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目をとじて耳をすませて・・

目を閉じて耳をすませて・・ サーアイアイ

 

目をとじて耳をすませて『魂の声』をきこう・・

 

『魂の声』と対話している『こころの目』がひらくようになるよ。

 

 ここでつかわれている『過去』は『*過去世』も含んでいるよ。

 

『*過去世』とは『現世』に生まれる前に生きていた『過去』の世のことを言い『魂』は新しい体をもらって何度も生まれ変わっているんだ。

 

ここに載せているすべての内容は、ぼくサーアイアイが、自分のなかに深く入って、自分の中にある『影』を観察したことによる『体験』と『洞察』に基づいているものだよ


『魂』の世界 サーアイアイ
『魂』の世界

 

この絵は、ぼくらの『魂』の世界をあらわしているよ。

 

真ん中にいる『こども』 は『真実の愛』に目覚めている『魂』であり、ぼくらの『本来の姿』の『本当の自分』なんだ。

 

この『こども』は『生命』の『源の愛』である『赤いハート』と共に生きているから・・

 

『ありのままの姿』で『個性』や『才能』を活かした好きなことや得意なことを『ワクワク』と楽しんで『自由』に生きているだけで、神様から『授けられた仕事』をして『自分らしく』しあわせに生きているんだ。

 

それはちょうど・・

自然界の『生き物』たちが『ありのままの姿』で『命』を嬉々と燃やし『イキイキ』と生きているのと同じで・・

 

これが、自分の『花』を咲かせ美しく輝いている『本来の姿』になるんだ。

 

だけど・・

ぼくらのご先祖さまは『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』のために『知恵』をつけた『あたま』で色んなことをあれこれ考えるようになり・・

 

『力』がある『権力』をもった人たちは、自分たちの『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』にとって優位になるような『ルール』や『教え』をつくり・・

 

『権力』をもたない人たちが『本来の姿』で生きようとするときに『自己卑下』と『罪悪感』と『おそれ』を植えつけてきたから・・

 

これが『本当の自分』を生きようとするときの『十字架』になっているんだ。

 

『本来の姿』で生きることに『自己卑下』と『罪悪感』と『おそれ』を背負わされている サーアイアイ

 

こうして・・

長い間『十字架』を背負わされ『コントロールの世界』による愛のなかで生きるしかなかったため・・

 

『からだ』と『こころ』からわきあがる『本来の本能』を『抑圧・禁止』するしかなく『本来の本能』は歪められ『魂』は傷つき『トゲトゲのハート』になってしまったんだ。

 

トゲトゲのこころ サーアイアイ
トゲトゲのこころ

 

『トゲトゲのこころ』になった『傷ついた魂』はそれでも、なんとか生き延びるために『ヘビ』から『知恵』を吹き込まれ本当の自分』を見失ったまま『本来の姿』とは違う『人格』を『表』にだしながらも『子孫』を残し生きながらえてきたんだ。

 

そして・・

この『傷ついた魂』は内なる傷ついた子ども』となって、お腹のなかに住みつくようになったんだ。

 

上記の絵でいうと、真ん中にいる『本当の自分』のまわりにいる子どもたちが『内なる傷ついた子ども』になるんだ。

 

でもね・・

この『内なる傷ついた子ども』は本当は『本来の姿』の『本当の自分』を生きたいと強く願っているんだ。

 

けれど・・

いざ『本当の自分』を生きようとすると社会の『ルール』や『教え』によってたたきこまれた「〇〇してはいけない」「〇〇は◇◇というものだ」「▽▽であらねばならない」という言葉が『呪文』のように『あたま』のながで『グルグル』してしまい・・

 

さらに・・

『本当の自分』を生きようとしたとき、ひどい目にあわされてきた『過去』の『こわいドラマ』が浮かびあがり、そのときの『おそれ』や『絶望』に襲われ『こころ』が苦しく『ドキドキ』してしまうため・・

 

『こころ』の声にしたがうことができず『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』のために『あたま』をフル回転させなければ生きていけないと思い込んでいるんだ。

 

でも・・

地球は『周波数』が高くなり『本当の自分』を生きないと、生きるのが辛く苦しくなってきているよ。

 

なので・・

目をとじて耳をすませて『魂の声』をきいてあげて、その『望み』をすこしづつでもいいからかなえてあげることで『傷ついた魂』を癒やしていくことがたいせつになってきているよ。


目をとじて耳をすませて『魂の声』をきくためには・・

 

『ありのままの姿』をまるごと愛してくれる『自然』のなかで、ひとり静かに目をとじて・・

 

『五感』をフルにつかって『からだ』で感じる感覚と『こころ』で感じる気分に『意識』を『集中』して『あたま』を『無』にすることができると『あたま』のなかの『グルグル』と『こころ』のなかの『モヤモヤ』から自分を『解放』してあげられるようになるんだ。

 

すると・・

だんだん気分が落ち着いてきて『自然』とつながりやすくなり『あたま』と『こころ』と『からだ』は緊張がほぐれ『バランス』が整い『リラックス』できるようになるんだ。

 

このように・・

ひとり静かになれる『時間』と『空間』を自分にあたえてあげて『あたま』で考えることをやめて『からだ』と『こころ』感じることに『集中』していると『魂の声』がきこえやすくなるよ。

 

例えば・・

  • キャンプなどで静かに『炎』をながめていたり
  • 自然のなかでぼんやり空や雲をながめていたり
  • 自然のなかの鳥や虫や風の音に耳をすませていたり
  • 川や海の繰り返す音にただ耳をかたむけていた
  • 森や海や自然のニオイを思いきり吸い込んだり・・

できるといいんだ。

 

もし、自然のなかに身を置くことができない場合は・・

  • なにも考えずしばらくのあいだ『ぼ~っと』していたり
  • 自分ひとり静かになれるところで『目をとじて』自分の呼吸に意識を集中して呼吸をゆっくり数えていると・・

『瞑想』しているような感じで『無』になれるんだ。

 

最初のうちは『内なる傷ついた子ども』の・・

  • 『不安』や『心配』や『不信』や『おそれ』からわきあがってくる声や
  • 『怒り』や『悲しみ』や『憎しみ』や『恨み』などの人や自分や出来事を責める声や
  • 『罪悪感』や『後悔』などの自分を責める声

ばかりが聞こえてくるかもしれないけれど・・

 

この声も『傷ついた魂』の叫びなんだから、ちゃんと受けとめて聞いてあげながら・・

  • 毒つきたかったら、思いきり毒つかせてあげて
  • 泣きたかったら、思いきり泣かせてあげて
  • 怒りたかったら、思いきり怒らせてあげて
『内なる傷ついた子ども』の抑えこんできた『感情』を思いきり吐き出させてあげると『からだ』と『こころ』のなかにたまった『泥』や『毒』が吐き出されて、だんだん『スッキリ』してくるようになるんだ。
このとき・・
『泥』や『毒』を吐き出したことにたいして「こんなに、怖ろしいこと考えていたなんて・・」「きみは獣か・・」「どうして、きみは、そんなに弱いんだよ」などと叱りつけたり責めたりしたら『内なる傷ついた子ども』は、自分のことをすこしもわかってくれようとしていないことに『怒り』もっとあばれだし、どんどん『こころ』を閉ざしてしまうから気をつけてね。

 

むしろ・・

「よく耐えたね、苦しかっただろうによく頑張ったね・・といって『辛かった気持ち』をわかってあげて、なだめ、ねぎってあげよう。

 

そうして・・ 

でも、もう、だいじょうぶよ。今、ここにいるぼくが、きみを救いだしてあげるから・・きみを縛りつけ苦しめている『古い意識(思考・感情)』はもう要らないものなんだから、ぼくが、きみを『解放』してあげるよ」とやさしく話しかけてあげよう。

 

実は・・

この『内なる傷ついた子ども』が、一番、きみの近くにいて、きみのことをよ~く見ていながら、きみの『愛』を欲しがっている『寂しがりやさん』でもあるんだ。

 

だから・・

『内なる傷ついた子ども』に・・

  • 今、なにを感じてる?どうしたい?
  • きみの『本当の気持ち』はどんな感じなの?
  • きみの『本当の望み』はなに?
  • きみはどうありたいの?

とやさしく問いかけてあげると『内なる傷ついた子ども』は、すこしづつおだやかになってきて、自分の本当の『気持ち』や『望み』を伝えてくれるようになるよ。

 

けれど・・

相変わらず『無意識』のうちに・・

  • 自分に『ウソ』をつき続けていたり
  • やりたくないことばかりして『いい子やいい人』ぶっていたり
  • したいことをしていたとしても、なんか『後ろめたい気持ち』や『悪いことをしている・・』という『罪悪感』をもってしまうと・・

『内なる傷ついた子ども』は、自分の本当の『気持ち』や『望み』をちゃんとわかってくれていないことに・・

  • 腹をたて『イライラ』怒りっぽくなったり
  • ぐずって『不機嫌』になったり
  • 悲しい気持ちがこみあげ体調をくずしてしまったり
  • 「やっぱり自分のことを救いだしてはくれないんだ」と絶望的な気持ちになったりして・・

生きることに『オドオド』とおびえるようになったり、自分のなかに閉じこもりまわりの人たちに反抗的になったり、生きることが『イヤ』になって人や自分自身を傷つけるようになってしまうから注意が必要になるんだ。

 

また・・

こんなふうに『内なる傷ついた子ども』の『苦しい気持ち』が大きくなってしまうと・・

  • 自分の『気持ち』や『望み』なんて、まかりとおるわけないだろう
  • 『夢』をかなえようとして冒険なんてしたら、失敗して痛い目にあうのに決まってる
  • おとなしくしていれば、なんとか生きていけるだろうに・・
ヘビがよからぬことを吹き込む サーアイアイ
ヘビがよからぬことを吹き込む

 

などと『本当の自分』を生きることに『ストップ』をかけるような『おどし』を『ヘビ』がしかけてくるようになり・・

 

もっと『ビクビク』させられながら『保身』や『損得』や『下心』にからむ『そそのかし』や『甘い誘惑』をしてくるようになり・・

 

特に、家族やたいせつな人の『生存(生き残り)』や『防衛』に関わることをなんとかしようとする『情(じょう)』に訴えかける『罠』を仕掛けられてしまうと・・

 

『おどし』や『そそのかし』や『甘い誘惑』にはまって『どうにかなっている』ことすら気づけなくくなり・・

 

『本当の自分』を見失ったまま『古いパターン』から抜け出せなくなってしまうんだ。

 

なので・・

『ヘビ』の『罠』を『聖なる剣』で払いのけ『白ヘビ』に導いてもらうことで・・

 

『聖なる剣』で『ヘビ』の『罠』を払いのけ『白ヘビ』に導いてもらう サーアイアイ
『聖なる剣』で『ヘビ』の『罠』を払いのけ『白ヘビ』に導いてもらう

  

自然にわきあがる『からだ』の『欲求』と『こころ』の『望み』が『本来の本能』であり・・

 

『生存(生き残り)』と『防衛』のためにあれこれ考え『あたま』を使わなければならないのが『歪められた本能』であることがわかり・・

 

『本来の本能』と『歪められた本能』との『分別』がつくことで、まわりの人がいう『雑音』や外で起きていることに惑わされなくなり『本当の自分』を生きていこうと思えるようになるんだ。

 

でも・・ 

ぼくらは、たいてい『無意識』に生きているから『ヘビ』に惑わされ『歪められた本能』に操られ、コントロールされてしまっているんだ。

 

そりゃ、そうだよね・・

 

『ヘビ』は『生き物』としての『使命』である『生存』と『子孫繁栄』を果たすための『神様からの使い』であり・・

 

『ヘビ』がいるからこそ、ぼくらは、生きることに『よろこび』や『楽しみ』や『ここちよさ』を感じさせてもらい、ここまで生き延びることができたんだから・・。

 

だからといって『ヘビ』の『罠』に惑わされるのをこわがり必要以上に『ヘビ』を恐れ、忌(い)み嫌ってしまうと『生き物』として生きていくための『基本』となる『食べて・眠って・排便する』ことがままならなくなるばかりでなく・・

 

本来なら自然にわきあがる人を『恋する気持ち』や『愛すること』すら怖くなってしまい、避けるようになってしまうんだ。

 

また・・

自分が得意で楽しくできることに励むことも今まで楽しくできた仕事にも『自信』がもてなくなってしまうんだ。

 

こうなってしまうと、自分の『命』を肯定することも、自分のもっている『生きる力』を信じることもできなくなり『自己肯定感』と『自尊心』がものすごく低くなり・・

 

『生きる糧』や『生き甲斐』を得ることができなくなり、生きること自体が辛く厳しいものになってしまうんだ。

 

だからこそ・・ 

『からだ』の『欲求』にしたがい生きることに『快感』や『快楽』をあたえ『生存』と『子孫繁栄』の『使命』をまっとうしようとする『ヘビ』と『こころ』の『望み』にしたがい生きることで『精神』を高め『安らぎ』をあたえてくれようとする『白ヘビ』との『バランス』をとることがたいせつになるんだ。

 

本性は『ヘビ』と『白ヘビ』からなっている サーアイアイ
本性は『ヘビ』と『白ヘビ』からなっている

 

そのために・・

『からだ』と『こころ』の声にしたがい、小さなことから自分の本当の『気持ち』や『望み』をかなえてあげるようにしていると・・

 

『内なる傷ついた子ども』の『傷』はすこしづつ癒され『ヘビ』と『白ヘビ』の『バランス』が整うようになり本性』を活かして生きられるようになることで・・

 

真ん中にいる無邪気な『こども』 がすこしづつ元気になってきて『目覚める』ようになるんだ。

 

光明を得る サーアイアイ

 

こうして・・

『こころの目』が開き『裸の王様』のこどものように目の前の『事実』に対してまっさらな目で無邪気に『真実』を語れるようになると・・

 

『過去』がつくりだした『メガネ』をとおして見ていた『歪んだ濁った世界』とはまるで違う・・

 

幼いこどもの『曇りのない澄んだ目』で『ピュアな世界』をみることができるようになるんだ。

 

この無邪気な『こども』が『本当の自分』である『真我』であり『内なる神様』でもあるんだ。

 

『内なる神様』である『真我』 サーアイアイ
『内なる神様』である『真我』

 

すると・・

『自分を信じる』ことはそのまま『神様を信じる』ことになり『こころのままに』あれば『神様のいうとおり』になることもわかるようになり・・

 

これが『光明』となって・・

 

『自分を信じる』ことに迷いがなくなり『こころのままに』あれば『本来の姿』の『本当の自分』にもどることができるんだ。

 

こうして・・

『赤いハート』と共に生きられるようになると『多種多様』な『命』と自分が同じ『メンバー(member)』・・つまり『家族』であることを『思い出す』ようになるんだ。

 

『思い出す』を英語にすると『Remember』だよね。

 

この『Remember』をぼくが解釈すると・・

 

分離の幻想』から目が覚めると『分離』していた『個』が『Re-』=再び『member』=『家族』にもどることが『本来の姿』の『本当の自分』であることを思い出せるようになり・・

 

自然界の『生き物』たちが『自然』とつながり『命』を美しく輝かせ嬉々として生きているように・・

 

すべての『命』がそれぞれの『存在』を認めあいながら、互いの『存在』を気にすることなどない『家族』のようであり・

 

『空気』のような有るか無いかわからない、でもなくては生きていけない『無条件・無償の愛』のなかで共に生きることで『お互いさまのおかげさまのありがとう』のつながりのなかで、めぐりめぐって生かされるようになるんだ。

 

そして・・

これが『自然に還る』ことになるんだ。


だから、もし・・

  • 『あたま』でグルグル同じようなことを考えて
  • 『こころ』がモヤモヤ・イライラして息苦しく
  • 『からだ』がずっしり重く、あちこち痛くて
  • 一生懸命、がんばっているのにうまくいかず、毎日が『おそれ』や『不安』や『不信』ばかりで少しも楽しくないと感じているのであれば・・

『内なる傷ついた子ども』が「本当の自分を生きて~~苦しいよ~」と叫んでいるということに気づいてほしいんだ。

 

ひとり静かになれるところ、できたら、自然のなかに身を置いて、自然の音やニオイや感触や味に触れ『五感』を研ぎ澄ませ、なにも考えず『ぼーっと』してると『あたま』の中の『雑音』が静まり『静寂』を得られるようになるよ。

『魂の声』が『赤いハート』からきこえる サーアイアイ
『魂の声』が『赤いハート』からきこえる

 

すると・・

閉じていた『感性』が目を覚まし『あたま』ではなく『こころ』で感じることができるようになり『魂の声』が『赤いハート』からきこえてくるようになるよ。

 

さぁ~、目をとじて耳をすませて『魂の声』をきいてあげよう☆


💗『色』をとおして自分と向き合い『からだ』と『こころ』の声に耳を傾けてみませんか・・。

 

『赤いハート』からきこえてくる『本当の気持ち』や『望み』または『魂の声』をきくお手伝いを『色(パーソナルカラー診断)』でしております。