素敵な人になろうして無理するより『本来の姿』の『本当の自分』を好きになる方が、ずっと『自分らしく』輝き『しあわせ』に生きられるようになるよ!!。
ブッヒーのお話だよ。
「ブッヒーの笑顔はステキね☆。そのままのブッヒーが大好きよ♡」とおばあちゃんから、いつも言われています。
少しわがままなブッヒーですが・・
小さい頃から礼儀正しくあること、物事をきちんとすること、我慢をすることをおじいちゃんに教えられ、少しだけ厳しくしつけられたおかげでブッヒーの『種』のなかに眠っている『原石』は磨かれていきました。
ちょっと、おっちょこちょいでドジもふんでしまうブッヒーですが、根っからのひょうきん者なので、にっこり笑顔のおもしろ顔をしては・・
元気がない人や落ち込んでいる人を笑わせて励ましたり、時には、自分自身の辛さも笑い飛ばしたりしています。
そんな陽気で明るいブッヒーは、いつでも自分の『こころ』に素直に正直に、毎日を精一杯、楽しんで生きています。
おかげで、みんなから愛されています。
そんなこともあり・・
ブッヒーは、鏡に映っている『ありのままの自分』が大好きです☆。
ブッヒーは自分の『種』をイキイキと生きて、自分の『花』を美しく咲かせ輝いています。
「笑顔が、世界を平和にする!!」という口癖のおばあちゃんからも「いつもブッヒーのその素敵な『笑顔』を絶やさないようにね・・」と言われていることもあり・・
自分が『しあわせ』で『笑顔』でいるために、自分の『笑顔』で人も『しあわせ』にしたいと思っています。
ここでつかわれている『種』とは・・
その人の『本質』であり『個性』や『才能』である『特質』を磨くことで『種』のなかにある『石ころ』は磨かれ『宝石』にすることができるのよ。
そんなある日のこと、”スィーツを楽しむ会”で、ピース観音様とご一緒することがありました。
ブッヒーの目には、ピース観音様があまりにも素敵でキラキラ光り輝いて見えました。
その日から、ブタである自分のことが嫌いになり「わたしもピース観音様みたいになりた~い!!」と強く思うようになりました。
そうして・・
本当は少しわがままで自分にウソをつけないブッヒーなのですが、ピース観音様みたいな素敵な『笑顔』で人を『笑顔』にしたいというおもいがつのり・・
人にお世辞を言ったり、ちょっとムカッとするときでも決して怒らず、いつでもやさしい『笑顔』を絶やさず、身につけるものや仕草や言葉づかいなど、できるだけピース観音様を真似して、おしとやかでやさしい良い人を演じていました。
まわりの人からは「ブッヒーらしくなくて、変な感じがする・・」と言われたり「どこか具合でも悪いの?」と言われるようになりましたが、どうしても、ピース観音様のようになりたかったので『本当の自分』を押し殺していました。
その代わりに、ピース観音様の『種』を生きようとしていたため・・
鏡に映る姿は、ピース観音様を真似た『ニセものブッヒー』になっています。
そうこうしているうちに、ブッヒーの『からだ』は重くなりあちこち痛くなってきました。
さらに・・
よく眠れなくなり、食欲もあまりわかなくなり、お腹の調子もいつも悪く『こころ』も沈みがちになり『体調』も『気分』も不調が続くようになってしまいました。
無理してピース観音様の『種』を生きようとしていたため、伸びようとしている葉っぱも枯れてきました。
そして、とうとう・・
あまりにも強くピース観音様になろうとしていたため、ブッヒーは『本当の自分』がどんな姿だったのかもわからなくなってきてしまいました。
そんなブッヒーの様子を知ったピース観音様は、ブッヒーをなんとか救おうとおもい、やさしくお話してくれました。
ありのままのブッヒーが一番、素敵で輝いていたのに、どうしたの?
憧れている人に近づこうと努力することは素敵なことよ。
でもね・・
ブッヒーが『イキイキ』と輝くためには、神様からいただいている『種』のなかにある『石』を好きになって磨くことが一番なのよ。
『種』は『命』でもあるから、他の人の『種』を生きようとしていたら自分の『命』はしぼんでしまうのよ。
ブッヒーの『種』のなかにある『石』⇒『特質(個性・才能)』はブッヒーだけにあたえられた神様からの『贈り物』であり、この世にたったひとつしかない代わりのきかないものなのよ。
それなのに、自分の『個性』や『才能』をないがしろにするなんて、神様は悲しまれておられるわよ。
だからまずは・・
自分の『種』の素晴らしさを思い出して、尊び愛し、明るくて陽気で少しわがままなブッヒーをとりもどしてね。
いつでも『こころ』と『からだ』の声に耳をかたむけてごらん・・ブッヒーらしく輝きながら、憧れの人に近づいていけるようになれるわよ☆。
ピース観音様は、やさしい香りを残し去っていきました。
ブッヒーは、ピース観音様のいうとおり『こころ』の声に耳をかたむけてみることにしました。
すると、こんな声がきこえてきました。
ブタである自分のことを卑下したり恥ずかしいと思うことは、自分の『命』に『✖(バツ)』をつけて否定していることになり、自分自身を傷つけていることになるのよ。
自分が自分の『命』を傷つけていると『からだ』と『こころ』は、自分の『命』を守るために、調子が悪くなり「自分を愛して~本当の自分を生きて~~!!」と『サイレン』を鳴らすようになるのよ。
あなたはあなたらしくいることで最も輝き、美しい、それなのにどうして『ありのままの自分』を愛することができないの?・・と聞こえてきました。
この声は、神様の声なのか自分のなかにいるもうひとりの自分の声なのかわからなかったけれど・・
『からだ』のあちこちが痛くて『モヤモヤ』した暗い気分の毎日から脱け出したい一心で「自分のことが好きだった自分にもどりた~~い」と切実に思うようになりました。
でも・・
やっぱり、あこがれのピース観音様には近づきたい気持ちもあり「どうしたらよろしいでしょうか?」と改めてたずねてみました。
すると・・
またまた『こころ』のなかからこんな声が聞こえてきました。
それなら・・
- わたしは、ありのままのわたしでいることで、最も美しく輝いている
- わたしは、どんなわたしでも自分のすべてを認め、許し、愛し、自分のことが大好きです
と、毎日、自分にいいきかせなさい・・。
それと、わきあがる『感情』もたいせつにしなさいと声が聞こえてきました。
『感情』はどれも『こころ』と『からだ』が健やかでいられるよう『バランス』をとってくれているものであり『感情』に良いも悪いもないのです。
- こころに余裕がないときは、笑えなくてもいい
- 怒りたいときは怒ってもいい
- 泣きたいときは泣いてもいい
- 人のことをうらやましく思って、嫉妬してしまうことがあってもいい
- 弱い自分が、誰かにすがって甘えたくなってしまうこともあっていい
という感じで、自分のなかからわきあがる『感情』をちゃんと自分で認め、受けとめ、寄りそってあげなさい。
ピース観音様のように高潔で、いつでも穏やかに素敵な『笑顔』を絶やさない人にあこがれることもよくわかります。
でも・・
ブッヒーの『本性』のなかには高潔とはほど遠い『損得』や『下心』をいだいてしまうところや人を『上・下』で判断して差別してしまうところもあるでしょう・・
きっとピース観音様とくらべたらとんでもなく『醜い姿』に見えてしまうかもしれないけれど、こんなところもある自分を認め許し抱きしめてあげられると『ありのままの自分』を愛せるようになってきて・・
どんな人のことも、みんな『ネガティブ』な考えや感情を『影』としてもっていることを認めて許してあげられるようになるでしょう。
それに・・
無理して、素敵な人や穏やかな人やいい人になろうしなくていいのです。
神様は『ありのままの姿』を愛し自分の『命』をたいせつにしてほしいと、いつでも願っています。
だから・・
『本当のブッヒー』をとりもどしてね♡。
・・と聞こえてきました。
『こころ』の声をきいたブッヒーは、目を閉じてピース観音様の『笑顔』を思い浮かべてみました。
すると・・
ピース観音様の『笑顔』は、赤ちゃんみたいに『純粋無垢』で何の作為もない無邪気な『笑み』だから、どんな人の『こころ』もやさしい気持ちにしてしまうのなのだ・・
まるで、お花が笑っているように自然にこぼれてしまう『笑顔』だから、あんなに人を和ませるのだと・・はっと、気づかされてしまいました。
あ~~~、今まで、自分は何をしてきたのだろう・・『笑顔』をつくることばかりに気をとられていた・・自分が自然に『笑顔』になれれば、まわりの人も自然に『笑顔』にすることができるのだ・・ということに、やっと気づくことができました。
それなら、まずは、自分自身が飾らない自分のままで自然に『笑顔』になれるようにしよう・・と『こころから』思えるようになりました。
もともと、感情豊かで、泣いたり、笑ったり、怒ったり、すねたりして表情がくるくる変わるのが『自分らしさ』であり「ブッヒーっておもしろいね。見ていて飽きないよ!!」と言われていたことを思い出しました。
感情豊かであることが、ブッヒーの『個性』であり『美点』=『チャームポイント』だったのに、それを変えようとしたことが間違いだったのです。
笑おうとするより、やっぱり素のままの『本当の自分』にもどって、自然な『笑顔』がこぼれる自分にもどろう!!・・と思えるようになったブッヒーでした。
けれども・・
ブッヒーには、まだ『課題』がありました。
ピース観音様みたいに『無欲』で人を『しあわせ』にする人になりたいと思うようになって以来、自分の本当の気持ちにウソをついて『わがまま』や『おねだり』を抑え込むようになってしまったことでした。
ブッヒーの『わがまま』や『おねだり』は、自分の素直な気持ちをちゃんと伝えてくれるから、わかりやすくてつきあいやすいと言われていたのにもかかわらず、ピース観音様のように『神々しい姿』になりたいと思ってしまったため『わがまま』や『おねだり』を言えなくなってしまったのでした。
実は、ブッヒーは気づいていませんでしたが・・
ブッヒーの『わがまま』や『おねだり』に応えた人たちは、ブッヒーのこころの底からの「ありがとう~☆、うれしい~♡、助かった~」という満面の笑みに・・
こんなによろこんでもらえて「うれしい♡」というハッピーな気持ちになったことで『愛』をもらっていたのでした。
それに・・
ブッヒーによろこんでもらえたことに大きな『達成感』を得たり、自分が役に立てたことがうれしく『存在価値』を高めることもでき・・
ブッヒーのために一生懸命したことが、自分でも気づけなかった『種』のなかに眠っていた『個性』や『才能』を目覚めさせ、ブッヒーをよろこばせるたびに自分の『素晴らしさ』を伸ばすことができた人もいました。
こうして・・
ブッヒーの『わがまま』や『おねだり』や『こころからの笑顔』に自分の価値を高め『自信』をもらえた人がたくさんいたのでした。
そういえば・・
厳しいおじいちゃんからも「わがままをなおしなさい!!」とは一度も言われたことは、ありませんでした。
むしろ・・
そんなブッヒーの姿を見ていたおばあちゃんからは「ブッヒーは得な性格だね・・これもある種の徳だね☆」と言われていました。
なのに・・
ピース観音様のふりをしていたころは、自分の『わがまま』や『おねだり』に『✖(バツ)』を押し殺していたため、自分の気持ちを伝えるときに、遠慮しがちに少し申し訳なさそうに伝えるようになってしまいました。
それにもかかわらず、まわりの人たちからは「わがままだね・・」と言われ・・
それなら、もっと自分の本当の気持ちをおさえこまなければならないのかもしれないと思い込み、言いたいことも言えず、ずっと我慢ばかりしていました。
そしたら・・
「ブッヒーって何を考えているのかよくわからない!!」と言われるようになり、もう、どうしていいかわからなくなり、人と関わるのがこわくなってしまいました。
「わがままだとピース観音様みたいになれないよ」「わがままは、よくないことだよ」と自分にいいきかせ『✖(バツ)』をつけていたから・・
鏡に写った『✖(バツ)』をつけた姿をまわりの人たちがそのとおりに見て「わがままだね・・」とか「本当の気持ちがわからない」などと言われるようになってしまったのでした。
今までの『ありのままの自分』が好きだったときには「そのままのブッヒーがいいよ!!」って言ってくれる仲間たちに囲まれていたのに・・
『本当の自分』に『✖(バツ)』をつけていたら、人からも『✖(バツ)』をつけられてしまい、自分のことがどんどんわからなくなり、自分のことがどんどん嫌いになってしまったのでした。
そうか・・
「自分の本当の気持ちをちゃんと相手に伝えることは『わがまま』というより、自分をしっかり持っているということであり、自分が言った正直な気持ちによって、人にいい刺激をあたえたり、輝かせることもできるんだ!!」と、やっと気づくことができるようになりました。
ブッヒーが、素直に無邪気にした『わがまま』や『おねだり』をいやがる人は、今まではいなくて、気持ちよくきいてくれたり「もう、しょうがないなぁ~」と笑いながらきいてくれていたことを思い出しました。
むしろ、ブッヒーの『わがまま』は、人を動かすことができる素晴らしい『個性』であり『才能』だったのです。
なるほど~・・
本当の自分にウソをついて、自分とは違う人になろうとすることは、神様からいただいた素晴らしい『贈り物』である自分の『個性』や『才能』を粗末にしていることになるんだ・・ということに、やっと気づくことができました。
それ以来・・
毎日、自分の素晴らしいと思えるところを書き出して、その素晴らしさをあたえてくださった神様に感謝しながら、自分のことをどんどん好きになっていきました。
そうしながら、憧れのピース観音様に近づけるよう、自然な『笑顔』が輝く自分をイメージしながら・・
「いつでも『自然体』の『笑顔』でいられますように・・」とお祈りしながら「いい気分です、感謝です☆」と声にだして、毎日、唱えるようにしていました。
近頃のブッヒーは、どんな自分も愛せるようになり、ブッヒーらしい『笑顔』が素敵に輝くようになってきました。
鏡に映るブッヒーは、飾らないやさしい『笑顔』が自然にこぼれるようになり、ピース観音様のような『後光』がさすようにもなってきました。
どうやら、神様に祈りが届いたようです。
こんな『苦い経験』をしたブッヒーでしたが・・
これも『本来の姿』の『本当の自分』を愛するための『気づき』と『学び』を得るために必要な『経験』だったことや・・
自分の『種』を尊び愛し、ピース観音様に近づこうと『原石』を磨き『宝石』にした姿が『本当の自分』であることもわかるようになりました。
そういえば、ブッヒーの『宝石』とピース観音様の『宝石』が似ていることをおもうと・・
ブッヒーの『原石』のなかには、もともとピース観音様と似たような『個性』や『才能』が秘められていたからこそ『憧れ』をいだいていたことにも納得したブッヒーでした。
ブッヒーのお話はどうだった?(ここからは、ラオリーがお話しています)
自分の『種』とは違う、憧れのピース観音様の『種』を生きようとしたことで辛く苦しい『経験』もしたけど、『本当の自分』ではない自分になってみたからこそ『本当の自分』のことがよくわかるようになって『原石』を美しく磨くことができてよかったよね☆。
そして・・
ブッヒーの『種』のなかには、ピース観音様のように自然な『笑顔』で人を『笑顔』にできる『才能』も眠っていたんだね。
でも、あんがい自分の『種』のことがわからない人も多いんだよ。
- 親や世間の期待にそう『いい子やいい人』でいようとか
- 親に心配をかけないように、誰かに迷惑をかけないようにしなくてはとか
- 人のために自分を犠牲にすることは素晴らしいと思い込んでいたりとかして・・
それなのに・・
『こころ』と『からだ』の声がきこえても『無意識』のうちに・・
- そんなことをしたら『いい子やいい人』でいられなくなってしまう
- 親や誰かを悲しませてしまう・嫌われてしまう・愛してもらえなくなる
- 期待にそえない自分は役立たずだ
と思い込み、自分の『本当の気持ち』や『望み』をかなえようとすることに『罪悪感(いけないことをしている)』を抱き、自分は『いけない人』だと『自己卑下』する気持ちがわきあがってしまうと・・
『本心』にふたをしたまま、自分にウソをつき続けていると・・
- 毎日が楽しくなくなったり
-
気分がすぐれなくなったり
-
ヘトヘトになるほど頑張っているのに、色んなことがスムーズにいかなくなったり
-
毎日をむなしく感じるようになったり
-
今まで楽しかったことが楽しく感じられなくなったり
-
食欲がなくなったり、よく眠れなくなったり、体調が悪くなったりして
『からだ』と『こころ』がサイレンを鳴らすようになるんだ。
- 『本当の自分』を生きて~~!!
- これは自分が本当にしたいこと?
- 『本当の自分』を置き去りにしていない?
と訴えているってことだよ。
それなのにまだ、無視し続けていたら『こころ=魂』は死んでしまい・・
- 生きることが苦しくなって『からだ』と『こころ』が病気になったり
- 不健康・不健全なことで気を紛らわせるようになったり
- 自分を傷つけたり、自暴自棄になって人に迷惑をかけるようなことをするようになったり
- 自分を生きることをあきらめて自分を腐らせてしまったり、生きる『気力』をなくして廃人のようになってしまったり
- 『無意識』のうちに、死にたくなってしまったり・・
など、たいへんなことになってしまうよ!!。
こんなふうになってしまうと、回復するのにも時間がかかるようになってしまうから・・
こうなる前に、ブッヒーがしていたように『こころ』と『からだ』の声に耳をかたむけて、ちゃんと自分の『本当の気持ち』や『望み』をきいてあげて、かなえてあげるようにしてほしいんだ。
自分にウソなんてつかなくていいんだよ・・
『本来の姿』の『本当の自分』を思い出して、好きになってね。
きっと、元気をとりもどすことができるようになるから・・☆。