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どうか生きて・・死にたくなったとしても

どうか生きて・・ サーアイアイ

 

とどまっていたら息苦しい、けれど、逃げ出すこともできない・・

 

『こころ』や『からだ』を傷つけられ、生きるのが苦しい・・

 

自分の『居場所』がない、どうしたらいいかわからない・・

 

『こころ』にぽっかり空いた穴を埋められず生きるのが辛い・・

 

 

苦しすぎて、痛すぎて、悲しすぎて、寂しい・・この辛い気持ち、だれかわかってよ・・・・

 

でも、もうダメかも・・

 

死にたくなったとき、こんなことを思っていた。

 

でも・・

サーアイアイがぼくの『苦しい気持ち』や『本当の気持ち』をわかってくれて『自死(自殺)』することを『思いとどまらせて』くれたんだ。

 

だから・・

どうぞ『苦しみ』をひとりで抱えこまないで・・

 

自分の『苦しい気持ち』や『本当の気持ち』を伝えることをあきらめないで・・

 

とにかく生きて・・どうか生きて・・

 

生きていれば必ず「生きててよかった~☆」「生きるって素晴らしい☆」と思える日が来るから・・。


ぼくは、サーアイアイの友達のカエルのケロンだよ。

 

人それぞれ、さまざまな『苦悩』が襲ってくることってあるよね。

  • すごくショックなことが起きて『こころ』が痛い、または『こころ』にぽっかり空いた穴をどう埋めていいのかわからない
  • 来る日も来る日も辛いことばかりで、生きることが苦しすぎる、けれど、どうしたらいいのかわからない
  • 自分や人を許せず責めてしまい、自分を傷つけてばかりになることをやめたい、なのにうまくできない
  • 『体調』も悪く『気分』もふさぎこんだまま、楽しいことがわからない
  • きっと、この先もこんな感じで『絶望』しかないのだろう・・

んなとき・・

『苦しい気持ち』や『本当の気持ち』をわかってもらいたい・・

 

なのに、うまく言葉にだせない・・

 

話したことで、まわりの人に迷惑をかけてしまうこと、心配をかけてしまうことが辛い・・

 

話したところでわかってくれる人はいないかもしれない・・

 

人を信じることがこわい・・

 

こんなことを思ってしまうと強い『孤独』を感じ、自分をどうしてあげたらいいのかわからなくなり『命の灯火』が消えそうになってしまうよね。

 

なのに・・

むしろ明るく元気に見せてしまうから、まわりにいる人たちは『苦しい気持ち』や『本当の気持ち』をまったく気づけなくなってしまうんだ。

 

だけど・・

『行き場』をなくした『辛く苦しい気持ち』は吐き出し口を求め『からだ』や『こころ』をとおして『警告』を鳴らすようになり・・

 

息苦しくなったり、よく眠れなくなったり、食欲がなくなったり、頭や肩が痛くなったり、ハート(肺・心臓・みぞおち)のあたりが痛くなったり、物思いにふけるようになったり、急に涙があふれてきたりして・・

 

生きること自体、しんどくて『生きずらさ』しか感じなくなってしまうんだ。

 

それなのに・・

この状態を無視し続けて慣れてしまったら『あたま』は『思考停止』のようになり『からだ』は本格的に『調子』が悪くなり、そのうち動けなくなって『ウツ』のようになり・・

 

「もう耐えられないよ~~なんとかして~~~」と『魂』が悲鳴をあげるようになってしまうんだ。

 

それでも、自分の『苦しい気持ち』や『本当の気持ち』を伝えることができずにいると・

 

とうとう、追いつめられた『こころ』は耐えきれず「もう、楽になりたい・・」「死にたい・・」と思うことだけが『あたま』のなかで『グルグル』うずまくようになってしまうんだ。

 

すると・・

  • 『こころ』や『からだ』が痛いことばかりで、辛すぎるから
  • 人の期待に応えようとしたり、理想的な自分でいようとして『いい子』や『いい人』でいることに疲れてしまったから
  • 『本当の自分』を『自分らしく』生きたいのに、生きるのが怖すぎるから
  • 頑張っても頑張っても報われず、先が見えないから
  • 何をしてもうまくいかず、どうしたらいいかわからないから
  • 自分や人を許すことができず、自分や人を責め、傷つけ続けてしまうから
  • まわりの人の迷惑になる自分なら、この世にいない方がいいし、生きる価値もないから
  • 『生き甲斐』や『目標』がない、または、失ってしまい、生きる意味がわからないから
  • 愛する人を失って、生きることが虚(むな)しいから・・

などと、人それぞれ『死ぬ』ことへの理由を正当化して「もう、いい・・あの世に行きたい・・」「苦しい現状は変えられない」と思い込み・・

  • 死んで『楽に』なりたい
  • 死んで『おわび』するしかない・・

と、思ってしまう気持ちもすごくよくわかるんだ。 

 

けれど、もし・・

きみが『自死(自殺)』してしまったら、家族やたいせつに思っている人たちやまわりにいる人たちは、どんなことを思うだろう・・

 

きみは、想像したことある?もしかしたら、想像したことはあるかもしれないね。

 

きっと「なんで、相談してくれなかったのか・・」「なんで、苦しんでいることをわかってあげられなかったのか・・」と、残された人たちは深く傷つき、生涯、この『こころの傷』を背負ったまま、ある意味『闇』をかかえた人生になってしまいそうだよね。

 

だけど・・

自分の『苦しい気持ち』をわかってもらうのには『自死(自殺)』するしかないと思っていたとしたら・・

 

それは、一番『罪深い』ことなんだと、サーアイアイがお話してくれたんだ。

 

なぜなら・・

自分の『命』をたいせつにできないことほど、神様を悲しませることはなく、そのうえ、残された人たちまでも『苦しませる』なんてことは、神様を深く深く悲しませてしまうことになるからなんだ。

 

苦しいときこそ、自分の『本当の気持ち』に気づいてあげて「自分を助け救ってあげられるのは自分なんだ」ということに気づいてほしいんだ。

 

それに、自分の気持ちは『言葉』で伝えなければ伝わらないということを『胆に銘じて』ほしい・・と、サーアイアイが教えてくれたんだ。


ここからは・・

ぼく、ケロンが『自死(自殺)』することを『思いとどまらせて』くれたサーアイアイのお話しをするね。

 

ぼくにお話ししてくれる前に、サーアイアイが伝えてくれたことは・・

 

ぼくが『体験』したことと神様から受けとった『メッセージ』をもとに今からお話しするけど・・

 

ぼくの話しに耳を傾けてくれたきみが、どんなことを『思い』どんなことを『感じ』どんな『行動』をとるか・・それは、きみ自身で決めてほしいんだ。

 

そう言ってから・・

生きることがものすごくキツく、自分の『居場所』も見つからない、なら、どうやって生きていったらいいのかわからない・・そんな『経験』をしたぼくのお話をしていくね

 

ぼくは『暗闇』のなかにはいってしまい、ある意味『地獄』をみていて、もうどれだけ「楽になりたい・・もう、苦しむのはイヤだ」と思っていたかしれない時期があったんだ。

 

けれど・・

そんなとき、ぼくのことをわかってくれる人が助けてくれたり、さまざまなものをとおして伝えられた神様からの『メッセージ』が、ぼくを救ってくれたんだ。

 

神様がこの世にぼくらを送りだしてくれるとき「人生をおおいに楽しんでおいで・・」という願いをこめて『命』を授けてくださっていて・・

 

この世の『生き物』たちはみんな『ありのままの姿』を『よろこび』をもって輝かせ、すべての『命』とつながりのなかで生かされ、ただ『精一杯、生きる』ということが『生きる意味』になっているんだ。

 

だから・・

ぼくらにとっても『ありのままの姿』の『本当の自分』を生きて、人生をどれだけ『楽しみ』どれだけ『よろこび』を感じさせてあげるかが、神様からあたえられた『使命』になっているよ。

 

それなのに『神様の使命』を果たそうともせず、自分の手で『命』を亡きものにしてしまったら、神様が悲しまれることはわかるよね。

 

けれど・・

深い『絶望』と『孤独』を感じ『こころ』も『からだ』も疲れきって『暗闇』にひとり取り残されてしまうと『命の灯火』は消えそうになり・・

 

人生を『楽しみ』たい『よろこび』に満ちたものにしたい・・なんて思う『余裕』はなくなり・・

 

むしろ、そんな気持ちは、どこかにやってしまった方が楽になれると思い込むと『生きること』は苦しみでしかなくなってしまうんだ。

 

それなのに・・

「本当は生きたい」「ちゃんと生きたい」という気持ちが毎日、行ったり来たりしてしまうんだ。

 

では、もし・・

『からだ』を亡きものにしてしまったら『魂』はどうなると思う?

 

ここから先のお話は、神様から受けとった『メッセージ』をもとにしているよ。

 

『魂』は『からだ』がなくなっても消えることはなく、目に見えない『意識(思考・感情)』である『霊』となって『霊界』をさまようようになってしまうんだ。

 

そこでは、生前に感じていた『苦しみ』や『痛み』をないはずの『あたま』と『こころ』と『からだ』で感じたまま『悪夢』を見ているようになってしまうんだ。

 

夢を見ているときの『からだ』は動かないよね。

 

でも、夢のなかでは『からだ』も動くし『あたま』も働くし『こころ』も色んな『感情』を感じとっていて『痛み』まで感じてしまうため「これは現実?それとも夢?」と思えるぐらい『リアル』に感じることがあるよね。

 

これと似たような感じで『自死』したときの『意識(思考・感情)』はそのまま『霊』となって残り『からだ』は消えてなくなっても、生前に感じていた『苦悩』と『痛み』を『霊界』でも感じ続けることになってしまい・・

  

こんな『地獄』から抜け出そうと、生前していた『自死(自殺)』を『霊界』でも何度も繰り返し『地獄の迷路』から抜け出すことができなくなってしまうらしいんだ。

 

もしかしたらなんだけど・・

 

『自死(自殺)』してしまった人は「あれっ、死んでもなにもかわらない?いや、むしろ、もっと苦しいし痛いし怖いよ~~」「『苦悩』から『解放』されるんじゃなかったの?」「 まいった~~~、早まってしまった~取り返しのつかないことをしてしまった~~・・」と悔やんでも、もう遅く・・

 

なんで『思いとどまる』ことができなかったのかと『深い後悔』をすることになるらしいんだ。

 

でも・・

『自死(自殺)』してしまった人のなかには・・

  • 自分では死ぬつもりはなかったのに『こころ』が弱くなってしまい『精神的』に追いつめられ『衝動的』になにかに吸い込まれるような感じで死んでしまった人
  • 自分のたいせつな人を守るために『自死(自殺)』するしかなかった人

もいて、そんな人たちには、神様が『温情(おんじょう)⇒情け深いこころ)』をもたらしてくださり、生前に果たすことができなかった『課題』を『クリアー』することを約束することで新しい『からだ』をもらうことができるんだ。

 

今度は『自死(自殺)』してしまうことがないように、生前で『経験』したことから『学び』を得て、上手に『難』を逃れることで『課題』が『クリアー』されると『魂』は大きく成長して『本当の自分』を生きられる『楽園』へと導かれるようになるんだ。

 

でも・・

そのほかの『魂』たちは、生前の『苦悩』と『痛み』を果てしなくず~~っと繰り返すことになってしまうんだ。

 

けれど・・

自分と同じことで苦しんでいる人たちを「救い出したい!!」という『強い気持ち』を神様に訴え続け『憎しみ』や『恨み』を『浄化』し清められた『魂』には、新しい『からだ』があたえられ・・

 

今度は、自分がしてきた『経験』を活かし苦しんでいる人たちをたくさん救い出すことで『命』は輝くようになるんだ。

 

とはいえ『魂』を『浄化』するためには『苦悩』と『痛み』の『地獄』をくぐりぬける必要があり、この『過程』で自分を苦しめた人たちを『ゆるす』ことができると『意識(霊性)』は清められ、新しい『からだ』をいただくことができるんだ。

 

どんな人でも『魂』の成長のために、それぞれの人にあった『課題』が神様からあたえられていて・・

 

それを『クリアー』できるまで同じような『苦悩』の『道』を歩かなくてはならず、死ぬまでにその『課題』が『クリアー』できなければ『来世』に持ち越されることになっていて・・

 

神様からあたえられた『課題』はいつかは『クリアー』しなくてはならず逃れることはできないんだ。

 

でも・・

『クリアー』できたあかつきには『魂』は大きく成長し、もっと『自分らしく』自由に生きられる『楽園』に導かれるようになるんだ。

 

だから・・

どんなに辛くても『勇気』をだして自分の『苦しい気持ち』を伝え、神様からあたえられた『課題』を『クリアー』しよう!!。

 

『からだ』さえあれば『行動』することで、人生は変えられるんだ。

 

とはいえ・・

『自死(自殺)』するしかないと思っている人たちのなかには、自分の『本当の気持ち』に気づいてあげられず、自分がどう生きていいのかわからなくなっている人もいて・・

 

人生の『迷子』になっているため『右往左往』ばかりして前に進むこともできず『虚(むな)しい気持ち』ばかりをかかえ、生きることに疲れて果ててしまっている人もいるんだ。

 

なので・・

まずは、世間がどうのこうのとか、まわりにいる人たちの期待に応えなければとか、人に迷惑をかけたくないとか、自分のプライドが許さないとか、弱い自分やカッコ悪い自分を見せたくない、などということを全部、とっぱらって・・

 

自分の『本当の気持ち』はどうなのか、自分はどう生きていきたいのか・・自分と向き合ってほしいんだ。

 

そのためにも、まずはとにかく『休養』をとってほしいんだ。

 

『あたま』のなかは『ネガティブ』なことでいっぱいでがんじがらめになり『こころ』も『からだ』も疲れてしまっているだろうから、そんな『あたま』をほぐし『こころ』や『からだ』を休めてから・・

 

『したいこと』があるなら『したいこと』をさせてあげて『負のループ』から抜け出してほしいんだ。

 

『したいこと』をさせてあげるとはいえ、人を傷つけたり人の気分を害することをしないことは、わかっているよね。

 

それと・・

『休むこと』や『したいこと』をして『元気』をとりもどそうとすることに『罪悪感』なんて感じる必要はないんだよ。

 

けれど・・

それが思うようにできないから苦しんできたんだよね。

 

でも・・

どうぞ、自分に『やさしく』なって『あたま』も『こころ』も『からだ』も休ませ、ほぐしてほしいんだ。

 

これは、神様も望んでおられることであり・・

 

人生には『エネルギー』を蓄え『元気』をとりもどすことが必要な時期もあるということなんだ。

 

それと・・

きみは気づけないかもしれないけれど、きみがいるところだけが『きみの生きる世界』とは限らず、もっときみが『安心』して『きみらしく』いられるところはあるものなんだ。

 

それに・・

今、きみがいるところでも、きみが「助けてほしい・・」と声に出せば、安心していられるように助けてくれる人もいるものなんだ。

 

だから・・

すごく『勇気』がいることかもしれないけれど自分を『救い出してあげる』ために、近くにいる人に『苦しい気持ち』を伝えてほしいんだ。

 

もし、それができないのなら、公共の『相談窓口』をたずねて相談してほしいんだ。

 

そうやって自分の気持ちを伝えることや相談することに感じる『罪悪感』や『弱みを見せることへの嫌悪』も『勇気』をだして、捨て去ってほしいんだ。

 

そうすれば・・

自分を安心して生かしてあげられる『居場所』が見つかったり、今いるところでも『環境』が整えられるようになって『夢』や『希望』も持つことだってできるようになるから『苦しい気持ち』を声に出してほしいんだ。

 

こうして・・

人に話しを聴いてもらっていると重い気持ちが軽くなったり『こころ』の整理もできて『本当の気持ち』にも気づけるようになるだろう・・。

 

それでも、自分の『本当の気持ち』がよくわからないときは『こころ』のことを専門にしている公共の『相談窓口』や『医療機関』をたずね、カウンセラーやセラピストに相談してほしいんだ。

 

そうやって、自分の『本当の気持ち』を自分でわかってあげたら、その『気持ち』に応えてあげられるよう、家族や信頼できる人に相談にのってもらったり、助けてもらってほしいんだ。

 

とはいえ、自分のことを一番、わかってもらいたい人(家族やたいせつな人たち)に自分の『本当の気持ち』や『苦しい気持ち』を伝えるのが、ものすごく難しいことはぼくもよくわかっているよ。

 

きっと、心配をかけたくないとか悲しませたくないとか怒らせたくないとか思ってしまい・・

 

むしろ、家族には絶対に自分の『弱さ』や『苦しみ』を見せたくなと思っているだろうからね。

 

それに・・

『勇気』をふりしぼって自分の『気持ち』を話したのに、うまく伝わらないこともあると思うんだ。

 

そんなときに覚えておいてほしいのは・・

 

人は『経験』していないことや自分と違う『感覚』や『感情』をもっている人のことを『理解』するのは難しく、きみのことをおもって言った『一言』がきみを深く傷つけてしまうこともあるということなんだ。

 

例えば・・

  • 気のせいなんじゃない?思い込んでいるだけなんじゃない?
  • 現実から逃げているだけなんじゃない?
  • それは『わがまま』なんじゃない?
  • 気を強くもって、もっと、しっかりしなさい・・

など、元気づけようとしたり『叱咤激励(応援して励まそうとする気持ちが大きくなり、強い言葉になってしまう)』しようとした『一言』が一撃となって「あ~、やっぱり自分の気持ちはわかってはもらえないんだ・・」と思ってしまうと『悲しみ』や『怒り』がこみあげ「もう話すのはやめよう・・」と思ってしまうよね。

 

ぼくは『経験者』だからよくわかるんだけど・・

 

こういうとき『行き場』をなくした『悲しみ』や『怒り』は『孤独』をつのらせ、人を『絶望』の淵に追いこみ『自死(自殺)』するしかないような気持ちにさせてしまうこともあるんだ。

 

でも・・ 

ぼくは、自分のことをわかってくれる人は、きっといると思っていたから・・

 

また傷つけられたら『こわい』と、思いながらも『勇気』をだして、あきらめずに『苦しい気持ち』や『本当の気持ち』を伝え続けたんだ。

 

なぜ、こんなふうになれたかというと「きみの言っていることは、よくわからない」という人がいれば「いや、わかるよ」という人もいるのがこの世の中だからだよ。

 

すると、やっぱり・・

「それは辛いね、苦しいよね」と『共感』してくれる人が現われ、ぼくにとっては「辛いね、苦しいよね」の『一言』がどれほど『こころ』をほどいてくれたかしれず・・

 

「ぼくのことをすこしでもわかろうとしてくれている人がいる、それだけで、ぼくはここに存在していてもいい・・」と思い救われたんだ。

 

『行き場』をなくした『悲しみ』や『怒り』や『孤独』も、人に聴いてもらい外に吐き出して『共感』してもらうだけで・・

 

重たいものが軽くなったり『思考』が切り替わったり広がったり『こころ』の整理もできるから、ひとりで抱え込まないでほしいんだ。

 

あとね・・

神様に「助けてほしい・・」とお願いして祈っていれば・・

  • ふと目の前に飛び込んできた『風景』であったり
  • ラジオやテレビやネットで見たり聞いたりしたものや言葉であったり
  • 神様のお告げみたいに『ひらめく』ことがあったり
  • 救世主みたいな人が現われたりして・・

神様から救いの『メッセージ』や『救い出してくれる人』がこの世に送られてきて・・

 

ある意味『目が覚める』とか『我に返る』とかいう感じで『自死(自殺)』を『思いとどまらせて』くれるようになるんだ

 

すると・・

「このままでいいわけがない」「自分は本当はどうしたいんだ?」という気持ちがわきあがり、自分の『本当に気持ち』と向き合えるようになるんだ。

 

だから・・

何もかもひとりで背負い込まないで、もっと自分に『やさしく』なって自分を『たいせつ』にして『SOS』を発信し続けてほしいんだ。

 

あとは・・

1日、ひとつでもいいから『楽しい気分』や『いい気分』になれることを自分にさせてあげてほしいんだ。

 

もしかしたら・・

楽しいこともいい気分になれることもわからなくなっているかもしれないけれど、そんなときは「おいしい!!」と感じるものを食べさせてあげてほしいんだ。

 

そうやって、すこしでも「生きるって悪いことばかりじゃない・・」と思わせてあげて・・

 

どうにかこうにかでも、生きていることに小さな『よろこび』や『感謝』の気持ちをもつことができれば『魂』を『魔』にのっとられずにすむからなんだ。

 

そうでもしないと、どんどん『ネガティブ』な方にひっぱられ、うっかり『魔』にのっとられてしまうと・・

 

『無意識』のうちに辛さをまぎらすような不健康な生活をするようになったり、人や自分を傷つけるようになったり、いつもとは違うおかしなことをしそうになったり、悪い誘いにのってしまいそうになるから・・

 

とにかく、無理矢理にでも『気分』がアップ↑することや明るく『元気』になれることを小さなことでいいから、させてあげてほしいんだ。

 

神様の願いは、ぼくらが『笑顔』でいることであり・・

 

どんなに辛いことがあっても、苦しくても、生きることに『楽しみ』や『よろこび』や『感謝』を感じられる人を神様はいつでも応援して見守ってくださっているよ。

 

だから・・

どうぞ『苦しみ』をひとりで抱えこまないで・・

 

自分の『苦しい気持ち』や『本当の気持ち』を伝えることをあきらめないで・・。

 

そうやって『本当の自分』を生きるために、まずは自分のことを愛して信じてあげて・・

 

自分の『こころ』の声が叫んでいることを『勇気』をだして、自分にさせてあげて、自分が望むように生きてほしいんだ!!。

 

生きていれば何が起こるかわからないことばかりで『悪いこと』も起きてくるだろうけれど、その分、次には『いいこと』がめぐるようになっているんだ。

 

元気だそう・・ サーアイアイ

 

「生きててよかった~☆」「生きるって素晴らしい☆」と思える日が必ず来るから・・

 

とにかく生きて・・どうか、どうか生きて・・♡。

 

あと・・

自分を責めたり追いつめたり、気分が沈みこむ原因として・・

  • 『男性ホルモン』と『女性ホルモン』のバランスがくずれる『更年期』
  • 性転換の際になりたい性の『ホルモン』を投与しているとき・・

などには、精神状態が『不安定』になり気分の浮き沈みが激しくなったり『うつ』になったりするほか、身体の『不調』も現われ・・

 

『精神/身体』のダブルでキツくなり『生きることが辛く』なることもあるようなので、専門的な医療や精神的なケアをすることもたいせつにしてね。