・不健全なもので、気をまぎらわしたり、ごまかしたりして『依存』するようになったり
- 自分の姿を偽り、人の機嫌をとろうと、こびたり、へつらったり
- 人との関係をシャットアウトして、自分を守ろうとするようになったりして・・
『甘い誘惑』や『おいしい話』に身を染め人の道からはずれるようなことや、自分や人を傷つけてしまうようなことや、自分や人にウソをつくようなことをするようになり・・
『本当の自分』を見失ったまま『本来の姿』とは違う『人格』を『表』にだすようになっていった。
『ありのままの姿』を認め愛してもらい『本来の姿』の『本当の自分』を生きることを許されず、非難されたり、暴力をふるわれたり、過酷な生活環境のなかで生きるしかなかった『傷ついた子ども』は『怒り』や『悲しみ』や『憎しみ』や『恨み』がいっぱいだったので・・
しあわせそうに見える人や、欲しいものをもっている人をみると「うらやましいなぁ~」と思う気持ちが強くわきあがり『嫉妬の炎』を燃やしてしまうのだった。
また・・
自分がこんなふうになってしまったのは、生い立ちや環境やまわりのせいなのだと・・この憂さを晴らしたいという欲求がわきあがるようになっていった。
『ヘビ』は、そんな『傷ついた子ども』をなんとかしてあげようと思い、それならとばかりに『悪知恵』を吹き込み・・
-
欲しいものを人から奪うようなことをさせたり
-
自分が有利になるために、ずるをしたり、人をだましたり、人をおとしいれるようなことをさせたりして・・
自分さえよければ、人を傷つけても平気な『人格』にさせていった。
こうして・・
『傷ついた子ども』は、ズル賢くよこしまな『人格』を『表』にだすようになり、目は険しくよどんでいった。
どんな自分でも、ただ、愛され、自分がしたいことをしたかった『傷ついた子ども』は『本当の自分』を生きられなかった『悲しみ』や『寂しさ』がいっぱいだったので・・
自分のことをわかってくれそうなやさしい人や自分を癒してくれそうなセクシーな人をみると「愛されたい」「癒されたい」という気持ちが強くわきあがり『恋の炎』を燃やしてしまうのだった。
『ヘビ』は、そんな『傷ついた子ども』をなんとかしてあげようと思い、それならとばかりに『甘い誘惑』を吹き込み・・
-
色恋・お酒・ギャンブル・ドラッグにおぼれさせ、さみしい気持ちをまぎらわせるようにさせたり
- 美や食の追求・買い物・不健全な恋愛・腐れ縁的な恋愛におぼれさせ、寂しい気持ちをごまかすようにさせたりして・・
いっときの『快感』や『快楽』にひたる『甘い気分』に依存するような『人格』にさせていった。
こうして・・
『傷ついた子ども』は、『悲しみ』や『寂しさ』を忘れるために『快感』や『快楽』をあたえてくれる人やものにすがる『人格』を『表』にだすようになり・・
目は『ウルウル』と『甘さ』を求め、盲目的にさまざまな『依存』にはまるようになっていった。
好かれたり『期待』にこたえる自分でなければ『存在価値』はなく、そうでなければ「愛されないし、生きてもいけない」と思い込んでしまった『傷ついた子ども』は、人から嫌われるのが何よりもこわかったので・・
どうしたら、人をよろこばせ嫌われない自分でいられるか考えるようになっていた。
『ヘビ』は、そんな『傷ついた子ども』をなんとかしてあげようと思い、それならとばかりに「ピエロになっちゃいなよ!!」とささやき・・
- 本当の自分の顔にピエロの仮面をかぶせ、人を笑わせたりよろこばせることを演じさせたり
- イヤだと思うことでも自分にウソをついて、ニコニコ顔でやってのけさせたりして・・
まわりの人と何とかうまくやっていくために、自分を殺して人にあわせる『人格』を身につけさせていった。
こうして・・
『傷ついた子ども』は、いつも明るくふるまい、みんなのご機嫌をとり、楽しませ、よろこばせる『人格』を『表』にだすようになったていったが・・
ひとりになり仮面をとると、その目にはいつも涙をうかべ『本当の自分』を生きられない『むなしさ』から逃れられなくなっていった。
愛されてはいたものの、人に決められた人生を歩くしかなく、自分の『本当の気持ち』を抑え、自分の人生をあきらめてしまった『傷ついた子ども』は、自分を生きられない辛さを抱えながら・・
どうしたら、この苦しい気持ちから逃れ、自分を『楽に』することができるか考えるようになっていた。
『ヘビ』は、そんな『傷ついた子ども』をなんとかしてあげようと思い、それならとばかりに「能面をかぶちゃいないよ!!」とささやき・・
- 『本当の自分』の顔に能面をかぶせ、感情を打ち消した無表情にさせたり
- いかなる感情にもフタをして、無感情・無感動でいれば、痛みを感じなくてすむようにさせたりして・・
人との間に『壁』をつくり、人に踏み込まれないようにして自分を守る『人格』にさせていった。
こうして・・
『傷ついた子ども』は、自分の『こころ』を閉ざし、人と血の通った関りをシャットアウトして生きることを決め、クールでドライな『人格』を『表』にだすようになったが・・
目は強い怒りを秘めながら人のことを観察するだけで、輝きをなくしていった。
『ヘビ』から吹き込まれた『知恵』によって・・
『傷ついた子ども』たちは、それぞれの『こころの傷』に対応するような『意識(思考・感情)』をもつようになり『歪んだ人格』を『表』にだしながらも・・
- なんとか生き延びたい
- なんとか自分がしたい仕事につきたい
- なんとか好きな人と結ばれたい
- なんとかこどもを生み、育てたい
- なんとか安全で快適な暮らしを続けていきたい
- なんとか自分の望みをかなえ『しあわせ』になりたい・・
と、いうおもいを抱えながら、必死になっていたのであり『ヘビ』がいなければ、生きることが辛すぎて生きる『術(すべ)』を見つけられなかったのである。
『ヘビ』は、とにかく『命』を絶やさないようにすることを神様から命じられていたため、こうすることで『傷ついた子ども』たちの『命』を救ったのであった。
『快感』や『快楽』を求め『人生をバラ色』にしたかのようにみえた『傷ついた子ども』たちは、いっとき『至福』を味わうと、すぐに『愛の渇き』を覚えるようになり・・
そのあと、もっと強い『欠乏感』や『むなしさ』におそわれるようになり『こころ』の平安を得られない日々に、むしろ『こころの傷』は深くなっていった。
また・・
『偽りの姿』で生きることを決め、なんとか『命』をとりとめ生き延びることができた『傷ついた子ども』たちも『本当の自分』を生きられないことや『夢』や『希望』を捨ててしまったことで生きる『気力』や『意欲』をなくし・・
『色のない世界』で生きることに『絶望感』や『むなしさ』をつのらせるようになり、自分の『存在価値』や『生きる意味』を失った日々に、むしろ『こころの闇』は深くなっていった。
こうして・・
『傷ついた子ども』たちは、もっともっとと『愛』を乞い求めるようになり『モンスター』はさらに『宙(ちゅう)』をさまようようになっていった。
『ヘビ』は、またしても、自分がしたことが『傷ついた子ども』たちのためにならなかったことに悩むようになっていった。
そんな『ヘビ』の姿をそっと見守る『白ヘビ』が『ヘビ』の悩みを癒そうと現れたのだった。
実は・・
『ヘビ』と『白ヘビ』は、互いに寄り添いつながりあう『一心胴体』であり・・
『ヘビ』は『生存』と『子孫繁栄』の『使命』をまっとうしようとする『性エネルギー』であり『からだ』の『欲求』にしたがい生きることに『快感』や『快楽』をもたらしてくれる『神様の使い』であり・・
一方『白ヘビ』は、清く美しく生きることで神様に近い存在になろうとする『性エネルギー』であり『こころ』の『要望』にしたがい生きることで『精神』を高め『安らぎ』や『よろこび』をもたらしてくれる『神様の使い』なのであった。
『傷ついた子ども』たちのなかには『白ヘビ』の導きにより『安らぎ』を得て『清く美しい生き方』を理想として実践するようになる者があわれた。
こうして『宗教』が生まれ『宗教』を信仰することで『こころ』によりどころができた『傷ついた子ども』たちは『ヘビ』にまどわされず、美しく安らかに生きた者たちも大勢いた。
けれども・・
『宗教』を信仰することに熱くなった『傷ついた子ども』たちのなかには、神様に近づこうと『戒律』をどんどん厳しくして『生き物(動物)』としてもっている『本性』をまったく無視した『禁欲』や『清貧』を強要するようになっていった。
ここで少し横道にそれて『生き物』としてもっている『本性』についてお話しすると・・
人は人間である前に『生き物』であり、いち『動物』として『生存』と『子孫繁栄』の『使命』をまっとうするために、生きるか死ぬかの『危機』におちいると『獣』の『本能』が自動的に作動し・・
- 『食』⇒食べ物を得るためならどんなことでもしでかしてしまう
- 『性』⇒『子孫』を残すための欲求が異常に強まり、自分の『意志』や『理性』ではあらうことができない『衝動』にかられ『性交』しようする
この『食』と『性』の抑えがたい『欲求』を満たすため、清く美しく正しくあるだけでは生きられない『性(さが)』が、人として生きることにおいては『弱さ』にも『危うさ』にもなってしまい・・
- 自分や自分の家族やたいせつな人の『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』に関わる『おそれ』によって、よからぬことを考えてしまったり
- 自分の『欠け』や『傷』を癒やし埋めてもらおうと、人のものを奪ったり
- 自分が恩になった人や愛されたいと思う人を失望させたくない・よろこばせたい・離れたくないと思うことで自分を犠牲にしたりして・・
このような『おそれ』や『弱さ』や『執着』が知らぬ間にひとりよがりな『我欲』につながってしまうと『本当の自分』を見失いながら『道』を踏み外し、自分も人も傷つけるようなことになってしまう。
けれど、一方で・・
- 苦しいときや辛いときや寂しいときは『愛』や『温もり』を求めずにはいられない『情=じょう』をわきあがらせたり
- 近くにいる人や共にいる人と『よろこび』や『苦しみ』を分かちあおうとする『情=じょう』をわきあがらせたり
- たいせつな人を守るためなら、自分の『命』をも投げ出すほどの『強さ』をもてる『情=じょう』をわきあがらせたりして・・
なんとか『命』をとりとめ人とつながりながら生きようとする『情=じょう』と・・
さまざまなドラマのなかで『愛憎』や『嫉妬』などの『情=じょう』もわきあがり・・
いち『動物』でありながらも人間らしく『喜・怒・哀・楽』を味わい人生を彩り豊かに生きようとする姿は美しく、また、愚かになりながらも輝くのである。
『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』のために、こんな『性(さが)』がなせる『情(じょう)』によって『あたま』と『こころ』と『からだ』は絶えず『コントロール』され『情動』が引き起こされてしまうのである。
話しはもとにもどり・・
生真面目で純粋な『傷ついた子ども』たちほど厳しい『戒律』にしがたい、あまりにも高い理想に燃え『宗教』に盲目的にのめりこむうちに・・
生き延びるために『本性』をあらわにした『傷ついた子ども』たちのことを軽蔑しては『罰』をあたえ『無意識』のうちに、自分たちは『上』で彼らは『下』と見下し『差別』をしては『敵』とみなす者も現われ・・
『白ヘビ』の導きにより『安らぎ』を得ようと『宗教』を『信仰』したのにもかかわらず、最初の『想い』からどんどんかけ離れ『理』に傾き過ぎた『情』に薄い不自然な『戒律』により、人を『差別し・裁き・排除する』という『本末転倒』の方向に『宗教』はつかわれるようになり・・
神様は人を『差別』することも『裁くこともなく』いかなる人をも等しく愛することができるのに、やがて時の『権力』や『政治』ともつながり腐敗していった。
また・・
理想的な姿で生きることを誓っていながら『本能の欲求』にあらがえず『清く美しく生きる』ことが思うようにできないがために、自分の『弱さ』を恥じたり許すことができず自分を責めてばかりいて『宗教』に挫折する者が現われたり・・
自分の『本性』を見ないようにして『本当の自分』を偽り、自分にムチをうって『清く美しく生きる』ことに一生懸命になりすぎたがゆえに、ふとしたすきに『魔』が入り込んでしまったことにも気づかず、自分の意と反したことを『無意識』にしでかしてしまう者も現われるようになり・・
- あんなに立派で志が高かった人が
- あんなに清く正義感に燃えていた人が
- あんなに穏やかで善良だった人が
- あんなに純粋で真面目だった人が
- あんなに素晴らしい才能と美貌をもっていた人が・・
表情や人相まで変わり、生気や正気が失せた目はにごり、まったく真逆の『人格』に豹変してしまうこともあった。
これはまさに、透明なきれいな水に黒いインクが一滴、ポトンと落ちただけで、たちまち、水が黒くにごってしまうのと似ていて『純粋』になりすぎてしまうと・・
『こころ』のおごりやスキや心身の疲れなどにより、正常な判断ができなくなってしまうと、それが『引き金』になり、たちまち『反転』してしまうのであった。
人は神様でもなく、かといって『生き物』ではあるけれども『野獣』でもなく『ロボット』でもないことを『理解』し・・
『決めごと』や『ルール』や『戒律』が、誰にとっても完全なものであるとは言えないからこそ、しっかり『分別』できる『こころの目』をもっていなければ・・
『純粋(ピュア)過ぎる』ことが『弱さ(ウィーク)』になってしまうのであった。
これではかえって『ヘビ』を苦しめてしまうことに気づいた『白ヘビ』は『白ヘビ』の美しい生き方を理想とする『傷ついた子ども』たちに・・
生きることに必死で盲目的に『ヘビ』の誘惑にのるしかなく『本性』をあらわにするようになった『傷ついた子ども』たちのことを『理解』する『思いやり』と『肉体』をもっているいじょう『生存』と『子孫繁栄』の『使命』をまっとうするためには『ヘビ』の力が不可欠であることを忘れないでいるよう告げ・・
『ヘビ』によって『歪んだ人格』になった『傷ついた子ども』たちには「本当は安らかに生きたいのよね」という温かい『愛の光』をさしこんだのであった。
こうして・・
『白ヘビ』にしたがっている『傷ついた子ども』たちは『生き物(動物)』として『からだ』を生かすために欠かすことができない『ヘビ』の力に『敬意』をはらうことができるようになり・・
『ヘビ』にしたがっている『傷ついた子ども』たちは『愛』や『美』を求める『こころ』が自分たちのなかにもあることに気づき『白ヘビ』によって『安らぎ』を得たいと思うようになり・・
『白ヘビ』にしたがっている『傷ついた子ども』たちと『ヘビ』にしたがっている『傷ついた子ども』たちは・・
どちらも、自分たちの『あり方』や『考え方』において『0とか100とか』にすることなく『ヘビの性エネルギー』と『白ヘビの性エネルギー』が『バランス』よくあることで『人間らしく』生きられることに気づくようになり・・
互いに『歩み寄る』ことで、ちょうど『いい感じ』の『折り合い』をつけていけるようになった。
こうして・・
『ヘビ』と『白ヘビ』の『バランス』をとることができた『傷ついた子ども』たちは『本性』を発揮しながら『本来の姿』の『本当の自分』をとりもどし・・
人生を彩り豊かに『よろこび』や『美』を味わって生きることができるようになっていった。
人を傷つけても平気なほどのズル賢い『悪(ワル)』にならずとも・・
『ヘビ』側の『傷ついた子ども』たちは・・
ちょっとだけウソをついちゃたり、ちょっとだけ怠けちゃったり、ちょっとだけ大目にみて~・・と、ペロッと舌をだして笑うことができるまでに成長して『おとな』になっていった。
一方『白ヘビ』側の『傷ついた子ども』たちは・・
真面目すぎたり、キチン・キチンときっちりし過ぎると自分のことも人のことも許せず『イライラ』してしまうことやきれいごとや正義ばかりを求めていると、健全に生きられない『弱い人』を許せなかったり『外見』や『職業』で人を見下していることに気づきくようになり・・
『無意識』のうちに、自分のなかにある『刃物』で人を傷つけたり、傲慢な態度になってしまうことがわかるようになっていった。
こうして・・
みんなと『笑顔』で世の中を渡っていくためには、あまり厳しくなり過ぎず、ほどよくゆる~く『おおらか』になることが自分も人も『楽に』することができるという『賢さ』を身につけることができるようになり・・
さらには・・
控えめで謙虚であり『自我』を捨てることをいつも念頭においていたけれど・・
-
嫉妬だって自分を磨いたり高めたりすることに活かしたら、いい『バネ』にすることができる
-
負けん気だって大事!!。人をけおとすのと違って、肩を並べた良き『ライバル』になれれば互いに高めあえる
-
誰だって、人から認められたりほめられたりして『いい気分』を味わいたいもの、これを上手につかえば『生きる大きな力』にすることができる
と・・言えるまでに成長して『おとな』になっていった。
でも・・
『ヘビ』側の『傷ついた子ども』たちは、気をゆるめてしまったり、調子にのりすぎると、すぐにもとの『悪(ワル)』になってしまいそうになるため、私欲に流されそうになることを自分で律することを肝に銘じ・・
『感情』がたかぶり冷静さをなくしそうになったら、ゆっくり数をかぞえて気持ちをしずめ整えるようにして『衝動』や『悪(あく)』に流されない『強い自分』になろうと努力しているのでもあった。
『快感』『快楽』におぼれ甘さに弱い『依存症』にならずとも・・
『ヘビ』側の『傷ついた子ども』たちは・・
『こころ』の安定をはかれるように日常生活を健康的に健全にできるよう努め、ちょっとほれっぽかったり、美味しい食事やお酒を楽しんだり、ファッションや美容にこだわったり、ゲームや好きなものをほどよく楽しむことができるようになり・・
このような『趣味』や『娯楽』があるからこそ『ストレス』も解消できていいことづくめなんだ・・と言えるまでに成長して『おとな』になっていった。
一方『白ヘビ』側の『傷ついた子ども』たちも・・
神様は「人生、大いに楽しんでおいで・・」とこの世に『命』を授けてくれたのに、自分の人生なんだから、好きなことをして好きなものを食べて楽しませてあげなきゃもったいないし『禁欲』や『清貧』に傾きすぎたら人生に彩りがなくなってしまうことに気づき・・
冒険したり、寄り道したり、はめをはずしたり、贅沢することを生きる『よろこび』として楽しめる『賢さ』を身につけ、成長して『おとな』になっていった。
でも・・
『ヘビ』側の『傷ついた子ども』たちは『ストレス』がたまったり落ち込んだりすると、すぐに『弱い自分』が顔をだし、もとにもどりそうになるため・・
そんなときは、お掃除やお料理など『からだ』を動かすことに『集中』するようにしたり、苦しい気持ちを人に聞いてもらい気持ちを立て直すことで『弱い自分』を克服する努力をしているのでもあった。
ご機嫌とりになり笑っていても裏では泣いている『ピエロ』にならずとも・・
『ヘビ』側の『傷ついた子ども』たちは・・
みんなを笑顔にしたいから、むしろ『意識』してみんなの前でおちゃらけたり、わざと弱いところやカッコ悪いところを見せて親近感をもってもらうことで人気者になれれば・・
この『才能』を活して人を笑わせ明るく元気にすることが『仕事』になり、むしろ、自分を『卑下』することなく人の役に立つことができる・・という『賢さ』を身につけたのだった。
そうして・・
みんなを笑わせたり、楽しい気分にさせるのと・・みんなの笑いものになったり、いい気分にさせようとするのとは、全く違うんだよ・・と、言ってのけるまでに、成長して『おとな』になっていった。
でも・・
強そうな人には、ついつい弱気な自分がでてしまい、自分の気持ちと裏腹なことをしてご機嫌をとりそうになることもあるため・・
そんなときは、深呼吸して『ビクビク』してしまう気持ちをしずめ、堂々としていられる『勇気』をもち、胆がすわった自分になれるよう『修練』しているのでもあった。
『感情』も『表情』なくしてしまうほど『能面』にならずとも・・
『ヘビ』側の『傷ついた子ども』たちは・・
あまり感情を人前で出すのは得意ではないし、クールな自分でいる方が『自然体』でいられるからと、人とはほどよい『距離感』を保ちながら『楽に』いられるようになり・・
おかげで人のことを気にせず得意なことにのめりこみ全力を傾けて『仕事』に打ち込めるまでになっていった。
とはいえ、ひとりでいるときは、自分だけの世界にはいりこみ『趣味』や『娯楽』で思いきり感情を吐き出せるし、同じ嗜好をもっている仲間たちとは、打ち解けあいクールな姿とは真逆な明るく楽しい自分になれるから満足しているよ・・と、言ってのけるまでに成長して『おとな』になっていった。
それに・・
黙っていろんなことをよく観察しているため、ズバッと言うことが的をいていて人から一目おかれていることも満足できるようになっていった。
でも・・
お天気がよくなかったり、ゆううつなことがあったりすると、気分が沈み込んみ『ネガティブ』なことを『グルグル』考え、内にこもりそうになるから・・
そんなときは、落ち込んでいる自分を客観的に見つめながら上手に『距離』をとり『ポジティブ』になれるよう『気分』を切り替え、やり過ごすことを『修練』しているのでもあった。
こうして・・
『ヘビ』と『白ヘビ』の両方の『性エネルギー』にしたがえるようになった『傷ついた子ども』たちは・・
『ヘビ』がいたから『楽園』で生きる『快感』や『快楽』による『心地よさ』と『よろこび』を忘れずにいられ『白ヘビ』がいたから『楽園』で生きる『清らかな安らぎ』も思い出すことができ・・
人生を彩り豊かに楽しみながら、安らかに生きる『道』を見つけることができるようになり・・
- いち『生き物(動物)』として、たくましく嬉々として生きようとする『からだ』の『欲求』をかなえる『ヘビの性エネルギー』
- 人として、安らかに清く美しく生きようとする『こころ』の『要望』をかなえる『白ヘビの性エネルギー』
どちらもかなえてあげることがたいせつであり・・
そのときどきによって『ヘビ』側に傾くことも『白ヘビ』側に傾くこともあり、この両方が『ユラユラ』揺れながら『ちょうどいい感じ!!』の『バランス』を保っていることで『本性』が発揮され・・
自分の『特質』である『個性』や『才能』を活かした『ありのままの姿』で生きることが『本来の姿』であり・・
『本来の姿』の『本当の自分』を生き、自分の『花』を咲かせることができると『楽園』に還ることができ、これが『自然に還る』ことなんだということがわかるようになったのだった。
また・・
生きるために必要なものであっても、それを必要以上に『過剰』に求めたり、自分の『欲望』を完全に満たそうとしていると、常に『欠乏』や『不満』がつのり、目の前にある『しあわせ』に気づくことができず・・
どこまでいっても一向に『しあわせ』を感じることができず安らげなくなることにも気づけるようになったのだった。
それどころか、すべての『欲望』が完全に満たされてしまったら、むしろ『虚無』を感じ『生きる意味』をなくしてしまうだろうということにも気づけるようになり・・
ちょっと足りないぐらいの方が、満ちた瞬間の『しあわせ』や『達成感』を存分に味わうことができ、いつまでも『夢』や『希望』をもち続け日々の小さな『目標』に向って頑張ることや達成できた『よろこび』を感じることで『生きる力』はわきあがり・・
これが『しあわせ』につながっていくことが、よくわかるようになってきたのだった。
こうして・・
『傷ついが子ども』たちが『ヘビ』によって、さまざまな『人格』をもち『偽りの愛』を『経験』したからこそ『真実の愛』がいかなるものであるかを学ぶことができ・・
『白ヘビ』に導かれ、なんとか『自分らしく』生きられるまでに成長をとげたことで『傷ついた魂』は癒やされ・・
『ヘビ』は『モンスター』のお供をしながら『傷ついた子ども』たちを『真実の愛』に導くことができたのだった。
ブッヒーがつぶやいています。
なんとしても生き延び『生存』と『子孫繁栄』のための『使命』をまっとうしようとする『ヘビ』の『性エネルギー』を忌み嫌ったり、無視して・・
『社会』やまわりの人の『期待』や『望み』にしたがおうとしたり、自分が理想とする『いい子』や『いい人』であろうとすることは、とっても危険なことなのよ。
なぜなら・・
『ヘビ』の『性エネルギー』は『命』と直結しているから、これに『✖(バツ)』をつけて否定してしまうと『生きる基本』である『食べる・眠る・排泄する』ことがままならなくなり、自分を肯定することも信じることもできなくなり、生きていること自体が辛く厳しいものになってしまうからなのよ。
でも・・
長いあいだ、社会の『ルール』や『教え』にしたがうために『ヘビ』の『性エネルギー』は『抑圧・禁止』され『本能』は歪められ・・
それでもなんとか生き延びるために『歪められた本能』に『コントロール』されるがままになっていたけれど・・
もう、これからは『コントロール』の世界から自分を『解放』し『自然に還る』ときがきていて・・
自然界の『生き物』たちがそうであるように、必要なものをあたえてくれる自然の『恵み』に『感謝』しながら、自然がもたらす『変化』や『異変』も受けいれられる『しなやかさ』と『強さ』をもつことがたいせつになってきているのよ。
そのためには・・
『からだ』と『こころ』の声にいつも耳を傾けて『本来の本能』と『直感』にしたがうことがたいせつであり・・
『完璧』を目指そうとして、自分や人に『×(バツ)』をつけて『ムチ』をうつより、自分の『弱さ』や『ダメさ』も自分でわかってあげて抱きしめることができるようになると・・
人の『弱さ』や『ダメさ』もわかってあげられるようになり、自分にも人にも『やさしく』なれると人も自分も『自由』にしてあげられるようになるのよ。
こうして・・
どんなことも、ちょっと足りないぐらいだったり、欠けているぐらいが、きっとちょうどよくて、それを認め受けいれられるようになれれば、生きることがずっと『楽に』なり、人とくらべることなどない自分らしい『しあわせ』にも気づけるようになり・・
- 『ヘビ』の誘惑に負けない『賢さ』と『強さ』と『勇気』
- 『白ヘビ』の清く美しく生きようとすることに傾きすぎない『分別』
この両方を身につけながら、自分のことをたいせつにして自分を自分で『しあわせ』にしてあげることに『精一杯』になっていれば・・
経済的にも精神的にも『自立』でき『新しい世界』で生きるための『進化』をとげることができるようになるわよ。
でも実は・・
こういうわたしも完璧な姿の『理想的な自分』になろうとした『苦い経験』があったおかげで、ダメなところもあるまるごとの自分を愛し『自分らしく』あることが、健やかに安らかに気分よく生きられることがわかるようになったのよ。
- 『地球』や『宇宙』の愛とつながるものぞいてみてね。