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『生きる力』を培うのは『信じること』

『生きる力』を培うのは・・ ハッピー

 

『花』は自然の『恵み』をありがたくいただくだけで『種』を根づかせ『芽』をだし『茎』を伸ばし『つぼみ』をつけ『花』を咲かせることができる『生きる力』をもともと備えている。

 

人もまた、このような『生きる力』をもともと備えていて、この『生きる力』を信じることができれば・・

 

『生きる力』は培われ『花』を咲かせることができる


親が、こどもの『生きる力』を信じきれないのはなぜなのでしょう?

 

実は、自分自身のなかにいるもうひとりの自分である『内なる傷ついた子ども=傷ついた魂』が、傷ついたまま癒されず、苦しんでいたり、泣いていたり、怒っていたり、叫んでいたりするのに・・

 

 

『内なる傷ついた子ども』の本当の『気持ち』や『望み』である『本心』をわかろうともせず・・

 

いまだにぬぐいきれずにいる『心配』や『不安』や『不信感』を目の前にいる自分のこどもに映し出し(投影)てしまうため・・

 

こどもと自分とは、別の『個』であるのにもかかわらず、自分がした『苦いおもい』や『失敗』をこどもにはさせたくないと思い込んでしまい、こどもの『生きる力』を信じきれず・・

 

過度』に心配して、障害物を先回りして取り除き『過保護』になってしまったり、危ないことにならないように『監視・干渉』しては『過干渉』になってしまうのである。

 

また・・

あきらめてしまった自分の『夢』や『願望』に無念のおもいを残したままになっていると、目の前にいるこどもにその無念を晴らしてもらおうとしてしまい・・

 

こどもがもっている『個性』や『才能』を知ろうともせず、親の『要望』や『期待』を意識的であれ無意識的であれ押しつけ『プレッシャー』をあたえたり、こどもがしたいことに『ブレーキ』をかけては『自由』を奪ってしまうのである。

 

そうして・・

親が考える『安全に生きられる道』や『素敵な将来』や多くのこどもたちと馴染める姿であってほしい、ちゃんとしてほしい・・などとばかり思ってしまうため・・

 

こどもの『生きる力』を信じるどころではなく『至らなさ(できないところ)』や『弱さ(弱点)』や『欠け(短所)』ばかりが目につき責めては・・

 

自立の芽が摘まれてしまう ハッピー
自立の芽が摘まれてしまう

 

こどもの『意思』や『自由』は『尊重』されず『自己肯定感』と『自尊心』は傷つけられ、こどもの『自立の芽』は摘まれてしまうのである。

 

こんなふうになる親子には、2つのタイプがある。


『親おもいのいい子』や『やさしい子』である場合・・

 

親をよろこばせたいがために親の『期待』に応える『いい子』になり、が考える安全に生きられる道』や『素敵な将来』に進むことは、きっと自分にとっても良いことなのだと『思い込んで』いるため・・

  • 自分の本当の『気持ち』や『望み』に気づく間もなく『いい子』になろうとしていたり
  • 親の『期待』に応えるために『無意識』のうちに自分の本当の『気持ち』や『望み』を抑えこんでいたりして・・

『本当の自分』がわからないまま、親の『いいなり』になってしまっていることがある

 

また・・

親の苦労を見ているこどもであったり、親の世話を自分がみてあげなければならないこどもであると、なおさら・・

 

親が悲しむ姿は絶対、見たくないと強く思っているため、なんの不満もなく親の『期待』に応えようと張り切るものの『本当の自分』を生きていないために『魂』はやがて苦しみだし・・

 

一生懸命やっていることであってもなぜかうまくいかなかったり、毎日がスッキリせず楽しくなかったり、食欲もなくなりよく眠れなくなったりして、心身に不調をきたすようになってしまう。

 

それでも、おしりをたたいて親の『期待』に応えようと頑張り、なんとか『葉っぱ』をつけたとしても『本来の姿』ではないため、そのまま枯れてしまうようになる。

 

そうして・・

自分の『種』のなかにある『特質(個性・才能)』に気づくこともできず、自分とは違う『特質(個性・才能)』を一生懸命、生きようとしているため『命』は弱々しくなり生きることが辛くなってきてしまう。

 

でも・・

こんな親子は仲良しで互いに支えあっているため『心身の不調』が『親子の関係』からきているとは全く気づけず、原因不明なまま『うつ』のような状態になり『生きる気力』が徐々に失せてしまうことがある。

 

もし・・

心身が不調になったこどもが自分に向き合い、自分の本当の『気持ち』と『望み』である『本心』に気づくことができたのなら・・

 

親の『心配』や『ご機嫌』をとることを第一に考えてしまう『思考』から自分の人生を自分のために生きる『思考』に切り替え『いい子』『できる子』『まじめな子』『やさしい子』を卒業して・・

 

自分が望むように生きることに自分に『許可』をあたえ、自分の『本心』を親に伝え、自分がしたいことをするようにしていけばいいのであるが・・

 

今までずっと親の『期待』に応えることに『よろこび』を感じてきたため、いざ自分がしたいことをしようとすると『罪悪感』がわきあがり『本当の自分』を生きることに『ストップ』がかかってしまうため、なかなか思うようにいかなくなってしまう。

 

なので・・

「『本当の自分』を元気に生き、すべてがうまくいきますように・・」と神様にお祈りしながら『罪悪感』を手放せるように、すこしづつでもいいから自分がしたいことをして、すこしづつでも元気をとりもどすようにしていると・・

 

最初のうちは、今までと違うこどもの姿に親は驚き、親子の関係は『ギクシャク』してしまうかもしれないけれど・・

 

こども自身がある意味、強くなって、自分がしていることを『肯定』する『自己肯定感』と自分を『たいせつ』にする『自尊心』を育てていくようにしていると・・

 

すこしづつ、親もこどものことをわかろうとして『尊重』してくれるようになり、親も自分を生きるためにしたいことをするようになったり、自分のお世話をこどもに頼らず必要な『援助』を受けることで『親子の関係』は健全になり良好なものになっていく。

 

その逆のタイプとして・・

『親に反抗する子』である場合・・
 

こどもの『ありのままの姿』を認めることより、親が決めつけた将来意識的であれ無意識的であれこどもに押しつけていることを敏感に感じとっているこどもは『本当の自分』を認めてもらえないことに『怒り』をおぼえ『反抗』するようになる。

 

本当は、自分の『本当の気持ち』を伝えたいのに言葉でうまく伝えられない『もどかしさ』と「本当のことを言ってもきっとわかってもらえない・・」という不信感のために、親に素直になることができず『反抗』してしまうのである。

 

親に『反抗』する姿を見せることで、なんとか自分の『本当の気持ち』に気づいてもらいたいと思っているのにもかかわらず・・

 

このおもいは一向に親には伝わらず『むなしさ』と『怒り』ばかりがつのってしまい『こころ』はどんどん閉ざされ、もっと、あばれたり、悪さをするようになってしまう。

 

こうなってしまうと・・

親はこどもをこわがりこどもと向き合うどころか『腫れ物』に触るようになり、親子の『溝』は深まるばかりで、こどもは頑なに『こころ』を閉ざしたまま『情緒』は『不安定』になり『反抗』は手におえなくなったりもする。

 

親にしてみたら、こどものことをおもい『辛いおもいをさせたくない』『安全に生きられるようにしてあげたい』『素敵な人生を送ってほしい』と願っているだけなのに、どうしてこんなことになってしまうのか見当がつかず『理解』できないまま・・

 

こどもの方でも自分のことをわかってくれない親のことを憎んだり恨んだりばかりして互いに『信頼』することができなくなってしまうのである。

 

でも・・

こんな2つのタイプの親たちの『こころ』の奥底には、自分でも気づけない『無意識』のなかに・・

 

実は、こどものために『辛いおもいをしたくない』こどもの成長を誇りにおもい『自慢したい』、いつまでも可愛いこどものままで自分から離れてほしくない、自分を見捨てないでいて欲しいなどという『我欲』が潜んでいたりして『コントロール』していることにも気づけないでいるため・・

『生きる力』を信じてもらえない『種』 ハッピー
『生きる力』を信じてもらえない『種』

 

『生きる力』を信じてもらえない『種』は傷つき、それでも弱い根をすこしだけはって茎をなんとか伸ばそうとしているものの・・

 

しっかり根づいていないため茎も弱々しく『クネクネ』して、やっとついた『葉っぱ』も枯れそうになってしまうのである。 

 

さらに・・

この2つのタイプの親子関係は、密着しすぎて『共依存』の関係になっているともいえて・・

 

親は「こどものためにこんなに頑張っているのに・・なぜ?」とおもい、こどもは「本当の自分を生きられないのが苦しいよ・・」と訴え、互いに『被害者意識』をもちながら・・

 

親もこどもも「自分がいてあげなくては・・」と思う反面「自由になりたい・・」とおもっていたり「どうせ、自分のことはわかってもらえない・・」と思う反面「自分のことをわかってもらいたい・・」という『真逆なおもい』が混じり合い・・

 

互いに、離れることへの『罪悪感』と『おそれ(恐怖)』を感じながら離れることができず『無意識』のうちに『生きる力』を奪いあい弱めあっては『自立』することができないでいるのである。

 

こういう親子関係は『こころの傷』が似ているもの同士がコインの表と裏』のような関係にあり、互いが自分を映す『鏡』になっていて・・

 

『本当の自分』を生きられなかった、そして、今も『本当の自分』を生きていない親の『内なる傷ついた子ども』が「本当の自分を自由に生きたいよ~~」と訴えているのに、そのことに気づけずにいるため・・

 

目の前にいるこどもが『内なる傷ついた子ども』の姿を『鏡』のように映しだし「本当の自分を自由に生きたいよ~~」と訴えているのである。

  

このような親子の関係は、このままいくと『世代間連鎖』しやすくなってしまうため『共依存』の関係を断ちきり終わりにするためには・・

 

こどもをなんとかしようとすることをやめて、親自身が自分と向き合い、自分のなかにいるもうひとりの自分である『内なる傷ついた子ども』の訴えに気づき・・

  • 『ありのままの自分』を認めて愛してもらいたかった
  • 自分の本当の『気持ち』や『望み』をわかってもらいたかった
  • 辛かったり苦しかった時に話をきいて助けてもらいたかった
  • やりたいことを自由にやって、自分の『個性』や『才能』を存分に発揮したかった
など、悲しくて、寂しくて、辛くて、苦しいおもいをわかってあげて・・

 

ずっと押し殺し封じ込めてきた『怒り』や『悲しみ』を吐き出し、ためこんだ『毒』を出してあげることで『からだ』も『こころ』もスッキリ軽くなるようにしてあげながら・・

  • どんな自分であっても『ありのままの自分』を認めて愛し、自分にもっと『やさしく』するようにしたり
  • 自分の『こころ』と『からだ』の声に耳をかたむけ、自分の本当の『気持ち』や『望み』がどんなものかを知り、自分がしたかったことや今、したいことを自分にさせてあげるようにしたり
  • 目の前にいる自分のこどもの『至らなさ(できないところ)』や『弱さ(弱点)』や『欠け(短所)』はもしかしたら、自分のなかにもあるものかもしれないし、自分のご先祖様のなかにあったものかもしれない・・と省みて多少のことは大目にみながら、できていることをほめるようにしたり
  • 自分の『過去』にあった辛かったことや苦しかったことなどの『体験談』をこどもに打ち明け「なにか辛いことや苦しいことがあったら、お話ししてくれる?」とこどもにもちかけ『本心』を伝えあい、互いに向き合う機会をもつなど・・

こころがけるようにしていると『内なる傷ついた子ども』の『こころの傷』は癒されるようになってくる。

 

こうして・・

今まで、子どもを『監視・干渉』しては『抑圧・禁止』することばかりに一生懸命になっていた『気=エネルギー』を自分に向け、自分がしたかったことを見つけ、それを『仕事』や『趣味』にすることができると・・

 

自分の人生を自分のために生きられるようになり『自立』に向って踏みだすことができるようになる。

 

すると・・

こどもの方も『コントロール』されていた気分が軽くなり『自由』に好きなことや得意なことをしたくなり『種』のなかにある『特質(個性・才能)』を伸ばすことが『ワクワク』楽しくなって『自立の芽』が育つようになる。

 

こうして・・

目の前にいるこどもを信じて見守ることができるようになると、互いに『自立の道』に進んでいけるようになる。

 

すぐにこんなふうになれなくても、こうなれるように親が『意識』して、自分の人生を自分のために楽しむ『ゆとり』をもちながら、こどもの『生きる力』を信じ・・

 

ある程度『放っておいて』好きなようにさせてあげることができると、こどもは自分の人生を自分の『意思』で決めて生きる『自由』と『責任』をもつことができ・・

 

親子の『共依存』の関係はゆるみ、互いの『自由』を『尊重』しあえる親子関係を築くことで互いに『自立』できるようになってくる。

 

ただ・・

親の『意識』がなかなか変わらず、親の『内なる傷ついた子ども』を癒やすことができない場合は・・

 

どんなに離れることが辛くても、世間の親子の関係と違っていたとしても、親からの『コントロール』から自分を解放してあげるために、こどもが親元から離れ『子離れ・親離れ』する必要があり・・

 

ここでたいせつなことは、こどもが自分が自分の『責任』で自分を『しあわせ』にすると決めて『本当の自分』を生きていいと、自分に『許可』をあたえ、親元から離れる『意思』をぐらつかせないようにすることであり・・

 

そのためには、自分のことをたいせつにする『自尊心』と自分がしようとしていること・していることを肯定する『自己肯定感』を高めながら、親元を離れることへの『恐怖(おそれ)』や『罪悪感』を手放すことができるようになると、すっきりした気持ちで巣立っていけるようになる。

 

けれど・・

親元を離れることへの『恐怖(おそれ)』や『罪悪感』が少しでも残っていると、自分の『弱さ』に打ち克つことができず・・

 

親のことが心配になるようなことが起きたり、経済的な理由のために、親元から離れられなくなる『事態』に見舞われたりして、おもうように離れることができなくなってしまうので・・

 

親元を離れることは互いの『自立』のための『とおる道』だという『覚悟』と『勇気』と強い『意思』をもって、わきあがる『情(じょう)』や『罪悪感』や『恐怖(おそれ)』をすっぱりと手放し、これによって親も自分も『自立』することができると信じることがとてもたいせつになる。

 

とはいえ・・

この『境地』に達するためには、そうとうの『葛藤』を乗り越える必要がある。

 

けれど・・

この『葛藤』のなかで得られる『気づき』や『学び』が『魂』を大きく強く成長させ『自然に還る』ことを促してくれるともいえる。

 

また・・

幼い子どもや未成年者の場合、親元から離れれことができず『苦しいおもい』をしているようなら・・

 

まわりにいる信頼できるおとなに『助け』を求めたり、公共の相談窓口などで相談にのってもらい自分の『居場所』や『自由』が得られるようにして、自分を救い出すことがたいせつになる。

 

この過程で、親が『過保護』や『過干渉』や『監視』をしてしまう自分に『気づき』を得て、そんな自分を変えたいとおもうのであれば・・

  • 子どもに向ける『気=エネルギー』を自分の興味・関心のあるものに向けたり
  • 子ども以外の、全く違う関わりをもてる人たちと楽しく過ごせる場を見つけるなどして
密着しすぎている親子関係をすこしづつほどくようにしながら・・

 

『意識』して、こどもに手や口をだしたくなる気持ちをぐっとこらえ、こどもに『自由』をあたるよう努力していると、こどもの『自主性(自ら進んでする)』『主体性(自ら考え行動する)』を尊重できるほどよい『距離』を保てるようになり・・

 

互いに自分を自分で『しあわせ』にする『意識』にシフトすることができるようになると、親もこどもも、それぞれが『夢』や『希望』をかなえながら『本当の自分』を生きる『自立の道』に進んでいけるようになる。

 

これらの『親子関係』と似たような『コントロール』は『共依存』の恋人や夫婦においてもなされるため、互いが『自立』するためには、互いの『自由』を『尊重』できる一定の『距離』を保つか、きっぱり離れることで『自立』が促されるようになる。


『花』は自然の『恵み』をありがたくいただくだけで『種』を根づかせ『芽』をだし『茎』を伸ばし『つぼみ』をつけ『花』を咲かせることができる。

 

それは、もともともっている自分の『生きる力』に疑いもなく『ありのままの自然な姿』のまま生きているからであり・・

 

人もまた自然(神様)の愛と同じ『無条件・無償の愛』で『ありのままの姿』を認め『生きる力』を信じて、必要なときに『必要なサポート』と『自由』をあたえ『見守る』ことができると『生きる力』は培われ『花』を咲かせることができる

 

というわけで・・

『生きる力』を培うのは『生きる力』を『信じること』にあり・・

 

種を花開かせるのは『信じるこころ』
種を花開かせるのは『信じるこころ』

 

その『生きる力』を自ら培うためには・・

 

自分の『種』のなかにある『特質(個性・才能)』の『素晴らしさ』と『強さ』を自ら知り、その『力』を信じきって・・

 

自分の本当の『気持ち』や『望み』である『本心』に素直に正直にあり、好きなことや得意なことや楽しくできることに『恋する気持ち』や『情熱』をもって、日々、精をだしていると『生きる力』は発揮され・・

 

こうして・・

毎日を『ワクワク』と楽しく気分よく生きられるようになると『生きる力』は培われるようになる。

 

そのためには、好きなことや得意なことや楽しくできることをしてもいいという『許可』を自分にあたえ、自分を肯定する『自己肯定感』と自分をたいせつな存在とする『自尊心』を高く保つことがたいせつであり・・

 

生きる『よろこび』や『楽しみ』や『ワクワク』を感じながら、自分の『ご機嫌』を自分でとり、自分をたいせつに愛してあげることができると『自立』でき『命』は、いつまでも若々しく美しく輝くことができる。

 

なので・・

お年寄りも、今までの『経験』をいかせるような『仕事』や楽しく打ち込める『趣味』や『娯楽』または『恋愛』などに『恋する気持ち』や『情熱』をもって『精』をだすことができると『生き甲斐』を感じられるようになり、いつまでも『若々しく』生きられるようになる。

 

さらに・・ 

これらのことをとおして、人とつながれたり、人のためになったり、人をよろこばせることができると『達成感』や『満足感』が得られ、大きな『よろこび』へとつながり、ますます元気でいられるようになる。

 

こんなことから・・

お年寄の『知恵』や『経験』をこどもたちと交流するなかで活かすことができると、こどもたちは、先人の『知恵』を学ぶことができ、お年寄りは、みずみずしい『感性』をもったこどもたちと触れあうことで『脳』を活性化させることができ・・

 

『年齢』や『経験』が違うものどうしが、良い『刺激』を交わしあうことで、多くのことを学べあえたり、互いの違いを『認めあう』ことで『思いやり』の気持ちをもつことができると・・

 

古いものと新しいものが触れあうことで、よきものが生まれるようになる。

 

これも『お互いさまのおかげさまのありがとう』のつながりのなかで生かされ、めぐりめぐる『愛』となる。

 

さらに・・

自分の身のまわりのことちょっと頑張ればできそうなことやちょっとやってみたいと感じる新しいことに挑戦することで『達成感』を得られたり、脳に『刺激』をあたえることができると『生きる』ことに『自信』と『ワクワク』がもたらされ・・

 

「これもできそうだ!!」「今度はあれもやってみよう!!」という『気力』が生まれ『生きる力』を衰えさせることなく培っていくことができる

 

これは、お年寄りばかりでなくこどもにもおとなにもあてはまることであり・・

 

ちょっと頑張ればできそうなことを『目標』にかかげ、あとは本人にまかせ『放っておいてあげる』ぐらいのゆったりした気持ちでまわりにいる人たちが見守り『目標』に向って頑張っていることを励ましたり『成果』がでたことをほめることで『生きる力』はぐんぐん培われるようになる。

 

この『放っておいてあげる』ことが『生きる力』を『信じること』につながり『生きる力』を培うことになる。

 

なので・・

高齢の親にも世話を焼き過ぎたり制限をかけ過ぎたりせず、親の『生きる力』を『信じながら』必要なときに『必要なサポート』をしながら、むしろ好きなことを『自由』にさせてあげ、ちょっと頑張ればできそうなことを励みにしてもらうことができると、親の『生きる力』を培うことができる。

 

そうして・・

どんな『命』も、生まれてから天国に召されるまで・・

 

愛し愛される『つながり』をもちながら、好きなことや得意なことや楽しくできることに『恋する気持ち』や『情熱』をかたむけワクワク』した日々をおくることができると『生きる力』をず~っと培うことができるようになる。