『まごころ』をこめれば『まごころ』が伝わり『まごころ』をさしだせば『まごころ』がかえってくる。
ここにいるふたりは『まごころ』の愛を交しあっています。
『まごころ』の愛は・・
『あたま』で計算してしまう『損得』や『見返り』がひそまなかったり『からだ』の欲望である性的な欲求や相手になにかを期待してしまう『下ごころ』がひそまない『無償の愛』であり・・
『純粋なこころ』である『赤いハート』の『真実の愛』でもあります。
下記の絵↓は『まごころ』の愛はめぐる・・『ひとつの例』です。
さぁ~、どんな『ドラマ』になっているでしょう。
赤さんは、毎日を気持ちよく過ごしたいという『まごころ』のままに、いつも素敵な『笑顔』で人と接しています。
本人にしてみたら、ごく自然なことです。
そんな赤さんの自然な『笑顔』に青さんは、いつも元気をもらっています。
それで・・
赤さんにこの『感謝』の気持ちを伝えたくて『まごころ』で『贈り物』をしました。
そのプレゼントは、赤さんにとってはこころからうれしく思えるものでした。
それで・・
赤さんは「わぁ~うれしい!!、ありがとう☆」と青さんに素直な気持ちを伝えよろこんでプレゼントを受けとりました。
青さんは、赤さんがよろこんでくれたことがうれしくて「よろこんでもらえてうれしいです。こちらこそ、ありがとう!!」と伝え、赤さんから『愛』をいただき『こころ』が温かくなりました。
赤さんは、このプレゼントを緑さんにおすそわけしたら、きっとよろこんでくれるのにちがいないと思い、青さんからいただいたプレゼントを緑さんにおすそ分けすることにしました。
緑さんは「ちょうどこれがほしかったです。遠慮なくいただきます」とよろこんで受けとりました。
赤さんは、緑さんがよろこんでくれたことがうれしくて「よろこんでもらえてうれしいです。こちらこそ、ありがとう!!」と伝え、緑さんから『愛』をいただき『こころ』が温かくなりました。
緑さんは、自分の仕事を手伝ってくれる人を探していました。
そんな時、偶然、青さんに出会いました。
青さんと話をしていると青さんもちょうど緑さんがしているような仕事を探していることがわかり、早速、青さんに仕事をお願いすることにしました。
なんと・・
緑さんにとっても青さんにとっても『ハッピー』になれる絶好の出会いとなりました。
緑さんは、青さんがよろこんでくれたことがうれしくて「よろこんでもらえてうれしいです。こちらこそ、ありがとう!!」と伝え、青さんから『愛』をいただき『こころ』が温かくなりました。
赤さんの『まごころ』の『笑顔』がさまざまな形になってくるくるまわり・・
赤さんに『まごころ』で『贈り物』をした青さんのところにはちょうどいい『タイミング』で一番、必要としているものが届けられましたが、それは、緑さんにとっても『ラッキー』で『ハッピー』なものとなりました。
赤さんは、青さんが緑さんの仕事を手伝うことになるとは知りませんでしたが、あとになって、そのことを緑さんから聞いて『縁』の不思議を感じ驚きました。
でも・・
この話しには、まだ続きがありました。
実は・・
赤さんも青さんも緑さんも『過去世』で『ご縁』のあった人たちでした。
- 青さんは、赤さんのお父さんの命の恩人であり
- 緑さんは、青さんが危険な目にあうことを察知して冒険をやめさせた人でした
- 赤さんと青さんは、緑さんの家で仕事をしていたことがありました
このことは、もちろん、赤さんも青さんも緑さんも知りませんが、神様は、いつもわたしたちのことを天から見ていて『まごころ』の愛でみんなが『笑顔』になれるように・・
目には見えない『縁』を目には見えない『円』でめぐらせてくださり『お互いさまのおかげさまのありがとう』のつながりのなかで『まごころ』の『愛』がめぐるようにしてくださっています。
そんなことがわかる『ドラマ』でした。
みんなが普通にしているお仕事も、精一杯『まごころ』をこめてしていれば、人々をよろこばせたり、楽しませたり、快適にさせたりして、人々に『ありがとう』と『感謝』されるようになるわよね。
その『ありがとう』の気持ちは『まごころ』をこめてお仕事をした人たちに伝わって・・
「こちらこそよろこんでもらえてうれしいです!!、よかった~ありがとう」という気持ちにさせてもらえ『よろこび』と『やりがい』をいただくことができ、もっといい仕事をしようという『励み』もいただくことができるわよね。
お母さんやお父さんがつくってくれる『まごころ』がこもったごはんも、お店のごはんほど見た目がきれいでなくても、味が素朴であっても、なんともいえない温かいおいしさが『こころ』も『からだ』も元気にしてくれるわよね。
あなたが、おいしそうにごはんを食べて『笑顔』になるだけで『ありがとう』の気持ちは、お母さんやお父さんに伝わり「おいしそうに食べてくれて、うれしい!! ありがとう☆」って『こころ』のなかで思っているはずよ。
でももし・・
お母さんやお父さんに「いつも、おいしいごはんをありがとう!!」と言葉にして伝えたら、きっともっともっとうれしく感じて『涙』をこぼすほど『愛』で満たされることでしょう。
こうして・・
『まごころ』は「うれしい!! ありがとう☆」を生みだし『ありがとう☆』は連鎖してめぐりめぐるのよ。
人のためになにかをしたり、人にプレゼントをしたときに・・
- 「お礼の一言もないなんて・・〇〇してあげなければよかった・・」とか
- 「お誕生日にプレゼントしたのに・・わたしの誕生日にはなにもくれないの?」とか
なぜか『モヤモヤ・イライラ』してしまうことってあるかしら?
きっと、そんなこと思ったこともないという人はいないほど、たいていはみんな『無意識』のうちに『お礼』や『見返り』を求めてしまうものなのよね。
人に親切にすることやプレゼントをするのが好きな人のなかには、自分でも気づかない『無意識』のうちに・・
自分がしていることをほめてもらいたい、いいことをしている自分に満足したい、または、なにかあったら助けてほしい、自分をたいせつにしてほしい、自分を見捨てないでいてほしいという『我欲』がひそんでいたりして・・
『期待』したとおりの『反応』が返ってこないと『怒り』がこみあげてきたり、ひどく『落ち込んだり』して、勝手に傷ついてしまうこともあるものなのよ。
人をよろこばせたいと思ってしていることでも自分でも気づけない『無意識』のなかで、このような『我欲』がひそんでいると『愛』を押しつけていることにも気づけず、相手に『重苦しさ』を感じさせてしまうこともあるものなのよ。
でも、もし・・
純粋に「ただ〇〇したかったから〇〇しただけ」とか「○○せずにはいられなかったから○○した」という『こころ』から自然にわきあがる『まごころ』だけで人に愛をおくることができたとしたら・・
相手になにかを『期待』することもないから、相手がよろこんでくれたら「あ~よかった、こちらこそうれしい!! ありがとう☆」と『こころ』が温かくなり、それだけで相手に『愛』をいただけたことに『感謝』でき・・
もし・・
相手があまりよろこんでくれなかったら「次からは押しつけにならないように気をつけよう!!」と思うだけだから、気に病むこともなくなるわよね。
それに・・
『まごころ』だけでさしだした『愛』であれば、受けとる方も素直な気持ちで『愛』を受けとることができ・・
- 本当にうれしいものであれば、こころから「ありがとう!!とてもうれしい!!」という言葉が自然にでてきたり
- 特に必要としていないものであれば「今は、間に合っているから、だいじょう!! ありがとう」と素直に本当のことを伝えられたり
- あまりうれしく感じないものであれば「受けとれなくて、ごめんなさい」と正直に『本心』を伝えることができて・・
『気』をつかいあわずに『愛』を交わせるようになるものなのよ。
また・・
人にお世話になったり、なにかものをいただいたとき、なにかで『お返し』しようとするかしら?
こういう気持ちがわきあがってくる人の方が多いかもしれないわね。
でも、もし・・
なにも『お返し』せずに人からの『愛』を「うれしい!! ありがとう☆」という『感謝』の言葉を伝えただけで、素直にいただくことができ・・
あなたが言った「うれしい!! ありがとう☆」という『感謝』の言葉だけで相手の人の『こころ』が温かくなれば、実は『まごころ』の愛を相手にプレゼントしたことになるのよ。
こうして・・
『愛』をさしだしてくれた人に『見返り』を求めない『まごころ』の愛の『温かさ』を感じるチャンスをあたえることができると・・
『愛』をさしだした方も『愛』を『ありがとう』の『感謝』の言葉だけでいただいた方も『見返り』を求めない『無償の愛』つまりは神様と同じ『愛』を交わしあったことになり・・
実は『徳』を積んでいることにもなるのよ。
そうすると・・
『愛』をさしだした人のもとには、その人が最も必要としているものを最高の『タイミング』で神様が届けてくださり『まごころ』の愛はめぐるようになるのよ。
そればかりでなく・・
『愛』を受けとった人も『まごころ』の愛の受けとり上手になり・・
相手の反応に『モヤモヤ・イライラ』することなく『気』をつかいあわず『楽な気持ち』で『愛』を交わしあうことができるようになるのだから、こんな『いいこと』はないわよね♡。
『まごころ』と『感謝』はめぐりめぐることがわかるわよね。
こんなことから・・
『まごころ』の愛を交わしあうようになるためには『愛』を受けとったとき『申し訳ない気持ち』ではなく『感謝の気持ち』で受けとることがたいせつになるのよ。
受けとった『愛』に「すみません」とか「申し訳ありません」という『こころ苦しい』気持ちを抱いたり伝えたりすると・・
『愛』をさしだした人に「よろこんでもらえてうれしいです。こちらこそ、ありがとう!!」という気持ちになってもらうより『変な気』をつかわせたり『あとあじ』が悪い感じになってしまうこともあるものなのよ。
また・・
『愛』を受けとった瞬間、なにか『お返し』をしなくては・・という気持ちが『無意識』に浮かんできてしまうと『あたま』であれこれ考えてしまうため『気』をつかいあうことになってしまうから・・
『気』を楽にして素直な気持ちのまま『感謝』を伝え『愛』をいただけるようになると『愛』の受けとり上手になれるわよ。
なので・・
まずは上記の絵の赤さんのように小さなことから『まごころ』の愛を積み重ねていき、『愛』の受けとり上手になれば『まごころ』の愛のあたえ上手にもなり・・
お互いに気をつかいあわず自然に『まごころ』の愛を交わしあえるようになってくるわよ。
ただ・・
人からいただいた『愛』がとてもうれしくて『ありがとう☆』の言葉だけでは、たりないと感じるのであれば・・
- 相手の人が気に入るようなものを『こころ』をこめて見つけてプレゼントしたり
- 自分がもっているもので、相手の人も気に入ってくれそうなものがあれば『おすそ分け』するのもいいわよね
または、物をこえた『こころ』で・・
- 『笑顔』や『やさしさ』や『親切』というさりげない『愛』をさしだしたり
- 元気がないときに明るい雰囲気やユーモアでなごませたり励ましたりする
それだけでも、相手の人に『感謝』の気持ちをおくっていることになるわよ。
また、近くにいなかったり、なにもできることがなかったとしても・・
- 「ありがとう☆」
- 「元気でいてね☆」
- 「しあわせでありますように☆」
と自然にわきあがる『こころ』で祈るだけでも、相手の人に『愛』をプレゼントしていることになり、それが『感謝』の気持ちになって相手に届けられるようになるわよ。
『かたち』があってもなくても『まごころ』で愛をおくれば、その『愛』は相手の『こころ』に響き伝わり届けられるものなのよ☆。
『まごころ』をこめれば『まごころ』が伝わり『まごころ』をさしだせば『まごころ』がかえってくる。
『こころ』は神様とつながっているから『まごころ』の愛をこめるということは『神様』の愛をこめるということになり、神様とつながることができるようになるのよ。
『禅』の世界では、生活のすべてのことに『こころ』をこめて『一点集中』することを修行としていて・・
すべてのことに『まごころ』の愛をこめて『たいせつにていねいに!!』していると、神様とつながれ『こころ』のなかの『ザワザワ』したものから離れられ『瞑想』しているのと同じような『静寂』を得られるそうなのよ。
あたりまえの日常でも、ここに生かされていることに『感謝』して、ひとつひとつの小さなことに『まごころ』の愛をこめて『たいせつにていねいに!!』暮らしていると・・
つつがない毎日が、かけがえのない尊いものとなり・・
『こころ』に『ゆとり』が生まれることで、小さなことにも『しあわせ』を感じられるようになり『こころ』が『愛』で満たされるようになるのよ。
こうして・・
自分自身に『まごころ』の愛をこめることは、自分の『命』をたいせつに愛することになり・・
実はこれこそ『ぜいたく』なことであり、そこには『安らぎ』と『豊かさ』を感じられるようになるわよ♡。
慈愛ものぞいてみてね!!