我が家の庭に咲いているお花たちを紹介します。
春の花は香りが良いので、ほんの少し部屋に飾るだけでも、心身が深く癒されます。
それに、生気に満ちた花のもつ自然なエネルギーを気づかぬうちにチャージできますので『からだ』は元気になり『こころ』も潤すことができます。
そんなお花を『こころのままに』自由にデザインしてみました。
フキノトウは、フキみそにして食します。ほろ苦い味が毒素を浄化して、春のからだを元気にしてくれます。
道行く人たちに「椿がすごいね!!」と言われるほど、今年はたくさんの花をつけてくれました。
雪柳は少し甘い香りがします。
玄関に飾ると、甘い香りに気分がほぐれます。
香りを楽しむためだけに花を挿すときは、あまり『あたま』であれこれ考えずに、雪柳の流れのままに挿します。
この白くて小さな花の自然な流れを見ていたら、京都御所に咲くさまざまな花たちが思い出されました。
すると、なぜか雅な気分になってしまい、小さな船にのったお姫様が雪柳が咲きみだれている池で水遊びをしている風景が浮かびました。
わたしは、時々、花を眺めていると、どこかにトリップして『ファンタジーな気分』にひたってしまうところがあります。
ムスカリをスパイスの小瓶に挿して、それをコップに入れます。さて、どんなデザインになるでしょう・・。
ムスカリのまわりに白山吹をぐる~っと挿したら、こんな感じになりました↓。
小瓶にムスカリを挿すことで、外に広がってしまうムスカリを密集させることができ、まとまります。
白山吹は、ほぼ2日ぐらいで散ってしまいますが、落ちた花びらも可愛らしいのです。
このデザインは、360度、どこからみても楽しめるデザインになっています。
見る角度によって表情が変わるので、ぐるぐる回して一番お気に入りのポジションを正面にします。
白山吹は、毎年、たくさんの花をつけてくれます。
となりのチューリップは、小学校の春の花壇を思い出させてくれます。
花ニラ、水仙、チューリップ、ムスカリ、なでしこ、キンギョソウ、アリッサム、ノースボール・・など春の花が咲きだしました。
まずは、花ニラをさりげなく挿してみました。
元気な花ニラさんたちは、あちこち向いています。
なかには、カメラ目線の目立ちたがり屋さんもいます。
そんな花ニラを左脇からこっそり眺めている白山吹さんと『目立ってもいいよ!!』と控えめな白山吹さんもいます↓。
↑こちらの花ニラさんたちは、正面を向いたお行儀のいいグループと伸びやかに流れている自由なグループが仲良く一緒にいます。
そんな花ニラに白山吹がそっと寄り添っています。
庭で咲いている姿を楽しんだピンクのチューリップを飾りたくなり、庭のほかの仲間たちを一輪づつ添えてみました。
それぞれの花は、ただ自然にありたいように一緒にいるという感じで『無作為』です。
玄関に飾ると・・水仙のいい香りがします。
こういうほぐれた感じの花をながめていると、抑圧しているものからすこしだけ解放され『ありのままでいいんだよ・・』と思えるから・・
もう、これだけで気分がアップ↑します。
上記の写真のとおり、水仙たちが寄り添っている風景が垣間みえるようにしながら、白山吹や花ニラも伸びやかにみえるように、フラワーアレンジしてみました。
玄関に飾ると水仙も花ニラもいい香りがします💖。
できるだけ、フローラルフォーム(吸水性スポンジ)をつかいたくないので、こんな感じにしてみました。
フローラルフォームは、ビニールカップを固定する役目と花ニラなどの茎が柔らかく短いものをアレンジしやくするために使用しています。
水仙たちは、剣山に真っすぐに挿し、しっかり固定します。花ニラは、茎が柔らかいので、フローラルフォームに爪楊枝などで小さな穴をあけたところに挿していきます。
白山吹はそのまま水に挿したり、フローラルフォームに挿したりしてバランスをとります。
玄関に飾ると・・
花ニラは光の方に向き(左から光がはいります)、2日ほどで花を落とした白山吹たちは葉ばかりになってしまいました。
そこで、花ニラの流れが際立つように白山吹を少し控え目にして、手直ししてました↓。
右上からみると花ニラの生き物としての力強さがよくわかります。
こういう花の生気は目には見えませんが、わたしたち人間の生気にも『エネルギー』をあたえてくれます!!
春の花たちは、香りがよく・・冬の間に眠っていた『エネルギー』を目覚めさてくれることが、とてもありがたい感じがします💗。
斑入りの椿も今年はたくさん花をつけてくれました。きれいどころのお花を選んで飾ることにしました。
摘み取った花をただ、水揚げするためにペットボトルをカットした器にいれただけでも素敵です!!。
何も考えず無造作だから、落ちてしまった花も葉っぱもナチュラルで、これもまた「♬いとおかし~♪」なのです。
少々、天邪鬼なわたしは、無造作でも素敵に見えた椿をメカニカルにアレンジしたくなってしまいました。
そこで、大きなカメリアをつくり、これをケーキにみたてることを思いつきました。
フローラルフォーム(吸水性スポンジ)をベースにしています。
この椿はほんのりいい香りがします。それに、ボリューミーな感じなので見ごたえがあり部屋が華やぎます。
メカニカルなアレンジを楽しんだ後は、何でもない『花あしらい』がしたくなります。
ただ、挿しただけの椿です。
花は落ち朽ちても、そのあとには新芽がすくすくと芽を伸ばしています。
命のサイクルを垣間見るのも、花を愛おしく感じる瞬間です。
こちらから見ると、1輪に見えますが、実は・・
↓花器に水をいれ、茎の長さを適当にそろえた椿を並べただけのアレンジです。
椿の花は、知らぬ間に落ちていることもありますが、こちらのデザインでは、花が落ちることをあまり心配せず楽しむことができました。
紫蘭は下から次々に花をつけてくれますし、どんどん花芽をだしてくれます。
下記の2つの紫蘭の『花あしらい』は、あたまで考えずに自然ななりに従って挿しています。
自然ななりに従っていないと、花がすぐに枯れてしまうので、ここは注意が必要なポイントになります。
こういう曲線を描く姿は、なんとも優美な感じがします。
紫蘭の葉っぱと花は、絶妙な均衡を保っているので決して倒れたりしません。
こういう緊張感は、あたりの空気をピリッと清めてくれる感じがします。
100均で買った器に100均で買った小さな剣山をいれ、そこに挿しています。
わたしは器のことはよくわかりません。
ただ、一つ一つ職人さんがつくった民芸の器も好きですが、100均の器も気に入ったものはたいせつに使います。
直径11㎝の小さなお皿ですが、器全体に小さな波がうっているところと真ん中に描かれているお花と縁まわりのお花が、わたしには雅(みやび)に感じられます。
100均の器はきっと大量生産されていると思いますが、そこに携わる人たちはみんな、少しでも良いものをつくろうと『こころ』をこめて仕事をしておられることをこれらの器を見て感じとり、とてもありがたく思います。
なので、気に入ったものはたとえ割れてしまってもボンドではりあわせて、たいせつに使っています。
なぜか、愛着がわいて手放せなくなってしまいます。
オレンジがかった黄色い花は、一気に庭を明るくします。
上の写真のとおり、キスゲの花は外に放射するような姿で咲くので、それにならって挿します。
摘み取った花と葉っぱをラッパ型(先が広がっているタイプ)の花器に挿すと自然に放射状に広がってくれますので、あとは、花と葉っぱが適当に散らばるようにすると自然な感じになります。
こちらは、それぞれの花と葉っぱがもつ『特性』がイキイキと見えるようなデザインにしてみました。
花や葉っぱの茎(ステム)には、流れや動きがあります。その流れや動きは、空間で『面や線』となりさまざまな表情をみせてくれます。
また、それらの表情があわせもつ『陰影』もひとつの『美』としてとらえます。
ジャーマンアイリスは、ごくごく自然に一つ一つの花の姿が見えるように挿しています。
このとき、たいせつなのは、当たり前のことのようですが、それぞれの花が咲き開く空間をつくってあげることにあります。
これは、1本のジャーマンアイリスです。
葉っぱは、黄色くなり元気がなくなってきたのでとってしまいました。
この花の配置は、花のデザインの基本となる配置です。
この『花あしらい』は、自然の姿がデザインの基本となることを教えてくれる『よい見本』となっています。
ジャーマンアイリスは、姿麗しく気品に満ちた香りがします。
そんなお花の奥をのぞきこむと艶めかしいエネルギーである『エロス』を感じ『生命の力強さ』を感じます。
自分を深く見つめていると、人も花もつくづく似ているところがあると感じるこの頃です。
この『エロスのエネルギー』⇒『性エネルギー』に生き物たちは、日々、つき動かされ、それにより生かされていることを強く感じます。
ただひとつ、人と花の大きな違いといえば、生命の源泉である『エロス』を花は『神聖』なものとして『美しく謳歌』しているのに、人は、肉体に宿る『エロス』を理性でおおいかくし『本性』を偽り、『エロス』を美しいものとして肯定的にとらえられずにいることです。
そして、わたしもまたそのひとりであり・・
『五感+第六感』からやってくるさまざまな『刺激』により『性エネルギー』にまつわる『意識(思考・感情)』によって『あたま』『こころ』『からだ』が常に揺り動かされ(情動)、『生き物』のもつ『エロス』に『聖や美や香』ではなく『俗や醜や臭』としか感じられない自分の『歪んだ本能』に振り回され苦しむ日々を過ごしていますが・・
『こころ』も『からだ』も『ありのままの魂』に素直であれば、いち『生き物』として『獣』でもある自分を肯定でき『エロス』は決して忌み嫌うことなどなく、生命を生みだし・育む『神秘』として・・
人生を『よろこび』で満たす『美しい』ものとして、とらえられるものを・・
まだまだ『獣』である自分を『宇宙』になげだす『覚悟』がないため、その『境地』に達することができずにいます。
けれども・・
自分の『命』を尊くおもえる『自尊心』と『本当の自分でいる!!』ための『自己肯定感』を高く保つことに励み『性エネルギー』を『昇華』し、自分の『花』を美しく咲か『実』を結ぶことに『全力を尽くす』ことができるよう『精進』している日々です💙。
2017年-春から晩夏の庭-小さなアレンジもあわせてご覧ください。