『あたま』と『こころ』と『からだ』を重くするような『石』と『風船』を、パァ~っと手放して・・
『ありのままのはだかんぼう』になって、神様と手をつないでダンスを踊ろう!!。
『石』は・・
-
「〇〇になったらどうしよう」という『不安』や『心配』や『不信』や『おそれ』
-
「〇〇してはいけない」「〇〇は◇◇というものだ」「▽▽であらねばならない」という『ルール』や『教え』による『抑圧』や『禁止』
-
『過去』の『失敗』や『過ち』による自分を責める『後悔』や『罪悪感』や自分をおとしめる『自己卑下』
- 『過去』に自分自身や家族やたいせつな人の『こころ』や『からだ』を傷つけられたことによる『怒り』や『憎しみ』や『恨み』
であり・・
これらが『無意識』のうちに、ぼくらの『あたま』を悩ませ『こころ』を重くし『からだ』を不調にさせて『今、ここ!!』を生きられなくさせているよ。
『風船』は・・
- 「〇〇でなければ、イヤだ」「〇〇でなければ、しあわせになれない」という『思い込み』や『執着』や『嫉妬』
- 失ったものや無くしたものへの果てしない『悲しみ』や『喪失感』や『執着』
であり・・
『石』は辛い『過去』からやってくるものであったり『風船』は『未来』にかなえたいことであったりするけれど、どちらも『過去』からひきづっているものであり・・
たいての人はこんな『石』や『風船』を『無意識』のうちに、にぎりしめていて、目の前のことに集中しているつもりでも、完全には集中しきれず『過去』や『未来』のことをあれこれ思っていたり考えていたりして・・
『あたま』も『こころ』も『からだ』も『モヤモヤ』『イライラ』『ビクビク』『ドキドキ』して、どこか『うわの空』になりながら『今、ここ!!』を完全に生きられなくなっているよ。
それで・・
『不安』や『不満』や『欠乏』や『悲しみ』ばかりをつのらせ、目の前にある『しあわせ』や、やってこようとしている『しあわせ』に気づくことができず『無意識』のうちに『苦しみ』ばかりを感じてしまい『今、ここ!!』にある『しあわせ』に『感謝』できなくなっているよ。
さらに・・
まわりの人に嫌われたくない、仲間はずれにされるのがこわい、すこしでも素敵な自分やいい人でありたいなどと思っているから、人目を気にせず『ありのままのはだかんぼう』のまま生きることはできなかったりもするよね。
こうして・・
『ありのままの自分』を生きていないと『魂』でもある『命』を押し殺していることになり、息苦しくなってしまうんだ。
なので・・
こんな『石』と『風船』を手放して、あいた両手で神様と手をつないで・・
『本当の自分』を生きるために『ありのままのはだかんぼう』の自分になって、神様とダンスを踊ってごらん!!。
そうすれば・・
『あたま』や『こころ』や『からだ』を悩ませたり苦しませたりするものを手放すことができ、スッキリして『今、ここ!!』を生きられるようになるよ。
この世は、何が起こるかわからないものだし、なるようにしかならず、なるようになってしまうもの。
だから・・
どんな『状況』や『環境』にあったとしても、まずは一旦、受けいれて・・
今、目の前にあるする必要があること、したいこと、自分にできることに『こころ』をこめて、精一杯、やって『今を生きる』ようにしたら、あとはもう、神様におまかせしてしまおう!!。
あのね・・
海でおぼれそうになったとき『パニック』になって『バタバタ』して、自分の力だけで、なんとかしようと必死にもがけばもがくほど『ブクブク』沈みやすくなってしまうんだって・・
だから・・
こんなときは『こころ』を落ち着かせて、深呼吸したら「もう海に身をまかせよう・・」と開き直って、全身の力を抜いて、空を見上げ胸を大きく開くと、体が『プカ~っ』と浮いてくるんだって・・
そしたら、手足をめいっぱい広げて『背浮き』という状態になり、できるだけゆっくりした呼吸を繰り返しながら「浮いて待て!!」の体勢のまま、静かに潮の流れに身をまかせていると、どこかの岸にたどりつくことができるんだって。
このときする必要あることは、落ち着いて全身の力をぬいて仰向けになったら、あとは「生きて還る」という『希望』を持ち続け、ゆったりした呼吸を繰り返し、神様を信じきって『安らいでいれば』いいんだって・・。
もし・・
どうにもならない『ピンチ』にみまわれ『苦しさ』や『辛さ』に耐えきれず押しつぶされそうになってしまったら「エ~~イ、もう、神様におまかせしま~~す!!」という開き直りの『境地』になって・・
海におぼれそうになったときと同じように神様に身をまかせていると、神様が救ってくれるようになるみたいだよ☆。
こいうことを『諦観(ていかん)の境地』ともいうらしいよ。
自分の『意思』でなんとかすることができないことは、もう『自然』の成すがままにまかせるしかないという感じで「自分の力だけでなんとかしようとすることをあきらめ、や~~めた!!」と言って・・
『ジタバタ』したり抵抗したりせず、すっかり『現状』を受けいれてしまえれば、むしろ『冷静』になれて・・
『今を生きる』ことに精をだしていれば、自然に『いい方向』に導かれていくということなんだ。
ぼくロンパーの『諦観』の解釈は・・
この世には『光』があれば必ず『影』があり、『表』があれば必ず『裏』もあって、いいことが起きることもあれば、悪いことだって起きてきてしまう・・どちらか一方を無くすことはできないってことなんだ。
だから・・
いくらイヤなことであったとしても、それを無くそうとすることを諦(あきら)めて、とにかく受け入れてから『現状』をよ~く観ながら・・
目の前のする必要があること、したいこと、自分にできることに精一杯、励んでいれば、イヤなことはそのうち『流れる雲』のようにどこかにいってしまうという感じだよ。
つまり・・
『光』も『影』もあるのがこの世のなかなんだから、すべてがあって『オールOK!!○(まる)』ってことがわかるようになると・・
『光』が『善悪の判断』を超え『影』をただ観ていることで『陰陽の統合』がなされるということなんだ。
あと・・
『諦観(ていかん)の境地』は『人事を尽くして天命を待つ』という解釈もできて・・
今まで、努力したり、祈ったりしてきたことがどんな『結果』になろうとも、これも神様のご意志であり・・
『魂』を成長させてくれる『ありがたい』ものであると考え、受けいれられるようになると『胆』がすわり「もう、こわいものなどない!!」という境地になれるってことなんだと感じているよ。
こうしているうちに、助けてくれる人が現われたり『状況』や『環境』が上向きになり『流れ』が変わってくるってことなんだ☆。
どんなことが起きても、そこには因があり「こうなったのも自分がまいた種が因をなしているのだろう・・」と自分を省みて改めることができると『魂』は学びを得て人の気持ちもよくわかるようになり、人生に深みが増すようになったり・・
思いもかけないことが起きてきたとしても「これも天命なのだろう・・」と受けいれ、ここでの困難を乗り越えることができると『魂』はひとまわり大きくなり、強く賢くなることで人に『やさしく』なれたりするよね。
こんなことを思えば『諦観(ていかん)の境地』に達して『ジタバタ』せずにいられるようになると、今までのように『あたま』をつかってあれこれ考え、何かを得ようとしたり、何者かになろうとすることをやめられ『自我』や『執着』から解放され・・
なにものにも囚われなくなることで、神様の『守護』のもと『安らいだこころ』のまま、神様が望まれる『本来の姿』の自分にもどり『自然に還っていく』ことができるようになるんだ。
ここでいう、何かを得ようとしたり、何者かになろうとするのは・・
- 成功
- お金持ち
- 地位や名誉
- 立派な人柄
- 美しい容姿
- ステキなパートナーや家族がいること
- 人から嫌われない『素敵な人』になることなど・・
人からうらやましがられる人になろうとしたり、好かれる人になろうとすることであり・・
これらをかなえようと努力することは、自分を向上させることであり素敵なことなんだけれど・・
ぼくらはこれらのことに、ついつい囚(とら)われてしまいがちで・・
これらをかなえようとすることに一生懸命になるあまり『本当の自分』を見失ったまま、人生の『迷子』になってしまい『あたま』と『こころ』と『からだ』が『バラバラ』な感じになってしまうこともあるんだ。
だからもし・・
あらゆる囚われから自分を『自由』にしたいのであれば『石』と『風船』をにぎりしめていた手をパァ~っと開いて、そのあいた両手で神様と手をつないで・・
自分にウソをつくことをやめて『ありのままのはだかんぼう』の自分になって、神様とダンスを踊ってしまえば、ずっと自然に『楽に』生きられるようになるよ☆。
もう『不安』や『心配』や『不信』も『おそれ』も『罪悪感』も『苦悩』も手放して『図太い神経』になって、すべてをおおいなる神様におまかせして・・
要らない『プライド』もすっかり捨てて、どんな自分でも『卑下』せず『ありのままのはだかんぼう』でいることに『リラックス』していられるようになると『こころのまま』に『自由』に生きられるようになるからだよ。
こうして・・
神様と共に生き『ありのままのはだかんぼう』の自分でいい!!・・と『覚悟』を決めて・・
神様がさしだしてくれるどんなものでも『ありがたく』いただくことができるようになると、自然の『流れ』のままにあるだけで『本来の姿』の自分にもどり『自分らしく』しあわせに生きていけるようになるよ☆。
あのさ・・
自然界の『生き物』たちは、ありとあらゆる変化のなかで、どんなに厳しい『状況』や『環境』におかれたとしても、それも、自然(神様)があたえてくれる『無条件・無償の愛』としてありがたくいただき『ありのままの姿』を美しく輝かせ『命』を嬉々と燃やしながら、さまざまな『進化』をとげてきているよね。
これは、まさに・・
シンプルにナチュラルに神様に身をまかせ『はだかんぼうになって、神様と手をつないでいる』ということになるよ。
だから・・
ぼくらも、どんなに辛く苦しいことがあったとしても、そこには、必ず『魂』を成長させてくれる『気づき』や『学び』があり、自分を強く賢くする『チャンスとチャレンジ』があるんだとおもえれば『失望』することなく『夢』や『希望』をもち続け・・
「だいじょうぶ・だいじょうぶ!! すべて、うまくいく!!」という『境地』になって、今を精一杯、生き、神様に身をまかせていれば、神様が自然な『流れ』をつくってくださるから、その『流れ』に『ポ~ン』とのってしまえばいいんだよ。
こうやって『自然の流れ』のままにあると『魂』は『進化』をとげることができるんだ。
ここで、ひとつ補足しておくね・・
『夢』や『希望』と見果てぬ『野心』や高すぎる『理想』とでは、大きな違いがあるよ。
『夢』や『希望』は、自分が好きなことや得意なことを楽しんでしていると、自分の『種』のなかにある『特質(個性・才能)』が活かされ『しあわせ』に生きられるものだんだけれど・・
見果てぬ『野心』や高すぎる『理想』は、自分のもっている素晴らしい『特質(個性・才能)』を活かすことより、人がもっている『特質(個性・才能)』を素晴らしいと思い込み、自分も「あんなふうになりたい・・」と、むなしい努力を重ねたり『理想』を追い求めることをいうよ。
でも・・
『本当の自分』ではない姿になろうとしているから結局、うまくはいかず『しあわせ』を得るどころか『苦しみ』ばかりを感じるようになり、神様があたえようとしてる『愛』や『贈り物』もいただくことができなくなってしまうんだ。
だから・・
ぼくら人間も、自然の一部であり自然界の『生き物』たちと同じなんだってことに気づきを得て・・
『自然のルール』にしたがい、神様に身をまかせていれば『本来の姿』にもどり『自然に還る』ことができるようになるってことなんだ。
こんなふうに自然に身をまかせることを『無為自然』というよ。
『無為』は『意図や作為のないさま』という意味で『無為自然』は『なんら作為をせず、あるがままの状態』のことをいうんだって・・。
自然界の『生き物』たちは、みんな自然の恩恵を受けて生かされ、なにかをしようとわざわざ考えずとも、天地はすべてのことを為し、ただそこに存在しているだけで『イキイキ』と暮らしているよね。
こんな『無為自然』にぼくらがなれると『悟りの境地』に達することができるんだって・・。
『悟りの境地』というと、なにやらとても難しいことのように感じるけど・・
幼かったころのきみを思い出してみて・・
『自分の力』だけではできないことばかりだから、お母さんやお父さんや近くにいる人に手伝ってもらったり、助けてもらったりして・・
どんなに小さなことでも『楽しみ』を見つけて、精一杯、今を生きていたよね。
こんなふうに『こころのままに』素直に正直に『ありのままの自分』でいるだけで生かされることが『悟りの境地』に近いともいえて・・
『無邪気』なこどものように生きていれば、すべてが自然に為され、きみにとって一番、いいように神様がしてくださるから『安心』していてだいじょうぶ!!・・ってことなんだ。
でも、もし・・
すこしでも「神様に身をゆだねているだけで、だいじょうぶなのかなぁ~?」と疑いの『こころ』をもってしまうと、神様は、さっと手を離してしまうから、気をつけてね!!。
なぜなら・・
神様と手をつなぐということは、神様を『信じきる』ということだからだよ。
信じれば信じるほど、そして、安らげば安らぐほど、楽しい気分になって『ワクワク』すればするほど、神様と強い『信頼関係』ができるってことなんだ☆。
でも・・
これって、実は、自分のもっている『個性』や『才能』の『素晴らしさ』と『強さ』をきみがきみ自身で信じきってあげられるかどうか?ってことでもあるよ。
『ありのままの自分』になることで人に嫌われてしまうことを『おそれ』たり、自分が好きなことをしているだけで『自立』できるか『不安』におもう気持ちをすっかり手放すことがたいせつになるってことなんだよ。
もし・・
『本当の自分』を押し殺したまま、息苦しいのを『我慢』したまま生きるのか・・
それとも『本当の自分』を生きるために崖からポ~ンと飛び降りるほどの『勇気』をふりしぼって神様と手をつなぐか・・
きみならどうする?
すごくすごく『こわい』かもしれないけれど、崖から飛び降る(もちろん、本当に崖から飛び降りることではないからね・・)ほどの『勇気』をもって神様と手をつなぐことを決めたら『本当の自分』になっていけるよ。
力(りき)んで抱えていた『石』も、にぎりしめていた『風船』も手放して『あたま』であれこれ考えることをいっさい、やめて『今を生きる』ことと『ワクワク』楽しくなることに『専念』して『楽な気分』になって神様と手をつなぎ・・
『ありのままのはだかんぼう』の自分になって『ルンルン気分』でダンスを踊っていればいいんだ。
そしたら・・
もうこわいものなしだよ・・なにしろ、この世で最高・最強の神様と手をつないでいるんだから・・☆。
とはいっても・・
簡単にそうできないから、この世で生きるのは、たいへんだったりもするんだよね。
でも、だいじょうぶ!!。
そんなときは、自然に触れるといいよ。
ぼくらも自然の一部なんだから自然のふところに身をゆだね『五感』をよろこばせていると『あたま』は静かになって、神様とつながりやすくなり・・
『あたま』と『こころ』と『からだ』を重くするような『石』と『風船』を手放しやすくなるよ。
あとは・・
あれこれ考えることをやめて『リラックス』した気分にひたりながら『ありのままのはだかんぼう』になって、神様と手をつないでダンスを踊ればいいんだよ!!。