自分がありたいところに『周波数』を高く保つためには『ご機嫌さんのいい気分』でいることがたいせつであり・・
どんな自分も『○(まる)』にする『自己肯定感』と、どんな自分も尊びたいせつにする『自尊心』を高く保ち・・
どんなときも自分を『楽に』したり『楽しく』させる方に『アンテナ』を高く立て、今を生きながら『命(魂)』を『よろこばせる』ことに励むようにするといいんだ。
なぜなら、これが『本来の姿』になるからだよ。
ここでつかわれている『過去』は『*過去世』も含んでいるよ。
『*過去世』とは『現世』に生まれる前に生きていた『過去』の世のことを言い『魂』は新しい体をもらって何度も生まれ変わっているんだ。
『今、ここ!!』とは『今にOK!!』をだし『過去』も『未来』もない今、この『場所(空間)』のこの『瞬間(時間)』に完全に集中していることをいうよ。
そして・・
『今を生きる』とは『今、ここ!!』にありながら・・
- 今、する必要があること
- 今、したいこと
- 今、自分にできることを・・
するということなんだ。
また・・
ここで『気』という言葉がでてきたときは『意識(思考・感情)』=『気(エネルギー)』の意味でつかわれていて『ネガティブ(否定的)』な『意識(思考・感情)』を『負の気』としているよ。
〇ここに載せているすべての内容は、ぼくサーアイアイが、自分のなかに深く入って、自分の中にある『影』を観察したことによる『体験』と『洞察』に基づいているものだよ。
なぜ『周波数』を自分がありたいところに高く保つことがたいせつになるかというと・・
地球は『周波数』が高くなってきていて、ぼくらも同調するように『周波数』が高くなり、さまざまなことに『感度』がよくなり、外からやってくるまざまな『刺激』に『過敏』に反応するようになってきているんだ。
それで・・
人の『ネガティブ(否定的)』な『意識(思考・感情)』⇒『負の気(エネルギー)』もたやすくひろってしまい、ひっぱられやすくなっていて・・
自分の身の上には、なにも起きていなくても人の『負の気』が『きっかけ(トリガー)』となり『過去』の『こわいドラマ』の『チャンネル』に自分の『意識(思考・感情)』がつながってしまい・・
『こわいドラマ』が再生され『イヤな気分』になり『周波数』がガクンと下がってしまうんだ。
すると、途端に『気分』や『体調』が悪くなり、そのあと『イヤな気分』を抱えこんだまま『平常・平静』でいられなくなってしまうんだ。
もうすこしわかりやすくいうと、人の『負の気』を『自分ごと』のように感じてしまうということでもあり・・
人の『気』は『電波』のように『周波数』を放っていて、ぼくらは知らぬ間に互いの『気』よる『周波数』によって『干渉』しあっていて・・
『負の気』は人が発しているものでも自分が発しているものでも感じた瞬間に『周波数』は下がり『あたま』や『こころ』や『からだ』は『バランス』を失い・・
『ホルモン』や『自律神経』に影響がおよび、心身にさまざまな『不調』や『痛み』を感じるようになってしまうんだ。
このようになってしまうことを『情動』が引き起こされた状態にあると、ぼく、サーアイアイは考えているんだ。
これは、さっきまで普通にきれいに聞こえていたラジオに他の『電波』が入り、それが『雑音』になって聞きずらいラジオになってしまうのと似ているよ。
実際に、人の『負の気』によってラジオが聞きずらくなったり、パソコンの調子が悪くなったり、電化製品の調子が悪くなったりするなど、さまざまなものに影響がおよんでしまうんだ。
なので・・
『ネガティブ(否定的)』な『意識(思考・感情)』⇒『負の気(エネルギー)』に囚われてしまわぬよう・・
『負の気(エネルギー)』から自分を切り離すことがたいせつになるんだ。
そのために・・
- 『今、ここ!!』を生きる
- 『こころのアンテナ』をありたい方に向け高く立てる
- 『ネガティブ』なことでも『見方』や『とらえ方』を変え『距離』をとる
- まずは受けいれ、それから対処する
- 『ピンチ』を『チャンス&チャレンジ』にする
- 人の『愛』を素直にありがたくいただくことで『こころ』からの『愛』を交わしあえるようにする
- 『神様の愛』を信頼して『気』を『楽に』する
- 自然の『良質なエネルギー』に触れる
- 『あたま』や『こころ』をこまめに『クリーニング』する
これらのことをこころがけ、自分の『ご機嫌』を自分でとり『気分よく』いられるようにしてあげていると『周波数』を高く保てるようになるんだ。
*『今、ここ!!』を生きる
『今、ここ!!』を生きるためには・・
- なにかに『没頭』したり『全力』で取り組むことで、目の前のことに『無心』になったり
- 好きなこと・得意なこと・楽しいことに『夢中』なったりして・・
『無』の状態になれるといいんだ。
例えば・・
- 『モヤモヤ』『イライラ』することがあって『気分』が悪かったとしても『全力』で取り組まなくてはならないことが目の前にあると、脇目などふっていられず『モヤモヤ』『イライラ』することは『おあずけ』にすることができるよね
- 『仕事』や『趣味』や『娯楽』など好きなことに『夢中』になっていたり、好きな人や気があう仲間と楽しんでいたり、おいしいものを食べたりして『いい気分』を味わっていると『モヤモヤ』『イライラ』することなんて『すっ飛んで』しまうよね
- 『タバコ』『お酒』『色恋』『ゲームやギャンブル』など『快感』や『快楽』を得られることをして気持ちが高揚していると、イヤなことから一時、逃れられ、あれこれ考え苦しんでしまうことから『気』を紛らわせることができるよね
こうして・・
目の前にあることに『集中』できると『モヤモヤ』『イライラ』する『イヤな気分』を一旦『おあずけ』にして『手放す』ことができるんだ。
もうすこし違う言い方をすると・・
今、自分がしていることで『あたま』をいっぱいにして『こころ』もそのことだけに『一生懸命』になっていると『こころ』と『あたま』はコンセントでつながれているような感じになり『集中』できるということなんだ。
例えば・・
- なんとなく気分が晴れず『ゆううつ』な気分になっている人
- いつもどこかが痛かったりシビれている人(『腰痛』『肩こり』『頭痛』『首の痛み』『手足の痛み』など)
- 仕事のときの方が元気で、自宅でぼんやりしていると『からだ』のあちこちが痛くなる人など・・
心身の『不調』や不定愁訴のような『痛み』がある人の場合『無意識』のうちに『イヤな気分』の『チャンネル』につながってしまっているということだから・・
心身の『不調』や『痛み』を引き起こしてしまう『思考回路』による『神経回路』の『ルート』を、なにかに『無心』になったり『没頭』したり、楽しいことに『夢中』になる『ルート』に切り替えていくことで・・
『イヤな気分』の『チャンネル』から『今、ここ!!』を生きる『チャンネル』につなげるように『修練』していると、元気に過ごせるようになったりするんだ。
ただ、上記にあげた方法に頼り過ぎたり、行き過ぎてしまうと・・
- ワーカーホリック(仕事中毒)になったり
- 『趣味・娯楽』や『好きな人・憧れる人』にはまりすぎて、時間やお金を浪費するようになったり
- 偏った飲食や暴飲暴食により、不健康になったり
- いつでも誰かにお相手をしてもらいたい・誰かのお相手をしていたいという『かまってちゃん』になってしまい孤独に弱くなったり
- 誰かに認めてもらいたいという『承認欲求』がつのり『他者にとっての自分』や『自分にとっての他者』のことばかりが気になり、人の顔色ばかりをうかがうようになったり『SNS依存症』になったり
- 『嗜好』としての『タバコ』『お酒』『色恋』『ゲームやギャンブル』などで『あまた』を麻痺させ、辛い現実から逃避することを常習してしまうと、これらが切れたとき『中毒症状』におちいり『依存症』に苦しむようになったりして・・
『あまた』と『こころ』と『からだ』は健全さを失い、むしろ『ストレス』に弱くなり『依存』するようになってしまうこともあるから・・
ほどほどにとどめておくことができると、人生を彩り豊かに楽しくすることができ『気分転換』や『リラックス』や『リフレッシュ』に役立てることができるようになるんだ。
なので・・
これらのことに頼りすぎないようにするために、日常のひとつひとつのことに『こころをこめて』暮しを『ていねい』に楽しむようにしていると、小さなことに『しあわせ』を感じられるようになり『あたま』を『無』にしやすくなり『こころ』が静かになってくるよ。
すると・・
『こころ』に『ゆとり』が生まれ、なんとなく『ご機嫌さん』になれて『笑顔』に過ごせることが多くなるため『周波数』を高く保てるようになるんだ。
とはいうものの・・
みんなやることがいっぱいあって忙しいから『こころをこめて』暮しを『ていねい』にすることが、とても難しかったりもするんだよね。
それに・・
自分でもまったく気づくことができない『無意識』のなかで「早く・早く!!」とか「急がないと間に合わない!!」とか「こんなことしている場合じゃないだろう!!」などという言葉が呪文のように繰り返され・・
「次にあれとあれをしなくては・・」「あ~、もうこんな時間だ~」「無駄なことに時間をさいている場合じゃない」「でも、○○もしたいし・・◇◇もしたい」などと、つぶやいているため・・
自分では急いでしているつもりでも、今していることと次にしようとしていることが重なって『気』が散漫になっているため時間がかかり、次から次へと自分を急かす『事態』が起きてきて『ヒィヒィ』言いうようになってしまうんだ。
もちろん・・
今していることに対して、次に○○をしようと考えることができるからこそ、次から次へと物事がスムーズに運ぶのだけれど、次にしようとすることに対して「時間がない・・」「間に合わなかったらどうしよう・・」という『意識』が働いているため・・
そのような『現実』を引き寄せやすくしてしまい、時間がたりず間に合わない『現実』が起きてきて「こんなんじゃ、ダメだ、ダメだ」と自分を責め叱りとばしては『イライラ』する『負のスパイラル』におちいってしまうんだ。
こうなってしまうと、何でもない普通のことをしているのに『無意識』のなかで「急げ・急げ・急げ・・」と『全力疾走』しているため、心拍数や血圧が上がり『ドキドキ』しながら疲れきってしまうようになるんだ。
それに・・
自分のまわりにいる人に対しても『ゆったり』している人や別のことをしているように見える人を見ると、つい『イライラ』して『監視・干渉』したり『不満』を感じるようにもなってしまうんだ。
つまり・・
『無意識』のなかで、自分自身に向かって「ゆったりするのは許さん!!、急げ、急げ!!」と自分を『監視・干渉』しては叱りとばし怒っているため、それをそのまま『外の世界』に映しだしてしまうということなんだ。
でも、こんなふうになってしまうのには、それなりの『過去』や『背景』があるからなのであり・・
『本当の自分』は『おっとりさん』で、ゆったりしている姿が『本来の姿』なのに、急(せ)かされ叱られた『過去』があったり、時間に間にあわずひどいことになってしまった『過去』がある場合や、今、置かれている『環境』が常に急かされてしまうような『状況』にあると・・
「遅い!! 急げ!!」「間に合わないだろう!!」という『言葉』が呪いのように襲いかかり、思うように落ち着いてゆったりできなくなってしまうんだ。
それに・・
いつも落ち着いてゆったりしているのに、なぜか『仕事』がスムーズに早くできる人に憧れをいだき、自分もそのようになりたいと思っているものの、どうしても『気』が急(せ)いて『セカセカ』してしまうため「どうして自分は、あんなふうにできないんだろう・・」と落ち込んでしまい、自分を責めてばかりになり・・
「早いことはいいこと!!」という呪文がどんどん大きくなり、この状況からますます逃れられなくなってしまうんだ。
なので・・
時間は『相対的』なものであり「急がなくてはいけない!!」「時間がない!!」という『概念(考え方)』をくつがえし、自分を『楽に』することができれば『ゆとり』が生まれるようになるんだ。
例えば・・
- 雪道で車がぶつかりそうになるとき、一瞬の出来事なのに「あ~~~」という感じで時間が『スローモーション』のように感じられるよね
- 信号待ちで時計の秒針を見ていると1分がすごく長く感じられ、この間に何でもできそうな気分になるよね
- 時間がなく急いでいるときの3分はあっという間なのに、カップラーメンを目の前にして待っているときの3分は長く感じられるよね
- 楽しいことやなにかに夢中になっている時間はあっという間なのに、苦痛を感じているときの時間はすごく長く感じられるよね
など・・
- 早く過ぎ去ってほしいときや待ち遠しくおもうことは、時間が長く感じられ
- 「もっと、時間がほしい!!」「もっと、こうしていたい!!」とおもうことは、あっという間に過ぎていってしまうよね
このように・・
時間はその時々の『状況』や『心理状態』によって変わってくる『相対的』なものなんだから・・
「時間は案外、ゆったり流れているものだ」「時間は、たっぷりある」という『概念(考え方)』に切り替えて、とにかく、今、目の前にある1点に完全に『集中』しきって、あえてゆっくりする『癖』をつけるようにしていると『セカセカ』する気持ちが徐々におさまってくるはずだよ。
ゆっくりていねいにしていても時間がかからない人と、急いでいるのに時間がかかってしまう人とでは、このような時間の『概念(考え方)』に違いがあるのであり・・
「急がなくては・・」という『意識』に『気』をとられていると「急がなくてはならない!!」方に『アンテナ』が高く立ってしまうため、目の前のことに完全に集中できず、急がなくてはならない『現実』を引き寄せてしまうということなんだ。
なので・・
「ひとつひとつのことに『こころをこめて』ていねいにして、だいじょうぶ!!」「ゆったりしていれば、すべてうまくいく☆」という『言葉』をいつも自分に言い聞かせか『アンテナ』を高く立てるようにしていると・・
思わず『セカセカ』してしまっている自分にも客観的に気づけるようになって・・
そんなときは『ゆっくり』した呼吸を繰り返しながら、あえて動きを『ゆっくり』にして、ひとつひとつのことに『気』を集中させるように『修練』していると、すこしづつ気持ちが『ゆったり』してくるはずだよ。
とはいっても・・
最初のうちはどんなに小さなことでも時間がかかってしまい「やっぱり、やることが遅いんだ・・」と、早くできない自分を責め『時間』に対する『恐怖』に『ドキドキ』が止まらず落ち込んでしまうかもしれないけれど・・
そんなときは「いいよ、時間がかかってもひとつひとつのことに『こころをこめて』ていねいにしよう!!」と自分に言い聞かせ『ゆっくり』することを自分に『許し』ていると、だんだん気持ちが落ち着いてきて、時間の流れも『ゆっくり』になってくるはずだよ。
とにかく、すこしづつでもいいから、していることのひとつひとつに『こころをこめて』ゆっくりするよう『修練』していると、時間はかかっても知らぬ間に、時間の『概念(考え方)』は変わってくるから安心してね。
『こころをこめる』ということは『神様の愛』をこめるということでもあり、神様とつながることで『あたま』を『空っぽ』にすることができるから『こころ』がおだやかになれるんだ。
まさに『瞑想』しているのと同じようになれるよ。
すると・・
日々の小さなことにも『意識』が向き『愛』と『感謝』を感じられるようになって『命(魂)』を『よろこばせる』ことが、すこしづつ上手になり、生活に小さな『ゆとり』が生まれると『豊かさ』も感じられるようになるんだ。
それにね・・
完全に集中して神様とつながり『ひとつ』になれると、超集中状態である『ゾーン』にはいることができ・・
自分でもびっくりするぐらいの『潜在能力』が発揮できたりして、『夢』みたいな『いい気分』とか『無我の境地』とか『忘我』『至福』『恍惚』といった感じになれるらしいよ。
*『こころのアンテナ』をありたい方に向け高く立てる
『こころのアンテナ』をありたい方に向け高く立てるためには『ありたい姿』を思い描き『いい気分』にひたることや『五感』を楽しませ『いい気分』にひたることで『しあわせな気分』になれるといいんだ。
『ありたい姿』を思い描くためには『からだ』と『こころ』の声に耳をかたむけ、自分の本当の『気持ち』や『望み』である『本心』に気づき「こんなふうになりたい!!」という『イメージ』を思い描いたら、そんな『夢』や『希望』がかなった『ご機嫌さん』の『ルンルン』『ワクワク』『ほっこり』『しあわせ~』な『いい気分』にひたるといいんだ。
『五感』を楽しませ『いい気分』にひたるためには、癒やされたり和んだりする・・
- 『絵・映像・風景』などを観たり
- 『音楽・自然の音』などを聴いたり
- 『良い香り』を嗅いだり
- 『飲み物や食べ物』をおいしくいただいたり
- 『フワフワ・モコモコ』気持ちのいいものに触れたりして・・
『五感』で『ご機嫌さんのいい気分』にひたれるといいんだ。
こうして・・
ありたい方にアンテナを向け『いい気分』にひたればひたるほどアンテナは高くなり『周波数』は高くなるんだ。
すると・・
『無意識』のなかで流れている『過去』の辛く苦しい『ドラマ』の『チャンネル』を遮断でき『グルグル』『モヤモヤ』『イライラ』した『気分』から抜けだすことができるようになるんだ。
こうして・・
ぼくらが『いい気分』にひたっていると『神様の愛』で『こころ』が満たされるようになるから『安らぎ』や『しあわせな気分』を感じられるようになるんだ。
さらに・・
ぼくがおすすめする手軽にできることは・・
- 気持ちがほっこりしたり、和んだり、元気がでる好きな『物』(動物の写真、好きな人の写真、キャラクターグッズ、植物など)
- そのときの気分にあった好きな『色』(好きな色の服や小物を身につけたり、身近に置くカップやペンなどを好きな色にしたり、好きな色のお花を飾ったり)
など、好きな『物』や『色』を目に触れるようにして『いい気分』にひたることができると『こころのアンテナ』をありたい方に向けやすくなるよ。
あとは・・
- 「こんなふうになりたい」という『言葉』をつぶやいたり
- 「こんなふうになりたい」という『イメージ』を文章や絵で表現した『ドリームボード』を目に触れるようにしたり
- お風呂に入っているときやお散歩しているときや眠りにつく前の『のほほ~ん』としているときにステキな『イメージ』や楽しい『空想』をして・・
もう、そのようになった自分を思い描いていると『無意識』のなかにある『潜在意識』に『いい気分』を植えつけることができ・・
『こころのアンテナ』をありたい方に向け高く立てることができるため『周波数』を高く保てるようになるんだ。
このようにして『ご機嫌さんのいい気分』にひたっていると『本来の姿』の自分でいることができるから『赤いハート』に『神様の愛』の『光』が注がれ、自分がありたいところに高く『周波数』をもっていくことができるようになるんだ。
なので・・
『イライラ』していたり、気分がさえなかったり、ちょっと疲れているときなどには、無理をせず、今の自分にできる『いい気分』になれることで『気分転換』しながら・・
楽しくなることや『ウキウキ』するようなことを思い浮かべ『いい気分』にひたっていると『ネガティブ』な『気分』から離れられ『リフレッシュ』でき、勉強や仕事の効率も上がるようになるよ。
*『ネガティブ』なことでも『見方』や『とらえ方』を変え『距離』をとる
『不快』や『恐怖』などに出くわすと『イヤな気分』になり『周波数』は低くなってしまうよね。
例えば・・
- 陰気な場所や不吉な場所にいくと『ゾクッ』と寒気がしたり『イヤ~な気分』に襲われたりするよね
- 残虐な絵や風景を見ると、気分が悪くなったり、その後も思い出す度に『イヤな気分』に襲われたりするよね
- 『イライラ』している人や敵意をもっている人が近くにいると、こちらまで『イライラ』したり『ドキドキ』したりしてしまうよね
このように『周波数』を低くしてしまう『ネガティブ』なことからは『距離』をとることがたいせつになるよ。
『ネガティブ』な『場所』や『もの』であれば、あえて自分の方から近寄ったり触れたりしないようにしいていればいいんだ。
けれど・・
『光』があたるところには必ず『影』ができて『ポジティブ』と『ネガティブ』は『表』と『裏』のようにひと続きにつながっていて『見方(いろんな角度からみる)』や『とらえ方(いろんな解釈をする)』が変われば『反転』してしまうこともたくさんあり・・
『ネガティブ』なことがイヤだからといって、完全になくすことはできないんだ。
例えば・・
人がよろこぶことをするのは素敵なことだと考え、先回りしてお世話をしたり、ひんぱんに贈り物をしたりする人がいたとしたら、最初のうちは「ありがとう、うれしい!!」と思っていても、そのうち「そこまでしてくれなくてもいいのになぁ~!!」と思ってしまうこともあるよね。
人のためにと思ってしていることでも行き過ぎてしまうと、人のためにならず、かえって重荷になったり、ありがためいわくなることもあるよ。
特に・・
おじいちゃんやおばあちゃんなどは、孫が可愛いからとなんでもしてあげたくなってしまうけれど、親にしてみたら、そんなに甘やかしたら子どものためにならないから困るということもあるよね。
でもいざ、自分がおじいちゃんやおばあちゃんになったら、同じようなことをしてしまうこともたくさんあるものなんだ。
このように・・
『ポジティブ』なことでも『ネガティブ』になってしまうことはたくさんあり『ネガティブ』な『出来事』や『状況』や『人』を完全になくすことはできないんだ。
だからこそ『見方』や『とらえ方』を変え『距離』をとれるようになればいいんだ。
例えば・・
『こども』が公共の場で、不機嫌になり大声出して泣いていたとしても「こどもだから、しかたないなぁ~」とおもう程度で、ほとんどの人はそこまで『気分』が悪くなったり、怒りがこみあげたりはしないよね。
でも・・
『おとな』が公共の場で、不機嫌になり大声だして怒鳴っていたら、たいていの人は顔をしかめ『気分』が悪くなったり、怒りがこみあげてきてしまうよね。
でも、よく考えてみれば『おとな』でも、こんなふうに大声だして怒鳴りたくなることもあるよね。
けれど・・
ほとんどの『おとな』は、まわりの人を不愉快にさせないために、自分の『本性』を『理性』で『抑圧・禁止』しているから、いくら『感情』が荒ぶっていても、その気持ちをぐっと抑えることが自然にできるんだ。
自分の『本性』のなかには、大声だして怒りたいという『影』の自分がいても『無意識』のなかで「人前で大声あげて怒鳴るなんて、許さん!!」と『表』の自分が叱り戒めているから『おとな』らしい『ふるまい(言動)』ができるのであって・・
公共の場で大声だして怒鳴っている人を見たとき、怒りがこみあげ『気分』が悪くなってしまうのは・・
『影』の自分に対して『表』の自分が「人前で大声あげて怒鳴るなんて、許さん!!」と怒っているから、気分が悪くなってしまうんだ。
つまり・・
『表』の自分が『影』の自分に怒っている姿をそのまま『外の世界』に映しだしているということになるよ。
でも・・
「おとなでも大声だして怒鳴りたくなることもあるよね・・」と『影』の自分の気持ちをわかってあげて『理解』を示し『思いやり』のこころをもって、そんな『影』を認め許し受けいれ抱きしめてあげられるようになると・・
『おとな』が大声だして怒鳴っていても『見方』や『とらえ方』が変わったことで、それほど怒りもこみあげず『距離』をとって眺められるようになると、気分が悪くなることから自分を守ることができるようになるんだ。
それにもし、自分が大声だして怒鳴りたくなった場合でも、自分で自分の『影』のことを『観察』しながら「大声だして怒鳴りたいよね、でも、ここでは抑えておこう・・」と、自分の『感情』なだめることができるようになり・・
『影』は自分の『感情』をわかってもらえたことに気がしずまり『冷静』な『ふるまい』ができるようになるんだ。
こうして・・
人のものであれ、自分のものであれ、わきあがる・・
- 『思考』⇒『おとな』が公共の場で大声だして怒鳴るなんて、許さん!!
- 『感情』⇒『怒り』や『イヤな気分』
を『距離』をとって『観察』し、客観的に眺めることができるようになると・・
- 「そんなふうに思ってしまうこともあるよね・・」とわきあがった『思考』に『理解』をしめし
- 「怒りたくもなるし、イヤな気分になることもあるよね・・」とわきあがった『感情』に『思いやり』をしめすことで・・
『ネガティブ』なことでも『見方』や『とらえ方』を変えたことで『距離』をとることができたおかげで、自分のたいせつな『気(エネルギー)』を、そこにとられず、今、自分がしていることに『集中』できるようになるんだ。
このようになれると・・
人からの『批判』や『批難』や『悪口』も『考え方』や『見方』や『とらえ方』は人それぞれ違うんだから、どんなふうに思われても仕方がないよ・・
それに、人の気持ちを完全にわかろうとすることはお互いにできないんだから「きみはきみでよく、ぼくはぼくでいい!! のであり、人は人、自分は自分」と思えるようになると・・
人と自分をくらべる必要などなく『自分らしさ』や『自分らしい生き方』や『自分らしいしあわせ』に「これでいい!!」と思えるようになれるんだ。
すると・・
いい意味で『人の目』を気にしないでいられるようになるため、受けとりたくない『負の気』から『距離』をとることができ、自分を守ることができるようになるんだ。
このときたいせつなことは『善悪の判断』を超えることなんだ。
『善悪の判断』をしてしまうと・・
ぼくは『○(まる)』だけど、きみは『✖(バツ)』という考えにしばられ『✖(バツ)』にしたことによって『不快』な『感情』がわきあがって『イヤな気分』になると『周波数』がど~んと低くなってしまうから・・
人それぞれ違っているんだから、違う『意識(思考・感情)』で違う『ふるまい(言動)』をしていても、そこに『正しい/間違っている』『普通/普通じゃない』などと判断するより・・
「ぼくとは違うけど、なるほど~きみはそんな感じなんだね」と、いったん受けとめることで『多様性』を認められるようになると『善悪の判断』を超えることができるようになるんだ。
すると・・
『ネガティブ』に感じられる低い『周波数』の『思考』や『感情』や『ふるまい(言動)』に囚われたり、ふりまわされず、受け流すことができるようになるんだ。
そもそも・・
自分と人が同じ『意識(思考・感情)』になって、同じような『ふるまい(言動)』をすることを求めること自体が不自然であり・・
人の『ありよう』をあれこれ『監視・干渉』したり『抑圧・禁止』して『コントロール』しようとすると、自分もほかの人に『監視・干渉』され『コントロール』されるようになってしまうものなんだ。
それに、意外かもしれないけれど・・
自分が最も嫌っている『ふるまい(言動)』をする人の『思考』や『感情』ほど、自分の『影』がもっているものであり、それを許せずにいるため・・
自分が『無意識』にそうなってしまわないように目を光らせ『監視・干渉』しては『抑圧・禁止』しているから、そういう『ふるまい(言動)』をしている人を見ると許せなくなり、怒りがこみあげてきてしまうということなんだ。
そんな怒りがこみあげてくる人たちは、実は自分のまわりにいる近くにいる人たちだったりして・・
『表』の自分が『影』の自分に『✖(バツ)』をつけているその姿をまわりにいる人たちが『鏡』のように映して見せてくれているんだ。
なので・・
怒りがこみあげることがあったら、自分のなかにも「あんな姿の自分もいるのかぁ~、教えてくれてありがとう・・」という気持ちになって『影』の姿を認め許し受けいれることができるようになると・・
あれこれ責めず『距離』をとって眺めることができ、それほど『気』にならないでいられるようになるんだ。
でも・・
『影』の姿を見せてくれている人が自分と強く関わりがある人の場合(家族・恋人・隣人・職場や学校で関わりがある人など)は『距離』をとることが難しいため、相手と『向き合う』必要があるんだ。
互いに『本心』や『本音』を交わし合うことで一時、雨嵐のようになることもあるかもしれないけれど、こうして『向き合う』ことで互いを『理解』しようとして『歩み寄る』ことができると・・
『雨降って地固まる』のように、むしろ『信頼』しあえる関係になれたりもするんだ。
とはいえ・・
親など血がつながった人が『反面教師』のように自分の『影』の姿を見せてくれている場合は「絶対にあんなふうには、なるまい!!」と強くおもい、激しい『反感』や『怒り』がわきあがり『平常・平静』でいられなくなってしまうため『向き合う』のは難しいともいえるんだ。
ただ・・
こんなふうになってしまうのも、人の『情(じょう)』ではあるんだけどね・・。
いずれにしても、親の『DNA』が自分のなかに引き継がれていることは確かであり・・
窮地に追いやられていたり、疲れていたり、正常な判断ができなくなっていたりするときに、なにかの『はずみ』で『タガ』がはずれてしまうと「あんなふうには、なるまい!!」と強く抑圧してきたのに、同じような姿になり自分でも手に負えないようになってしまうこともあるんだ。
また、親の年齢に近づくにつれて似たような姿になることもよくあるため、日頃から自分を客観的に見つめる『癖』をつけて『表』の自分が『影』の自分にのっとられてしまわないように『分別』をもつことがたいせつになるんだ。
もし・・
『影』の姿を見せてくれている人と『いがみあい』や『共依存』の関係が強くなり過ぎている場合は『距離』をとって離れることがとてもたいせつになるんだ。
とはいうものの、親子のように血がつながっている場合や夫婦や恋人のように親密な関係の場合は『反発』しているのに、離れるのを辛く感じる『情(じょう)』がわきあがってしまうため・・
よほど『強い意思』をもって離れることを決め、実行しないと、たとえ、離れることができたとしても、相手のことが『心配』になったり『気がかり』に思っていると、その人を放っておけなくなる『事態』が起きてきて・・
またまた『弱い自分』が顔をだし、元にもどってしまうと、自分のなかの『内なる傷ついた子ども』は弱いまま『おとな』にさせることができず『自立』できなくなってしまうから・・
どんなにその相手がかわいそうに見えたとしても、泣いてすがってきたとしても、互いに自分で自分を『しあわせ』にする責任を果たすために、わきあがある『情(じょう)』を手放し、離れることへの『罪悪感』をぬぐい去る『クールな自分』に徹し・・
相手の『強さ』を信じ『自立』を祈り見守りながら離れることで『共依存』の関係を断ち切ることができるようになるんだ。
そうしないと、互いに足腰を弱めたまま『自立』できなくなってしまうからなんだ。
強い自分になって、なんとか離れ『自分らしく』いられる環境に身を置き、自分が好きなことや得意なことに専念することができるようになると『自立』に向って生きられるようになるんだ。
また、自分も大人になり親の気持ちが『理解』できるようになったり・・
相手と離れたことで自分を見つめることができると、相手のことを『理解』できるようにもなり・・
相手も自分も『自立』して『魂』を同じレベルまで成長させることができると、再び会ったときには『良好な関わり』を築けるようになり・・
親子の『確執』を克服できたり、ほどよい『距離』を保つことで『親離れ・子離れ』ができたり・・
夫婦や恋人の場合は、互いに健全な『愛』を交わし合える関係になれたりするんだ。
けれど・・
真に『自立』することができないままでいると、その相手から離れ別の人と近しくなったとしても、そこでも『共依存』の関係が始まってしまい・・
敵対しあうか、その人に嫌われることをおそれ、自分の『本心』や『本音』にウソをついてまで、その人の『期待』や『要望』に応えようとする『弱い自分』になってしまい・・
『共依存』の『呪縛』から逃れることができないまま『負の連鎖』は『世代』も超えて続いていくことになってしまうんだ。
なので・・
互いに自分の人生に向き合う『チャンス』をもつためにも『弱さ』を克服するためにも、ある意味、自分にも人にも『厳しく』なって、すっきり離れることがとてもたいせつになるんだ。
あとは、自分に『やさしく』なって自分を自分で『しあわせ』にするために、好きなことや得意なことに励み『命(魂)』が『よろこぶ』ことに専念していると『自立』に導かれていくようになるんだ。
*まずは、受けいれてから対処する
『期待』したとおりでないことが起きてきたり『不安』や『心配』や『不信』をまねくようなことが起きたりすると『あたま』や『こころ』は曇り『周波数』は低くなってしまうよね。
また・・
この世は『不条理(意味がわからずめちゃくちゃなこと)』や『理不尽(納得できないこと)』なことが起きてきたり『人智(人の知恵や努力)』がおよばない『天災』や『病気』に見舞われることもあり・・
「どうしたらいいのだろう・・」と思い悩むこともたくさんあるけど・・
神様の『視点』からすれば起きることはどれも『魂』の『成長・進化』にとって必要があるから起きているのであり、そこから『気づき』を得なさい・・ということでもあるんだ。
どんなことでも『エネルギー』を注いだ分『かたち』を成していくものであり、起きたことに「イヤだ・イヤだ」「どうしよう・どうしよう」という『ネガティブ』な『エネルギー』ばかりを注いでいると『ネガティブ』なものがふくらみ、さらなる『ネガティブ』を引き寄せやすくさせてしまうんだ。
それに・・
『ネガティブ』なことに囚われ自分のたいせつな『エネルギー』を無駄づかいするより『ポジティブ』な方に『エネルギー』を注いだ方が『事態』を悪化させず『好転』できるようになるから・・
まずは、どんなことでも、一旦、受けいれてしまおう!!。
どんなに高い『アンテナ』も、もともとは低い『アンテナ』から『スタート』していて、まずは、低い『アンテナ』を受けいれることで『アンテナ』を高くすることができるから・・
『イヤな気分』になり困惑している自分のことをちゃんと受けとめ、わかってあげてから『事態』や『状況』を受けいれてしまおう。
特に、自分の力だけでは、どうすることもできないようなことに対しては『ジタバタ』するのをやめて、とにかく受けいれて・・
今、する必要があること、今、したいこと、今、できることをして『今を生きる』ようにしながら『時の流れ』と共に変わる『状況』に身を委ねることで『周波数』を低くしないようにしていればいいんだ。
とはいえ・・
ついつい『抵抗』したり『おそれ』の『感情』に囚われてしまったりするよね。
でも、そうなってしまうと・・
- 火に油を注いでしまう(事態を悪化させてしまう)
- 『ネガティブ』なものと同じ土俵に立ってしまう(周波数が低くなってしまう)
- 『ネガティブ』なループにはまってしまう(低い周波数にとどまってしまう)
ことになり、出来事や人を『責めること』や『怖がること』ばかりに『エネルギー』は消耗され『いい方向』に発展することはないから・・
『抵抗』したり『おそれ』の『感情』をもってしまうこともわかってあげて受けとめてから『気持ち』を落ち着けて『冷静』になれるといいんだ。
そのために『呼吸』を整えよう。
鼻から息を吸って口(鼻なら、なおOK!!)から吐く呼吸を『こころ』のなかで『1~2~3~・・』と数えながらゆっくりした深い『呼吸』を繰り返していると、たかぶってしまう気持ちをしずめることができるようになるんだ。
もし・・
思うように『呼吸』ができないようなら、数字の代わりに好きな食べ物や好きな物や元気になれる言葉を『つぶやき』ながら、すこしでも『いい気分』になれると『気持ち』が落ち着いてきて『冷静』になれるようなんだ。
こうして・・
『ネガティブ』な気分から『ポジティブ』な気分に切り替えることで、だんだん気持ちを落ち着け『冷静』になってから・・
どうしたらいいかを考えるか、または、今、目の前にある、する必要があることに集中するようにするといいんだ。
特に、人に対して『抵抗』や『おそれ』を感じているときは『感情的』になってしまい、こちらが『感情的』になると相手も『感情的』になってしまうから、まずはこの呼吸を繰り返し『気持ち』を落ち着け『冷静』になってから・・
『事態』をよくしたいのであれば、前向きな『ふるまい』や『提案』や『話し合い』をしてみればいいんだ。
例えば・・
いつも機嫌が悪く怒りっぽい人がいたとして、でも、その人と仕事をしなくてはならないようなとき・・
ここで「なぜ、あんなにいつも怒っているのだろう?仕事がしずらい」と考えるより・・
「あの人は何に怒っているのだろう?」と相手のことを『理解』しようとしたり「お互い協力しあえるようにするためには、自分はどうしたらいいだろう?」と、自分と相手のことを『客観的』に観察するために、ノートに書き出してみるとお互いのことを『理解』しやすくなるよ。
もし・・
思うように『理解』できないのであれば、前向きな『ふるまい』や『提案』や『話し合い』をするために『こころ』を開き、すこしづつ『本心』を伝えるようにしているとだんだんわかりあえるようになってくるはずだよ。
ここでたいせつなことは、誰でも自分に『✖(バツ)』をつけられると『こころ』を開くのが難しくなってしまうから、上から目線になったり、下手(したで)にでたりせず『対等』になれるよう、自分に言い聞かせていればいいんだ。
こうして・・
互いに『理解』しあうために『言いたいこと』をすこしづつ伝えるようにしていると『事態』をよい方向にもっていくことができるようになるはずなんだけれど・・
これらのことをする気持ちの『余裕』がなかったり、したくないのであれば無理しなくてもよくて、相性が『いい・悪い』『気が合う、合わない』の『感覚』は本能的なものであり、ある意味どうすることもできないものでもあるから・・
ここは、仕事と割りきって『図太い神経』になり、自分がすべきことに『集中』しながら、自分で自分の『ご機嫌』をとって『いい気分』を保つようにするか・・
もし、できるのであれば、その人から物理的に『距離』をとれるようにしていれば『気分を害する』こともなく、お互いにとっていいことになるはずだよ。
あとは・・
『冷静』になるためにわきにおいた『怒り』『おそれ』や『悲しみ』の『感情』をできるだけ早めに、自分なりの健全なやり方で吐き出し、発散させ、気持ちを『スッキリ!!』させることができると心身を健康に保つことができるんだ。
わきあがった『感情』を抑えこんだままにしておくと・・
- 『辛い感覚』を『麻痺』させたことで『本当の気持ち』がわからなくなったり
- 『辛い感情』が『毒素』のようになり、絶えず気分が悪く体調不良やからだのどこかが痛かったり、眠れなくなったり
- 『感情』を押し殺し『本当の自分』を打ち消していると、生きてる世界から色が消え失せ『灰色』になってしまったり
- 自分を見失ったまま『人』や『環境』や『状況』に流され疲れ果ててしまったり
- 人や自分を傷つけるようになったり
- だんだん『絶望的』な気持ちになって『生きる気力』を無くしてしまう・・
こともあるから気をつける必要があるんだ。
『ネガティブ』な『思考(考え)』や『感情(気持ち)』である『負の気』はどこかに消え去ることはなく積もり積もっていくと、心身にさまざまな『不調』や『痛み』を引き起こし『病気』になったり『命』に関わる最悪なことになることもあるから、ちゃんと感じて吐き出してほしいんだ。
『イヤなものはイヤだし』『どうしよう・・』って困惑してしまう気持ちはおさえられないものでもあるから・・
受けいれるためにも、自分はこんなにも辛く苦しんでいるという気持ちをとことん吐き出させてあげよう!!。
- 一人きりになれるところで「イヤだ・イヤだ・・」「最悪だ~どうしよう・・」と思いっきりわめいたり、怒鳴ったりさせてあげよう
- ノートに辛い気持ちや困惑している気持ちを書き出し『ネガティブ』な『思考』や『感情』を表にだしてあげよう
- 『からだ』を思いきり動かし『ネガティブな気分』を発散させてあげよう
このとき、汚い言葉や暴言を吐いたページは『ビリビリ』に破り捨てて、後腐れがないようにしてしまおう!!。
こうして・・
もう、疲れてしまうぐらい『負の気』を吐き出させ『どん底』な気分に浸りきると、案外『スッキリ』できて「もう、ここからは、はい上がっていくしかない!!」という気分になれたりもするんだ。
とはいっても、こんな『ネガティブ』な気分に襲われてしまう『波』は何度かやってくるかもしれないから、その度に『負の気』は吐きだして『スッキリ』させてあげればよく・・
それでも思うように『スッキリ』できないときは、おいしいものを食べたり、好きなことをさせてあげたり(不健全にならないように)、誰かに辛いおもいをきいてもらったりして、自分を『いい気分』や『軽い気分』にできる『気分転換』をすることで自分を腐らせないようにすることがたいせつになるんだ。
こうして・・
気分を『スッキリ』させてあげていると、だんだん「どんな『苦悩』も、受けいれるしかないなぁ~」という『境地』になってくるだろうから・・
そうしたら、あとは小さなことで『気分』がよくなること『楽に』なれること『楽しく』なれること『笑える』ことの方に『アンテナ』の向きを変えて『今を生きる』ようにしていれば『周波数』を高く保つようになれるよ。
ノートに書き出す場合は『負の感情』だけではなく、そのときに自分がどんなことを思い、どんな感じがしているかもつづっていると自分を見つめることもでき、気持ちの『整理』もできるから『一石二鳥』になるよ。
あとは、ひどい考えや言葉や『ドロドロ』した『感情』を『浄化』していただけるよう神様にお祈りしながら「自分のなかの『怒り』や『悲しみ』や『憎しみ』や『恨み』を洗い流してくださり感謝です」と神様にお祈りしていると『あたま』と『こころ』と『からだ』が軽くなってくるよ。
ノートに書き出し、自分の本当の『気持ち』や『望み』に気づいたのなら、そのおもいをかなえるためにどうしたらいいか『道筋』を考えたり『決意表明』もノートにつづることができると『自己実現』に向けて『行動』することが明確になり『力づけ』や『励み』にもなるんだ。
こうして・・
何度も読み返すうちに、すこしづつ『自己実現』が近くなっていることを実感できるようになると、すこしづつ元気が出てきて自信もつくようになるよ。
それでも、行き詰まってしまうこともあるよね。
そんなときは、もう一度、よく自分を観察しながら、その都度『自己実現』に向けて、内容を『修正』していけばいいんだ。
こうして・・
『負の気』を『こまめ』に吐き出して『根に持たない』ようにしながら『からだ』と『こころ』の声に耳をかたむけ、自分の本当の『気持ち』や『望み』を小さなことからかなえてあげるようにして、できるだけ自分に『やさしく』していると心身を健全に保てるようになるんだ。
どんな『負の気』であっても、自然にわきあがるということは『精神』の『バランス』をとろうとしているのであり、実は、ありがたいものでもあるんだから・・
ないがしろにしないでいると、人が放っている『負の気』にも「そうやって、バランスをとろうとしているんだね・・」とわかってあげられるようになり・・
ひっぱられず、自分は「ここでは、イラッとしなくていいんだよ」と、先ほどの『呼吸』を繰り返しながら気持ちをしずめることができると『平常・平静』でいられ『周波数』を低くしないでいられるようになるんだ。
とはいっても、血の通った人間であれば『負の気』を感じると、たいていはひっぱられ『イラッ!!』ときたり『カチン!!』としたり『ビクビク』おびえたりして『イヤな気分』になってしまうのは人の『性(さが)』であり『人間らしさ』でもあるから・・
どうしても『感情』をおさえられないときは、むしろ『感情的』になることもたいせつになるんだ。
こうして・・
素直な『感情』をだして『本心』や『本音』で人と向き合うことは『自然な姿』でもあるんだから・・
「これでいい!!」と思えるようになると『本気』な気持ちが相手に伝わり、互いに『腹を割って』話すことや『裏表ない姿』になれて『信頼感』や『親近感』が生まれるようにもなるんだ。
こんな『ピュア(素直で正直)』な気持ちをたいせつにして、偽りのない姿でいることを自分に許すことができると、むしろ、人にうらやましがられるほど魅力的な人になれたり、人に気を病まず『自然体』の自分のまま人と関わることができるようになるんだ。
いずれにしても・・
- 『感情』をしずめ『冷静』になったところで『ポジティブ』な『思考』に切り替え、その人と『本心』を交わし『向き合い』たいのか
- 『本能的』にその人と『距離』をとりたいのか
- 自然な『感情』もだしながら『本心』や『本音』をぶつけ『本気』でその人と『向き合い』たいのか
自分はどうしたいのか『こころのままに』あればいいってことになるよ。
でも・・
ここで一旦、解決できたようにみえたことでも、その後も何度も同じような『苦悩』や『おそれ』に見舞われ、どうしても『波立つ感情』を静めることができず『モヤモヤ』した『イヤな気分』の『ループ』から抜け出せない場合は・・
まだまだ『怒り』や『悲しみ』や『憎しみ』や『恨み』の『感情』が『グルグル』とうずまいたままになっているのかもしれないから『膿』のような『ドロドロ』した『感情』をもっともっと吐き出させてあげて『こころの傷』が癒されるようにしてあげよう。
あとは・・
まだまだ『あたま』のなかが『混乱』していて『未解決な課題』をかかえているということでもあるから・・
根本的な『問題』を解決するために、もっと深く自分のなかに入って自分を『観察』して、自分や人を『抑圧・禁止』しているものがなになのかをつきとめて・・
自分も人もほどき『楽に』してあげられるような『思考』に切り替えられるといいんだけど・・
自分ひとりで『観察』するのが難しい場合は『観察』することを手助けしてくれる『信頼』できる人を頼ることもたいせつになるよ。
こうして・・
自分のことを深く『観察』していると『ネガティブ』に見えることのなかには、自分が過剰に『抑圧・禁止』しているがゆえに『ネガティブ』に見えてしまうこともたくさんあることに気づくようになるよ。
例えば・・
まじめすぎたり厳しすぎる人の場合、自分がズルしたりミスしたりすることを過剰に『抑圧・禁止』しているため、他の人がちょっとだけ気を抜いたり、ちょっとだけミスったりすることを許せず『ネガティブ』なこととして受けとめてしまうため、怒りがこみあげ『イライラ』してしまうけれど・・
まじめすぎたり厳しすぎる自分をすこしだけゆるめてあげて「もっと楽に生きていいんだよ・・」と、自分に甘くなれると・・
他の人のことも大目に見ることができるようになり『ネガティブ』にとらえていたことがだんだん許せるようになってきて・・
あるとき気づいたら『イライラ』することが減ってきたことに驚くかもしれないよ。
まじめすぎたり厳しすぎる自分の『思考回路』を自分にも人にも『やさしく』楽になれる『思考回路』に切り替えたことで、緊張しやすい『神経』がゆるめられ『イライラ』の少ない世界で生きられるようになったということになるよ。
でも・・
どうしてもまじめで厳しくなってしまう自分を変えられないこともあるよね。
そんな時は、自分は自分のままでよくて『○(まる)』ちょっとユルい感じの人も『○(まる)』・・みんなそれぞれ違っているのだから、人と自分をくらべたり、人と自分が同じようになることはできないんだからと『割りきる』ことができれば・・
多様なものを認め『✖(バツ)』をつけずにいられるようになり『不愉快』や『理不尽』な出来事や人も引き寄せることが減り、ずっと生きやすくなってくるはずだよ。
自分にも人にも『やさしい気持ち』になって『○(まる)』にすることができるようになれると『意識(思考・感情)』が広がり『周波数』が高くなるということなんだ。
*『ピンチ』を『チャンス&チャレンジ』にする
- 今まではよかったのに、なぜかだんだん、思うようにいかなくなってきた
- 今までずっと頑張ってきたのに、なぜかうまくいかない・・
こういう『ピンチ』のときは、一度、立ち止まって、今までのことをふり返ってみるといいんだ。
時代の流れとともに、今までと同じことをしていたのでは『立ち行かない』ことが起きてくるのは当然といえば当然であり・・
また、今までとは違う『角度』から見たり違う『発想』をすることで『見方』や『考え方』を変えた違う『意識(思考・感情)』になって、今までとはまるで違う『やり方』でチャレンジすることで・・
むしろ、この『ピンチ』を『チャンス&チャレンジ』に変えていくことができるんだ。
例えば・・
「○○じゃなければダメだ・イヤだ」という『こだわり』や『決めつけ』が強すぎると、知らないうちに肩に力が入り思うようにいかなくなることもあるけど・・
『こだわり』や『決めつけ』をゆるめ、もっと『気楽に』考えたら案外、うまくまわるようになることもあるし・・
起きることは『中立』などと言われるように「雨はイヤ!!」と思おう人もいれば「雨はありがたい!!」と思う人もいるように、同じ『状況』でも『見方』や『とらえ方』や『考え方』や『感じ方』が変われば『ネガティブ』にも『ポジティブ』にもなるということなんだ。
また・・
今までずっと頑張ってきたのに、なぜかうまくいかない場合は・・
『自分らしく』輝ける『ギフト』を神様があたえようとしているのに『本来の姿』とは違う自分が勝手に『素晴らしい』と思い込んでいる『理想とする姿』を追い求めていたり、親や世間の期待に応え認められる『いい子・いい人』になろうとして・・
神様からの『ギフト』を受けとれずにいるということなんだ。
つまり・・
『本来の姿』ではない自分になることばかりに『エネルギー』をムダづかいしているため、頑張っているのに、うまくいかなくなっているんだ。
もしかしたら「本当は○○でありたい・・」「本当は○○したい・・」とうっすら感じていても「そんなの違う」「そんなことしている場合ではない」と、自分の『本当の気持ち』を無視しているため・・
神様からの『ギフト』である自分の『特質(個性・才能)』を伸ばしたり磨くことができなくなっているんだ。
なので・・
自分が『理想とする姿』や親や世間の期待に応える『いい子・いい人』になろうとすることから一旦、離れて・・
『こころ』の奥に封じ込めた「本当は○○な自分になりたい!!」「本当は○○をしたい!!」と感じている本当の『気持ち』や『望み』にまずは気づいてあげよう!!。
世間で、いいこと・立派なこと・素晴らしいこと、安定・安心と思われることであっても、それが『本来の姿』でなければ、頑張っていてもうまくいかなかったり、しっくりこなかったり、居心地が悪かったり、息苦しくなってしまうのは、当然といえば当然なことだからなんだ。
なので・・
今まで無理して頑張ってきた自分に「お疲れさま」と言ってあげて・・
- あえてなにもしないでボーッとすることを自分に許し、ゆったりと自分と『向き合って』みたり
- 自然の懐(ふところ)に抱かれ『五感』を楽しく遊ばせてあげたり
- 今まで我慢してきたことや「これ、やってみたい!!」ということをさせてあげるようにして・・
まずは、自分を解放することができると、こりかたまっていた『あまた』がほぐれ『本来の姿』の自分がひょっこり顔を表わすようになるよ。
すると・・
- 自分の本当の『気持ち』や『望み』である『本心』に気づくようになったり
- これからどうしていきたいのかが、なんとなくわかるようになったり
-
自分がおちいりがちな『悪い癖』に気づくことができ『考え方』や『やり方』を変えいけるようになったり
- ピカッと『ひらめく』ことがあったり『いいアイディア』が浮かんだりして・・
気分がよくなる方や楽しく『ワクワク』できる方に『アンテナ』を向けられるようになるよ。
こうして・・
『命(魂)』がよろこぶことを自分にさせてあげていると『命(魂)』は元気をとりもどし『周波数』を高くすることができるんだ。
このときにたいせつなことは「自分はなにをしてきたのだろう・・たくさんの時間を無駄にしてきてしまった。自分は、なんてダメな人間なんだろう・・」などと、自分を責めたり卑下すると、自分を解放するどころか『過去』に自分を縛りつけ苦しめることになるから・・
どんなに長い間、無駄な時間を過ごしてきたように見えても『本来の姿』とは違う『生き方』をしてきたから『本当の自分』を生きたいと思えるようになれたことに『感謝』しよう。
むしろ、遠回りしたからこそ見てきた『景色』や無駄なように見えた『経験』が、これからの自分に必要な『見聞』や『知恵』や『筋肉』をつけてくれていたことに後々、気づくようになるはずだから・・
今まで『頑張ってきた自分』をほめ、すべては『本来の姿』の自分にもどるための『気づき』や『学び』や『筋力』を得るための『プロセス』であったことに『感謝』しよう。
起ることはすべてつながっていて、今までの自分に『○(まる)』をつけることができれば、今の自分にも『○(まる)』をつけることができ、これからの自分にも『○(まる)』をつけていくことができるようになるんだ。
これからの『新しい世界』では、無理して頑張る低い『周波数』の『意識(思考・感情)』では、むしろ立ち行かなくなり『いい気分』や『ワクワク』できることに励めば励むほど神様からは『命(魂)』を輝かせてくれる『ギフト』が届くようになり『周波数』を高くできるようになるんだ。
今まで封じこめていた『ありたい姿』を描き、その姿になれるよう努力していれば、神様もその『電波』を『キャッチ』しやすくなり、そのとおりになれるような『流れ』をつくってくださるから・・
『流れ』がやってきたら、ポ~ンと、のってしまえば『ピンチ』を『チャンス&チャレンジ』にすることができるようになるよ。
というわけで・・
『ピンチ』に出会ったときは「ネガティブなことから逃れたい」と思うより・・
- 今こそ、新しい考え方や生き方にチャレンジしてみよう!!
- 新しいことや場所に向っていくチャンスがやってきた!!
という『ポジティブ』な『転換』や『発想』をしてみよう。
今までの『タブー』や『常識』や『固定概念』や勝手な『思い込み』や『決めつけ』も疑ってみて、もし不自然な感じがするなら、もっと『視野』を広げ多角的にみることで『見方』や『とらえ方』や『考え方』を変えることで・・
今まで一方向からしか見られず『苦しんできたこと』や『あきらめてきた』ことへの『制限』がとれ、もっと自然な方、もっと楽しく感じる方、もっとやってみたいと感じる方に『アンテナ』を向けられるようになるよ。
こうして・・
『あたま』をやわらかくして、楽しいことに『空想』をめぐらしていると『こころ』が動きだし、あれこれしたくなるはずだよ。
そしたら・・
動きだしたことがきっかけとなって新しい『扉』が開くと、新たなる『気づき』や『アイディア』もわきあがり・・
新しい『出会い』があることで、次なる『扉』が開くと、次から次へと『ポジティブ』な流れができてきて『ピンチ』を『チャンス&チャレンジ』にしていくことができるようになるよ。
*人の『愛』を素直にありがたくいただくことで『こころ』からの『愛』を交わしあえるようにする
人の『愛』を素直にありがたくいただくことで『こころ』からの『愛』を交わしあえるようにするためには・・
まずは・・
自分に『やさしく』なって『自己肯定感』と『自尊心』を高く保つようにすることがたいせつになるんだ。
そうすると・・
人の『やさしさ』や『親切』や『善意』や『好意』などの『愛』を「申し訳ありません」「すみません」という『罪悪感』が先立つより・・
「ありがとうございます」「うれしいです」という『感謝』の気持ちで素直に『愛』をいただくことができ・・
『愛』をあたえた方も『愛』をいただいた方も『こころ』が満たされ『愛』と『感謝』がめぐり、お互いに『周波数』が高くなるからなんだ。
では・・
なぜ『愛』を素直にありがたくいただくために『自己肯定感』と『自尊心』を高く保つ必要があるかをお話すると・・
『自己肯定感』と『自尊心』が低いと、自分に『✖(バツ)』をつけ『自己卑下』していることになり・・
『自己卑下』していると・・
人の『やさしさ』や『親切』や『善意』や『好意』などの『愛』を受けとる価値が自分にはないと『思い込んで』いたり・・
いただいた『愛』に対しても、これほどの『愛』は、もういただけないかもしれない、また、せっかくいただいた『愛』も長続きせず失ってしまうかもしれないなどの『おそれ』の感情がわきあがり・・
『愛』をいただくことに『罪悪感』や『抵抗』や『おそれ』を感じ『おじけ』づいてしまうからなんだ。
さらには・・
自分をたいせつに尊ぶことができないため、どんなに困っていても、どんなに辛く苦しくても「人に頼ったり、助けてもらったり、甘えたりすることなんて、そんな人に迷惑をかけることはできない、許さん!!」と思ってしまい、人の『愛』を素直にありがたくいただくことができなくなっているんだ。
すると・・
自分でも気づくことができない『無意識』のなかで、自分だけでなく自分以外の人に対しても「人に頼ったり、助けてもらったり、甘えたりすることなんて、そんな人に迷惑をかけることは、許さん!!」と思ってしまうため・・
『こころ』からの愛を交わしあうことが難しくなってしまうんだ。
それに・・
みんなそれぞれに自分の生活をするだけでも忙しいから、時間をさいてもらうことに『迷惑』をかけて『申し訳ない』というおもいがわきあがり、人からの『愛』をいただくことに、どうしても『抵抗』を感じてしまうからなんだ。
とはいえ・・
人はひとりでは生きていけず、互いに支えあい、寄り添いあい、温もりあい、補いあい、助けあい『愛』を交わしあうことが自然であり・・
『不安』や『心配』や『不信』に襲われたら、ひとりで抱え込んだりせず、人の『やさしさ』や『親切』や『善意』や『好意』などの『愛』を信頼して、人に相談したり、頼ったり、甘えたり、助けてもらうことが素直にできるようになると・・
今度は、苦しんでいる人のこともわかろうとしながらそっと寄り添い、必要な『助け』や『見守り』ができ『愛』をあたえることができるようになり・・
『お互いさまのおかげさまのありがとう』のつながりのなかで自然な『愛』を交わしあうことができるようになるため『周波数』を高くすることができるんだ。
すると・・
『魂』もひとまわり大きく『成長』できるんだ。
けれど・・
自分をへりくだることが『美徳』だと教えられ、人に親切にしてもらうことに『恐縮』な気持ちをもってしまう人にとっては、人には『愛』をあたえることはできるのに、人からの『愛』を素直にありがたくいただくことに『抵抗』を感じ・・
ついつい「申し訳ありません」とか「こんなにしてもらうと、こころ苦しいです」とかいう気持ちになったり伝えたり、何かでお返しをしなくては・・などと思ってしまうんだ。
それで・・
自分が病気になって寝たきりになったり、元気がなく仕事ができなくなったり、人のお世話になるような『事態』が起きてしまうと・・
人に頼ったり、助けてもらうことに心苦しさばかりを感じ「こんな自分では人に迷惑をかけるばかりで申し訳ない」という『罪悪感』や、やさしくお世話してくれていることに対しても「自分はそんなにしてもらうほどの人間ではありません」という『自己卑下』の気持ちばかりがつのってしまい・・
『無意識』のうちに、自分を責めたり苦しめたりして、生きていること自体を自分で辛くさせてしまうんだ。
すると・・
お世話をしてくれている人に「申し訳ないです」という心苦しい『陰の気』や「自分はやさしくされる資格などない」という低い『周波数』ばかりをあたえてしまい・・
お世話をしてくれている人の気持ちを暗く沈ませ重苦しさばかりを感じさせてしまうため、そのうち、お世話をしてくれている人の気持ちのなかに『怒り』や『意地悪な気持ち』がわきあがり辛くあたるようになってしまい、互いの『周波数』が低くなってしまうこともあるんだ。
また・・
人から『愛』をいただくことが苦手な人のなかには、人に『愛』をあたえることも『苦手』な人がいて・・
自分が『愛』をあたえることで、相手の人に自分が感じているような『申し訳なさ』を感じさせ『負担』をかけてしまわないだろうか・・と考え、人に『愛』をあたえることをためらうようになってしまうんだ。
こうして・・
人から『愛』をいただくことに『申し訳ない』というおもいを持っていると・・
逆の立場になって、人のお世話をするようになると『無意識』のなかで、人に迷惑をかけられ『犠牲』をはらっているという気持ちがわきあがり『イライラ』するようにもなってしまうんだ。
「いえいえ、そんな『犠牲』など感じません」と自分ではおもっていたとしても『人のお世話をしているいい人でありたい』または『人のお世話をすることでいい気分になりたい』という、自分の小さな『欲』に気づけず『無意識』のうちに『やさしい姿』を演じていることもあったりするんだ。
とはいえ・・
こういう気持ちは、だれのなかにも多かれ少なかれあるのが普通なんだけどね・・。
もし・・
きみが生産的なことが一切できず、人にお世話をしてもらわなければならなくなったとき、きみはどんなふうになってしまうだろうか・・。
こんなみじめな自分は許せないと『罪悪感』や『自己卑下』ばかりをつのらせ『こころ』を痛め、申し訳ない顔や悲しい顔や不機嫌な顔や苦しい顔ばかりして、この世を『生き地獄』にしてしまうか・・
それとも・・
こんな自分でも自分の『弱さ』を認め受けいれ「OK!!○だよ」と『やさしく』なって、お世話をしてくれる人にできるだけの『笑顔』で『感謝』しながらも、辛いときには「辛い・・」と伝えたり「○○してほしい」という要望も正直に伝え『ご機嫌さん』でいることができるだろうか・・
ここで、自分に対する『自己肯定感』と『自尊心』をはかることができるともいえるよ。
とはいえ・・
このことをいくら『あたま』ではわかっていたとしても、いざ、自分の一番近くにいる『家族』や『恋人』や『友達』や『仲間』のことをたいせつにおもえばおもうほど・・
『迷惑』や『心配』をかけたくない『悲しませたくない』という気持ちがつのってしまうため、自分の辛く苦しい気持ちを正直に伝えたり、頼ったり、助けてもらうことをためらってしまうんだよね。
けれど・・
そんな気持ちをもってしまう自分に気づきながら、あえて、自分の『弱さ』をさらけだし・・
人に相談したり、頼ったり、甘えたり、助けてもらうことに『ゴメンナサイ』という気持ちをもっていながらも『こころ』からの『ありがとう』を言葉にして『感謝』の気持ちを伝えることができると・・
自分で自分を救うことができるようになるばかりでなく、人とのあいだに『信頼関係』を築くことができ『絆』を強くすることができるようになるんだ。
もし・・
どんな姿の自分になっても、まわりにいる人から『愛』や『助け』を素直にありがたくいただき『無条件・無償の愛』を『実体験』することができるようになると、今度は、自分が『無条件・無償の愛』をあたえることができるようになり・・
互いに愛を交わしあい助けあうことは、自分を『犠牲』にすることではなく『情けは人のためならず』ということがよくわかるようになるんだ。
あのね・・
自分の『本心』や『命』をたいせつにできず、まわりの人の『期待』に応えようとばかりしていたり『気づかい』ばかりして、自分に『無理』をさせて、重い病気になったり、命をなくしてしまったら『家族』や『恋人』や『友達』や『仲間』はどんなふうになるだろう?
きっと、彼らは、生涯・・
- なんで相談してくれなかったのか?
- なんで「助けて!!」と『ひとこと』言ってくれなかったのか?
- どうして『苦しさ』や『辛さ』に気づいてあげられなかったのか?
と自問自答を繰り返し、相手のことや自分のことを責め続け、深い『闇』をかかえたまま苦しんで生きるようになってしまうんだ。
自分の『命』を粗末にすることは一番、神様を悲しませることであり、最もしてはいけないことであり、残った人たちにこのような『苦しみ』をあたえてしまうことも、実はとても『罪深い』ことなんだ。
なので・・
困っている時や辛いときや苦しいときは、ひとりでかかえこんだり、自分に『無理』ばかりさせないで『責任』や『プライド』や『善悪』などをとっぱらい、自分の『弱さ』を認めて自分に『やさしく』なって・・
「助けて~・・」とまわりの人に伝えて、自分を守り救い出すことをあきらめないことがとてもたいせつになるんだ。
そうやって、助けてくれる人に『感謝』の気持ちをもって、できるだけ『笑顔』でいるようにしていると、助けてくれる人に『愛』をあたえることができ・・
互いの『周波数』は高くなり、まわりにいる人も自然に『やさしい』気持ちになって、もっともっと助けてくれるようになり『絆』はどんどん深まるようになるんだ。
すると・・
さらに神様も応援してくださり、病気が早く回復したり、学校や仕事の復帰も思ったより早くできたりして、すべてが『いい方向』にまわりだすようになるものなんだ。
生産的なことがなにひとつできない自分でも、どんな姿の自分になっても、そんな自分に『やさしく』なって『OK!!○だよ』と言って、自分を『たいせつ』にすることができるようになると『神様の愛』と同じ『無条件・無償の愛』で自分を愛することができるようになれて・・
人からも『無条件・無償の愛』をあたえてもらえるようになり、人にも『無条件・無償の愛』をあたえることができるようになるということなんだ。
ピース観音の口ぐせの「自分を愛することができなければ、人を愛することはできないのよねぇ~・・」という意味がよくわかるよね。
これが、神様が望む最も尊い『真実の愛』であり、この『こころ』からの『愛』を体験できると『魂』は大きく成長することができるようになるんだ。
つまり・・
自分の『弱さ』を認め人に助けを求められるようになった人は『強い人』にもなれて『やさしい人』にもなれるということであり・・
『自分が源泉』になって、自分が自分に『やさしく』なれれば、人も自分に『やさしく』してくれて、自分も人に『やさしく』なれて、神様からも『やさしく』してもらえ『やさしさ』がめぐりめぐるようになるんだ。
こうしてみると、人に迷惑をかけずまじめに一生懸命、生きてきた人にとっては、人の『愛』を素直にありがたくいただくことがとんでもなく難しく『修行』のようになってしまうこともよくわかるよね。
なので・・
こういうまじめな人は、人に『愛』をいただくとき、人に迷惑をかけているという『考え』を手放し、人の『愛』を素直にありがたくいただくことで『愛』を学んでいます『感謝』です・・という『考え方』にシフトできると・・
自分に『○(まる)』をつけることができ『自己肯定感』が高くなり、こうして自分をたいせつにできると『自尊心』を高くすることができ『こころ』からの『愛』を交わしあえるようになれるということなんだ。
お坊さんが『托鉢(たくはつ)』するのは『いだたく方』も『さしだす方』も『徳』を積むためにしている『修行』であり・・
お坊さんに『愛』をさしだした人は『愛』を受けとってもらうたびに『徳』を積んでいることになり、お坊さんの方もこうして『愛』を受けとるたびに『徳』を積ませてあげていることで『徳』を積んでいることになるんだ。
なんか、不思議な感じがするかもしれないけれど・・
人の『愛』を素直にありがたくいただき『愛』をあたえてくれた人に『こころ』から『感謝』して「ありがたいです」「うれしいです」「助かります」という素直な気持ちを言葉で伝え『笑顔』を返すことで・・
「よろこんでもらえてよかったです」「力になれたのなら幸いです」と相手に思ってもらえることで『愛』をあたえたことになり・・
純粋な『愛』と『感謝』を互いに交わすことで『笑顔』になれると、実はこれだけで互いに『徳』を積んでいることになるんだ。
すると・・
神様からは互いにとって一番いいタイミングで必要な『愛』が届けられるようになり『まごころ』の愛がめぐるようになるんだ。
『愛の受けとり上手』は『愛のあたえ上手』であり・・
人に『愛』を『いただくこと』も『あたえること』も呼吸をするように自然にできるようになると、互いに『気』をつかわず『こころ』と『こころ』で『愛』を交わしあえるようになり・・
こうして・・
人の『愛』を素直にありがたくいただくことで『こころ』からの『愛』を交わしあい互いに『こころ』がほっこり温かくなると、互いの『周波数』は高くなるんだ。
『魂』が成長した人ほど『自己肯定感』と『自尊心』が高く、謙虚でありながら素直な気持ちのまま『こころ』からの『愛』を交わしあえるようになれるんだ。
*『神様の愛』を信頼して『気』を『楽に』する
どんなに頑張っても・・
- たいせつな人たちの『期待』に応えられない
- お世話になった人への『責任』を負いきれない
- 約束を果たせず、人を『裏切る』ようなことになってしまう
など、どうにもできないことに苦しみ、こんな自分を許せなくなって、何もかも投げだしたくなったり、自分自身さえも投げだして『楽に』なりたいと思うときこそ・・
『神様の愛』を信頼して『気』を『楽に』してしまえばいいんだ。
『無理』して『魂』を殺してまで、人にやさしくなろうとしてしまう自分、まじめで義理堅くあろうとしてしまう自分、責任をひとりで抱えこもうとしてしまう自分、完璧でないと気がすまない自分を卒業させてしまえばいいんだ。
この世で一番たいせつな自分を自分で守り『しあわせ』にするために「すべてがうまくいきますように・・」と神様にお祈りしながら神様がさしだしている手をにぎり、神様を信頼してすがってしまえばいいんだ。
では、どうやって『神様の愛』を信頼して『気』を『楽に』したらいいかをお話ししてくね。
とにかく、自分の身を守るために『直感的』に浮かんだことをさせてあげればよくて・・
- 今の自分にできることが浮かばず、どうすることもできなくなって逃げ出したいと感じるのなら逃げてしまってもいいし
- 「ワァ~」っと叫びたくなって、好き勝手なことをしたくなったら、度を超さない程度にそうさせてあげればいいんだ(もちろん、人を傷つけたり人の気分を害することはしないのは当然として)
こうすることで、肩の荷が降りたり、すこしでも気持ちが軽くなるのなら・・
『苦しい』ときこそ逆転の『発想』であれこれ考えることをやめて自分を解放し『楽に』させて『笑ってしまえる』ぐらいの『境地』になれると『笑う門には福来たる!!』になっていくものなんだ。
なぜなら・・
自分を『楽に』したり『楽しく』する方に『アンテナ』の向きを変えて『ご機嫌さんのいい気分』になれるようにしていれば『周波数』は高くなり、そういう『流れ』ができて、まわりの『状況』や『環境』もいい方に変わっていくからなんだ。
それか・・
動く『気力』も『元気』もないのなら『じっ~と』して『ひと休み』していればいいんだ!!。
寒い季節をしのぎ冬眠する『動物』のように、土の下で春を待つ『植物』のように、自然にあらがわず『じっ~と』していることで『エネルギー』を蓄え、やって来る春にそなえるようにしていればいいんだ。
どのみち『なるようにしかならず、なるようになってしまうもの』なんだから、あれこれ考え悩み苦しむより・・
どうにもならないときこそ『困ったときの神頼み!!』のとおり『神様の愛』を信頼して『気』を『楽に』して「神様がついているからだいじょぶ、守られている、なんとかなる!!」とつぶやき『おそれ』を手放し神様と手をつなぎ・・
肩の力をぬいて『あたま』をからっぽにしてしまえれば『周波数』は高くなり、その『波動』がまわりにいる人たちにも伝わり、みんなの『気』も『楽に』することができ、まわりの人たちの『周波数』も高くすることができるようになるんだ。
このときたいせつになることは、自分や誰かや出来事を責めてばかりいないで、いっさいのことに『✖(バツ)』をつけず、ある意味、開き直って『現状』を受けいれてしまうことなんだ。
こうして・・
『神様の愛』に身をゆだねられるようになると自分自身も『神様の愛』に近づくことができ『周波数』を高くすることができるようになるからなんだ。
すると・・
『状況』や『事態』もいい方向に向かいやすくなってくるだろう。
でも・・
こんな『気持ち』になれるものならなりたい・・でも、それがどうしてもできないから苦しんでしまうんだ・・と思っている人はたくさんいるよね。
ただ、神様はこういう人を一番、救ってあげたいと思っていながら『悲しく』も感じておられるんだ。
それというのも、こういう人ほど『無意識』のうちに、自分や誰かや出来事を責めたり憎んだり恨んだりばかりしていて、この世にある『愛』を信頼できず、人に助けを求めることもためらってしまうからなんだ。
地球は『周波数』が高くなってきて、ぼくらもそれに同調するように『周波数』が高くなり『神様の愛』に近づくための『試練』があたえられ『神様の愛』を信頼するしかない『事態』に見舞われるようになってきているよ。
でも・・
これも『自然に還る』ための『プロセス』なんだ。
だからもう・・
まじめすぎてしまう自分、まわりの人にとっての『いい子・いい人』であろうとする自分、ひとりで何でもかかえ込もうとする自分を卒業させて、自分を苦しくさせるような『考え』で『あたま』をいっぱいにする『癖』を手放そう!!。
上記の例のような大きなことでなくても・・
- ラインやメールの返信がなかなか来ない
- 時間になってもなかなか来てくれない
- 約束を守ってくれない
- 心配や不安になることを『さりげ』にしてくる
など「どうして?」「なぜ?」とおもうことに『モヤモヤ』『イライラ』『ドキドキ』がとまらなくなってしまい、特に、まじめでキチンとしている人ほど、こんなことが『気がかり』になってしまうよね。
でも・・
ただ、単に相手の都合でどうしようもないこともあるかもしれないし、もともと約束や時間に対して『ゆる~い感覚』の人もいるので・・
『グルグル』考えてしまうことを止められないのなら『案ずるより産むが易(やす)し』のことわざのとおり、気になっていることを相手に伝えると、案外、すんなり『スッキリ』できることもあるよ。
ほかにも・・
- だいじょうぶだとわかっていることでも結果がでるまで『心配』になったり
- もしかしたら自分がイヤな役回りの対象になってしまうかもと『不安』になったり
- 予測ができない天候や事態や人智がおよばないことに『不安』と『心配』でいっぱいになったり
など、自分ではどうにもできないことに『ドキドキ』がとまらなくなってしまうこともあるよね。
以上のように、大きなことでも小さなことでも『無意識』のなかで起きていることでも『気分』が『平常・平静』でいられなくなると、この『ストレス』がぼくらの心身には『ダメージ』となり、このまま放置しておくと『病気』にもかかりやすくなってしまうから・・
こんなときは・・
ラッキーのように「だいじょうぶ・だいじょうぶ、すべて、うまくいく・・うまくいっている!!」の魔法の言葉をとなえながら「楽に行こう!!」を口ぐせにして毎日をのほほ~んと、楽しいことやおもしろいことを空想して『ネガティブ』なものに『気』をとられないようにしたり・・
どんなときでも楽しむことができる陽気なブッヒーみたいに、辛いときや苦しいときこそ「笑っちゃおう!!」といっては、自分で『変顔』して、自分自身や人を笑わせるようにして『気分』を変えるようにしたり・・
ハッピーのように日々の小さなことに『しあわせ』を感じ、自分で自分の『ご機嫌』をとって自分を『笑顔』にするようにしたり・・
など、自分にあった方法で『モヤモヤ』を吹き飛ばし気分を変え『気』を『楽に』する『癖』をつけていると『周波数』を高く保つことができるようになるんだ。
とにかく、自分を苦しめたり責めたり、無理をさせたり、窮地に追いやったりすると『周波数』は低くなってしまうから・・
すべては『自分が源泉』なんだから、自分が『楽に』なれば、すべてが『楽に』まわりだすぐらいの気持ちになって・・
神様から祝福され守られていることを信じきり『自然の流れ』に身をまかせゆったりかまえ『図太い神経』になって『能天気に』『おおらかに』『お気楽に』になってしまおう!!。
そうやって『リラックス』できるようになると、今、する必要があることや、今、したいことや、今、自分にできることに『集中』でき『今を生きる』ことができるようになるよ。
すると・・
『地球』や『宇宙』の愛ともつながれるようになるんだ。
*自然の『良質なエネルギー』に触れる
山や海など自然があふれているところでのんびり休息しながら、自然の『良質なエネルギー』をチャージしていると『本来の姿』の自分でいられるため『あたま』と『こころ』と『からだ』の『バランス』が整い『周波数』を高くすることができるよ。
こうして・・
自然に触れていると『✖(バツ)』をつけて否定することなどない『無条件・無償の愛』でつつんでもらえるから『呼吸』や『姿勢』も整い『からだ』の調子がよくなり『自然治癒力』もアップするようになるんだ。
食べ物も『化学物質』が使われていない『自然』のエネルギーに満ちた新鮮なものを食することで『医食同源』のとおり、食べ物が『薬』のように『からだ』を元気にしてくれるよ。
ぼく、サーアイアイはタバコの『ニオイ』や『気配』に触れると『情動』が引き起こされ『身体』や『精神』にダメージがおよび『体調』や『気分』がものすごく悪くなり『集中力』もなくなり『生活の質』がひどく悪くなるだけでなく、さまざまな『病気』にかかりやすくなると感じているんだ。
なので・・
『百害あって一利なし』のタバコの『ニオイ』や『気配』に触れることがないようにしていると、すごく元気になれるんだ。
近くでタバコを吸っている人がいるだけで心身の健康をひどく損なってしまう人がいることに気づかい『思いやる』ことができれば『禁煙』もしやすくなるかもしれないね。
それと・・
ぼくは、自然のなかで体を思いきり動かしたり、自然にあるものを自分で料理して食していると『神聖なる野生』が目覚め、ものすごく元気になれるんだ。
こうして・・
自然に近い生活をすることで神様とつながることができると『あたま』も『こころ』も『スッキリ』してきて『直感』や『ひらめき』もさえるようになるんだ。
しかも、すごく『やさしい気持ち』にもなれるから『生きている』・・ただそれだけで『感謝』がわきあがり、人にも『やさしく』なれるんだ。
ぼくにとって自然の『良質なエネルギー』は『からだ』と『こころ』を癒す『薬』であり『あたま』も元気にしてくれる『カンフル剤』だと感じるほどであり『パフォーマンス』がグンと上がり『やさしい人』にもなれるから『生活の質』がググッと増すんだ。
なので・・
自然のなかで『おいしい空気』を吸って『美しい景色』を眺めながら自然の『おいしい物』を食していると『楽園』にいるようなとっても『いい気分』になれるから『周波数』を高く保つことができるんだ。
*『あたま』や『こころ』をこまめに『クリーニング』する
上記でもお話ししたとおり、ぼくらは小さなことで、すぐに『あたま』や『こころ』が曇り『モヤモヤ』『イライラ』『ドキドキ』したり『落ち込んだり』して『からだ』の調子まで悪くしてしまうんだけれど・・
このようになってしまうのは、納得できないことや自分の『安らぎ』を脅かされることへの『怒り』や『気がかり(心配、不安、不信)』により『おそれ』を感じ、人や物事に対して『期待はずれだったこと』や『愛を感じられないこと』などに『落ち込んで』しまい、気分を乱されてしまうからなんだ。
例えば・・
小さな意地悪をするAさんにさりげなく『こころ』を傷つけられていると、Aさんが近くにいるだけ安らげず『ドキドキ』してしまうよね。
それなら、Aさんが近くにいなければ安心していられるはずなんだけど、Aさんの香水の『ニオイ』や似たような『ニオイ』がしただけで、ぼくらは反射的に気分が乱され『ドキドキ』してしまうんだ。
それは『ニオイ』によって、意地悪をされた『イヤな過去』がよみがえり『フラッシュバック』して、そのときと同じ気分になってしまうからなんだ。
このように・・
ぼくらの日常では、思い出せる『過去』であっても、思い出せないぐらい遠い『過去』であっても、なにかが『きっかけ』になって『イヤな過去』がよみがえり気分が乱されると『あたま』や『こころ』や『からだ』は、いとも簡単に『平常・平静』を失い、心身の『不調』や『痛み』を感じてしまい(『情動』が引き起こされてしまう)・・
『無意識』のなかで『怒り』や『おそれ』や『落ち込み』を感じていたりするものなんだ。
また・・
上記でもお話ししたように予測もつかない天候や事態に見舞われることもあり、これらに関しては『備え』をするしかなく、人智がおよばないことに関しては、あれこれ考えたり悩んだりしたところでどうすることもできないんだから・・
必要以上に『あたま』や『こころ』を曇らせても『気(エネルギー)』を消耗するだけで、ある意味『悪いこと』を引き寄せやすくしてしまうから・・
『あたま』や『こころ』を『クリーニング』して『スッキリ』した気分にしてあげられると『周波数』を高く保つことができるようになるんだ。
そのために・・
- 自然のなかで『五感』を気持ちよく満たし『モヤモヤ』や『イライラ』から離れることで『あたま』や『こころ』や『からだ』を『リフレッシュ&リラックス』する
- 楽しいことや夢中になれることをして、気分を『リフレッシュ』する
- 1日、ひとつでもいいから無理なくできる『小さな善行(笑顔ややさしさや親切や人のためになること)』を積み重ねる
- 人に対して「たいせつに思っているよ」「ありがとう」という言葉を『こころ』のなかでつぶやき『愛』や『感謝』の『陽の気』を放ち、自分や人の『しあわせ』や『よきこと』を祈る習慣をつける
これらのことをこころがけていると『負の気』をよせつけず『あたま』や『こころ』を『クリーニング』することができるんだ。
なぜなら・・
このようにしていると『神様の愛』と近い状態になれるため『周波数』を高く保つことができるからなんだ。
自分がありたいところに『周波数』を高く保つためのお話をあれこれしてきたけれど・・
先ほどもお話したとおり『地球』は『周波数』が高くなり、ぼくらも同調するように『周波数』が高くなり『自然に還る』ようになってきているんだ。
『自然に還る』ということは『本来の姿(自然なありのままの自分)』をとりもどし『本当の自分(『個性』や『才能』を活かしている自分)』になって『自分らしく』生きるということであり・・
これからの『新しい世界』では『本当の自分』を生きることができないと『気分』や『体調』がすぐれず『周波数』が低いまま『生きずらさ』ばかりを感じるようになってしまうんだ。
なので・・
まずは大きな『こころの器』なって自分に『やさしく』なり、どんな自分も『○(まる)』にする『自己肯定感』と自分を尊びたいせつにする『自尊心』を高くして・・
自分の本当の『気持ち』や『望み』である『本心』にしたがえるように『意識(思考・感情)』を変え『本当の自分』を生きるという『自分軸』をしっかりもち、自分を『楽に』したり『楽しく』なれる方に『アンテナ』を高く立て『自分らしく』生きるための『行動』をしていれば『周波数』を高く保つことができるようになるんだ。
もっと簡単にいうと・・
『本当の自分』を生きるために自分に『やさしく』なって『あたま』であれこれ考え込まず・・
自分の『生きる力』を信じて『命(魂)』を『よろこばせる』ために、好きなことや得意なことに日々、励み『ご機嫌さんのいい気分』でいられるようにしてあげればいいんだ。
とはいえ・・
なかなかそうなれない自分に『✖(バツ)』をつけ『否定』してしまうと『周波数』は下がり『本末転倒』になってしまうから・・
すこしづつでいいから『本当の自分』をとりもどせるように、日頃から、神様の『愛』を信頼して『自分らしく』生きながら『自立』できるようお祈りしていれば『自立』の道に導かれていくようになるよ。
こうして・・
『自分らしく』生き『自立』して『神様の愛』である『赤いハート』でみんなとつながれるようになると・・
みんながそれぞれに『自立』しながら『自然に還る』ことができるようになるんだ。
この『自然に還る』ための『プロセス』では、今までの慣れ親しんだ『考え方』や『感じ方』で、今までと同じような『やり方』をしていたのでは、とうてい立ち行かなくなり・・
- 大きな『葛藤』にみまわれたり(『古い意識』と『新しい意識』でバトルが始まる)
- 『古傷を癒す』ために『膿』がでてきたり(『ネガティブ』な『思考』や『感情』があふれだす)
- 心身の『変調』や『不調』を感じたり(過去の『痛み』がぶり返し『浄化』が始まる)
- 慣れ親しんだ人たちや場所から離れるようなことも起き(古い関係性から離れる)・・
『ストレス』や『痛み』や『孤独』や『寂しさ』も大きくなってしまうだろう・・
だからこそ、今までよりもっと自分に『やさしく』なって、たいせつに愛してあげられるように『からだ』と『こころ』の声にしたがっていれば、自分を見失うことなく『自然に還る』ことができ・・
『✖(バツ)』をつけて否定することなどない、すべてが『愛』と『感謝』でつながり、めぐりめぐっている『新しい世界』で生きられるようになるよ。
ここで、ぼくのお友達のお姉さんの『エピソード』をひとつお話するね・・。
その日は、ものすごい豪雨だったんだけど『鎌倉』に紫陽花を観に行ったんだって・・。
そこで出会った人たちのなかには・・
-
「雨が降って、残念よね・・服がびしょぬれよぉ↓」という女性がいると思えば・・
- 「雨のおかげで、紫陽花がきれいだこと~ありがたいわねぇ↑」という女性もいて・・
- 雨が降っているのに和装に身をつつみ、雨にぬれても平気で鎌倉情緒を精一杯、楽しもうとしている人もいれば・・
- 暴風雨に吹き飛ばされそうになる傘を必死に構え、鎌倉を楽しむどころではない人もいて・・
そのとき気づいたのは、どんな『状況』でも『今にOK!!』をだし、いったん受けいれて、自分がありたい方向に『アンテナ』を向けて、ありたいように『ふるまって』いるとありたい『流れ』ができてくるということだったんだって・・。
『しあわせ』とは、その人の『こころの向き』や『こころの持ちよう』でいかようにもなるものであり『しあわせ』になれるように『ふるまって』いれば、そのような『流れ』ができ・・
どんなときでも、楽しめる人、気分よくいようとする人はきっと、人生を『素敵な色』に塗り変えることができるのでしょうね・・とお話してくれたよ。
つまりは・・
どんなときでも、自分が『笑顔』になれるように『楽に』考え『楽しく』できるようにしようとする人は、自分を自分で『しあわせ』にすることができるということであり・・
まさに『笑う門には福来たる』ということになるんだろうね☆。
こんなお話も参考にしながら、自分がありたいところに高く『周波数』を保てるようにしてみてね☆。