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『自由』と『自立』

『自由』と『自立』 ラッキー

 

互いを『認め』あい『尊重』しあうことで、互いに『自由』になり・・

 

自分で自分を『しあわせ』にするために自分の『生きる力』を自分の『花』を咲かせることに『精一杯』つかうことで『自立』でき・・

 

みんなが手と手をとりあい『赤いハート』の『まごころ』でつながり『家族』のように『リラックス』しながら支えあうことで、みんなが『しあわせ』に生きていくために必要なものはすべてそろう・・

 

こんな『自由』と『自立』が、これからの『新しい世界』で『自分らしく』生きる『新しい生き方』になるよ☆。

 

『自由』は『自(みずから)に由(よる)』ということであり、自分の本当の『気持ち』や『望み』に素直に正直にあることに『由(よし=OK!!)』をだし人生の『ハンドル』を自分で握ることにあるよ。

 

『自立』は自分の足で立つことであり、人の『ありよう』やこの世の『出来事』に振り回されず、自分を『しあわせ』にする『責任』を自分で果たすことにあるよ。


『自由』になる一番の早道は・・

  • 認められたい
  • ほめられたい
  • 好かれたい
  • 「特別だよ!!」とか「たいせつだよ!!」と、思われたい・・

という『承認欲求』と『愛』を求めてしまう『自意識』が過剰にならないようにすることだよ。

 

とはいっても、誰もがみんな・・

  • 認められたい
  • ほめられたい
  • 好かれたい
  • 「特別だよ!!」とか「たいせつだよ!!」と思われたい・・

という『自意識』があるからこそ、カッコいいところを見せよう、素敵になろうとすることで自分を磨いたり向上させることでとができるよね。

 

特に異性に「特別だよ!!」とか「たいせつだよ!!」と思われると『いい気分』になれて、互いに助けあったり、足りないところを補いあったり、協力して支えあうことで『よろこび』を感じられ『生存』と『子孫繁栄』の『生き物』としての『使命』をまっとうすることができるようになっているから・・

 

『自意識』はぼくらにとって『命』の『根底』にある『愛』を求める気持ちでもあるんだ。

 

だけど・・

『自意識』が『過剰』になってしまうと、人の反応に『過敏』になってしまい、ほんの小さなことでも自分の『期待』どおりでないことが起きると・・

  • 認められなかった
  • ほめられなかった
  • 好かれなかった
  • 「特別だよ!!」とか「たいせつだよ!!」と、思われなかった
と、勝手に思いこみ・・
  • 自分には「それほどの価値がないんだ~」「嫌われているんだぁ~」と自分の存在を否定したり
  • 自分は「たいせつだと思われていないんだ~」「誰からも気にかけてもらえないんだ~」と自分をおとしめたりして
自分で自分の『プライド』をズタズタに傷つけ、ひどく落ち込み『自己肯定感(自分を肯定する気持ち)』と『自尊心(自分を尊くたいせつな存在であると思うこと)』を低くしてしまい・・

 

人の顔色』や『ふるまい』や『評価』がものすごく気になりだし、人の反応に『一喜一憂』しては『あたま』や『こころ』を『コントロール』され『体調』まで悪くなってしまうんだ。

 

それで・・

人に傷つけられないようにするために・・

  • 人に認められたいから
  • 人にほめられたいから
  • 人に好かれたいから
  • 人に「特別だよ!!」とか「たいせつだよ!!」と思われたいから・・

『無意識』のうちに人の『期待』や『価値基準』にそうように「〇〇している」「〇〇しないようにしている」というふうになり、人を意識した『ふるまい』になってしまったり・・

 

または・・

自分の『プライド』を傷つけられることをおそれるがゆえに、いばって見せたり、ぶあいそうにしたり、キツくあたるようにして、強そうに見せることで自分の『弱さ』をかくそうとしたり、人との間に『壁』をつくることで自分を守ろうとしてしまうんだ。

 

けれど・・

こんなふうになってしまうと『本当のきみ』はどこかにいってしまうよ。

 

きみはきみなのに・・きみはきみのままでいいのに・・

 

『自意識』が過剰になってしまうと、自分が低く見られたり、たいせつにされていないと感じることにものすごく『敏感』になってしまうため、人が自分の『期待』どおりでなかったり、自分の『価値基準』と違っていたりすると・・

 

『無意識』のうちに、その相手『×(バツ)』をつけては〇〇でなければ気に入らない」「〇〇すべき」「〇〇すべきでない」と思ってしまい、途端に『気分』が悪くなったり、落ち込んだりして、人を責めたり、怒ったりしてしまうんだ。

 

こんなふうになってしまうと、自分が人に『コントロール』されてしまうだけでなく、実は、きみも人のことを責めたり、怒ったりして『無意識』のうちに『干渉』しては『コントロール』していることがわかるよね。

 

例えば・・

  1. あいさつして無視されたり、感じの悪い態度をとられたり、ラインやメールの返信がなかなか来なかったり、自分が『期待』した内容とは違う返答が返ってきたりすると、イライラしたり落ち込んだりする
  2. 人に注意されたり、非難されたり、悪い評価をされると自分を全否定された気分になって、激しい怒りがこみあげ、大きなショックを受けてしまう
  3. 不機嫌な態度をとられたり、そっけなくされたりすると、自分に非があったのかもしれない、至らなかったのかもしれないと『罪悪感』をいだきひどく考えこんだりしてしまう

その結果・・

  1. 「どうして~そんな態度なんだ?」「〇〇するのが普通だろう」という『思考』のもと、人を責める気持ちや怒りの『感情』がわきあがってしまう
  2. 自分は正しいから「あれこれ言われたくない」「指図されたくない」という『思考』のもと、人の意見や助言を拒否し反抗する『感情』がわきあがってしまう
  3. 「自分はどうすればよかったのだろう?」という『思考』のもと、勝手に反省したり自分を責める『感情』がわきあがってしまう

こうして・・

ネガティブな『思考』がめぐり、ネガティブな『感情』がわきあがってしまうと、相手や自分に『×(バツ)』をつけて否定しては『罪悪感』を抱かせたり、自分自身が『罪悪感』を感じたりするような『ネガティブ』な『意識(思考・感情)』によって『気(エネルギー)』を消耗し疲れる関係になるだけで・・

 

『イライラ・グルグル・モヤモヤ』の終わりのない『ループ』にはまりこんで『気分』や『体調』が悪いまま、自分のたいせつな『気(エネルギー)』を自分がしたいことに集中して使えなくなってしまうんだ。

 

こんなことって、イヤだよね・・。

 

だから・・

  • 認められたい
  • ほめられたい
  • 好かれたい
  • 「特別だよ!!」とか「たいせつだよ!!」と、思われたい・・
という『承認欲求』と『愛』を求めてしまう『自意識』が過剰にならないでいられると『コントロール』から解放され『自由』になれるんだ。

そもそも・・

人の顔色』や『ふるまい』や『評価』は、10人いたら10とおりの『ありよう』があり、同じ人でもそのときどきの『気分』や『体調』や『都合』や『状況』によっていくらでも変わるものなんだから・・

 

「なぜ??」とあれこれ『追跡』して、その人の『あたま』のなかの『思考』や『こころ』のなかの『感情』を探ろうとしても本当のことは当人にしかわからないんだから、そんなことで自分のたいせつな『気(エネルギー)』を無駄づかいしないようにしよう!!。

 

それに・・

人の顔色』や『ふるまい』『評価』は、その人の『自由』であり、その『責任』はその人がとることになるんだから、好きにさせてあげれば、ふりまわされずにいられるようになるよ。

 

すこしだけ大きな『こころ』になって「そんなふうになってしまうこともあるよね・・」「人それぞれ考え方や感じ方が違うんだから、かみ合わないこともあるよね・・」と相手のことを『思いやり』認める『ゆとり』をもてるようになると・・

 

自分も相手も互いに『期待』どおりでなくていいし『ご機嫌』をとろうとして『あたま』であれこれ考えなくていいんだ・・と思えるようになって互いに『自由』になれるんだ。

 

「自分は自分、人は人、それぞれ違っているんだから・・考え方や感じ方が違っていても、それでいいんだ」と思えるようになると・・

 

自分が『期待』していることを人に求める気持ちはやわらぎ、自分も人の『期待』にそうために『あたま』であれこれ考えてから『ふるまう』必要がなくなり、自分の気持ちに素直に正直に『こころのままに』生きられるようになるんだ。

 

すると・・

人の顔色』や『ふるまい』や『評価』をある意味『スルー』できるようになり『感情』がそれほど波立たなくなってくるよ。

 

こうして・・

人のことも自分のことも『期待』どおりになれば「ラッキー!!」、『期待』どおりでなくても「まぁ~、そういうこともあるさ・・」と大らかに受けとめることができるようになると『楽(らく)』な気持ちで人と関われるようになり、自然と気があう人が近くに寄ってきて、気があわない人とは距離があくようになってくるはずだよ。

 

『自然体』であれば、お互い自然で楽にいられる人とひきあえるようになるってことなんだ。

 

だけど・・

すぐには『自然体』になれなかったりもするよね。ぼくらも『血』がかよっていて『感情』をもっている人間だから、人の『ありよう』に『イライラ・グルグル・モヤモヤ』した気持がわきあがってしまうのも自然なことではあるよね。

 

そんなときは「あ~、またいつものネガティブな『思考』がめぐり、ネガティブな『感情』がわきあがっているなぁ~」と自分の『思考』と『感情』の悪い『癖』が出てきていることをちゃんと受けとめて感じてあげながら「もう、その『思考』やめよう・・いいこどだけ考えよう!!」という感じで・・

 

『あるがまま・見たまま』の『事実』を受けいれ『ネガティブ』な『意識(思考・感情)』で自分と人をつなげてあれこれ考えてしまう『癖』を手放すようにしよう!!。

 

ある意味、自分を人ごとのように『冷静』に眺める『癖』をつけ、波立つ『感情』をわかってあげながら、しずめることを『修練』していると・・

 

今、目の前にある・・する必要があること、したいこと、自分にできることに『集中』できるようになり、自分のたいせつな『気(エネルギー)』をそこに注ぎこめるようになるよ。

 

こうやって・・

『今、ここ!!』を生きられるようになると、人の『ありよう』や『出来事』に振り回されなくなり『コントロール』から自分を解放してあげることができるようになるよ。

 

すると・・ 

自分の人生の『ハンドル』を自らもって、自分の『ご機嫌』を自分でとってあげて『気分よく』いられるようにできるから・・

 

自分で自分を『しあわせ』にするために自分の『生きる力』を自分の『花』を咲かせることに『精一杯』つかうことができるようになり『夢』や『希望』に向って進み『自立』できるようになるよ。


だれもが、神様から『ありのままの姿』で輝ける『種⇒個性・才能』をもらって生まれてきていて・・

 

『本能』と『直感』を信頼した『神聖なる野生』を『生きる力』として、好きなことや得意なことに励んでいれば、それが神様から授けらた『仕事』になり『自立』して『自分らしく』しあわせに生きていくことができるようになっているんだ。

 

こうして・・

『自分らしさ』を輝かせ『よろこび』をもって生きているだけで、みんなが『お互いさまのおかげさまのありがとう』のつながりのなかで生かされ、めぐりめぐって・・

 

みんなが『笑顔』で『しあわせ』に生きてくために必要なものはなんでもそろい、この世に奉仕することができるんだ。

 

これが自然のルール』のなかで生かされている『本来の姿』であり、自然界の『生き物』たちがそうであるように自分を『しあわせ』にする『責任』を果たすことが『自然に還る』ことになるんだ。

 

だから・・

ほかの人から見たら、変わって見えたり、至らないところがあるように見えたとしても、それも『個性』なんだから・・

 

どんな自分であっても自分のことを「まぁ、いいよ、これも自分なんだから・・」とまるごとの『ありのままの姿』の自分を認めて許し受けいれて、愛してあげられるようになると・・

 

どんな自分も『○(まる)』にして肯定し、たいせつにすることができるようになるから『自己肯定感』と『自尊心』を高くすることができ、人に「こっち、見てよ」「ぼくのこと愛してよ~」なんて・・人の『目』をひこうとしたり、人の『手』をひっぱっろうとすることがなくなり・・

 

空いたその『目』で自分をよく観察して、空いたその『手』で自分を思いきり抱きしめてあげていれば、自分の特異な『個性』や『才能』を磨ぐことが楽しくなってきて『自立の道』に歩いていけるようになるよ。

 

こんなふうになれると、自分とは違う『ふるまい』をする人のことや至らないところがあるように見える人のことも「それもその人らしさなんだよね!!」「人それぞれで人は人、自分は自分なんだから、互いにくらべる必要もないよね!!」と思えるようになり『多種多様』な人の『ありよう』も受けいれやすくなり・・

 

互いを『認め』あい『尊重』しあうことができるようになるため、互いに『自由』になれるんだ。

 

どう?こんないいことってないよね☆。

 

足りないところや至らないところがあるものどうしが、つながり補いあい助けあって支えあうことでみんなが『完全』になれるように神様がしてくださっているんだから、きみはきみのままでよくて・・

 

『不完全』でありながら、実は『完全!!』なんだよ。

 

だから・・ 

自分で自分のことを・・

  • 認めてあげて
  • ほめてあげて
  • 好きになってあげて
  • 「特別だよ!!」とか「たいせつだよ!!」と・・

まるごとの『ありのままの姿』の自分に大きな『〇(まる)』をつけて自分を愛し、自分に自信をもとう!!。

 

そうして・・

自分がやりたいことをさせてあげることができると『自由』と『自立』の世界に踏みだすことができるようになるよ


今までは『気』があわない人たちに気に入られようとして『ご機嫌』をとったり『お世辞』を言ったり『贈り物』をしたり、言いたいことも我慢して、おとなしいふりや弱いふりをして・・

 

自分の『生存(子孫繁栄も含む)』と『防衛』のために『あたま』をフル回転させ、人に認められたり気に入られたりするために自分のたいせつな『気(エネルギー)』つかっていたけど、もうそんな疲れてしまう関わりは必要なくなってくるよ。

 

人の『顔色』や『ふるまい』や『評価』はその人それぞれ自由で、どうすることもできないものなんだから、そんなことを気にして、どんなふうにふるまったらいいかを『あたま』であれこれ考えるなんて『気(エネルギー)』の無駄づかいはやめにして・・

 

きみは、いつでも『こころのまま』に『自由』に『自然体』のきみでいて『今、ここ!!』を生きることに『専念』していればいいんだよ☆。

 

ここでたいせつなことは・・

 

『自由』に生きようとしていながら『こころ』のどこかで・・

  • 「こんなことしていて、だいじょうぶかなぁ?」と『不安』に思ったり
  • 「なんか、悪いことしているかなぁ~」と『罪悪感』や『後ろめたさ』のような気持ちがあると・・

自由』に生きたい自分が「こころのままでいいんだよ!!」と『アクセル』を踏んでいても「いやいや、そんなことしたらダメだよ」『ブレーキ』をかけている自分もいることになり・・

 

一生懸命、頑張っていても『アクセル』と『ブレーキ』の両方を踏んでいるため倍のエネルギー』を使っているのに、少しも前に進むことができず『ヘトヘト』になりながら・・

 

「ほら、やっぱり、うまくいかない・・」「どうせ、自分はダメなんだ」と自分に『×(バツ)』をつけてしまうと『自己肯定感』と『自尊心』は低くなり『むなしさ』や『苦しみ』ばかりがつのって・・

 

「『自由』に生きるなんて、できっこない・・」とあきらめそうになってしまうから、こんなふうにならないためにも一度、立ち止まって・・

 

ちょっだけ『図太い神経』になって「『本当の自分』を『自由』に生きていいんだよ・・だいじょうぶ☆」と毎日、毎日、毎日、根気よく自分に言い聞かせ・・

 

『自由』になることへの『罪悪感』と『おそれ』を手放し『嫌われること』や『傷つくこと』や人を『傷つけてしまうかもしれないこと』への『おそれ』を手放そう!!。

 

ここであきらめてしまったら、ずっと苦しい気持ちは続いてしまうからね・・。

 

あとは・・

自分の本当の『気持ち』や『望み』である『本心』や思っていることや感じていることの『本音』をこころの『扉』を開き、まわりの人に伝えわかってもらえるようにしよう!!。

 

そうしていると『自由』と『自立』の道に導かれていくようになるよ。


  • 日当たりがいいところで、小花をたくさんつけて咲く花
  • 枯れた大地で、大輪の花をつけて咲く花
  • 暑い日陰で、良い香りを放ち神々しく咲く花
  • 寒い高山で、つつましく可憐に咲く花

どの『花』も自分の『種』がもっている『特質=個性・才能を存分に発揮できる場所にいるからこそ、元気に咲くことができるんだ。

 

寒いところで咲く花を暑いところにおろしたら、咲かないばかりでなく枯れてしまうよ。

 

魚だって同じだよ。

海に住む魚が、川に住むことになったら、死んでしまうよね。

 

海に住む魚にとっては、塩分が高い水が最高に気持ちいいけど、そのことを川に住む魚にいくら説明しても、川に住む魚にはまったく理解できないんだ。

 

でも・・
海に住む魚も、川に住む魚も、それぞれの違いに『OK!!』をだし互いの違いに対して「それは、おかしい!!」とか「それは、なおした方がいい!!」なんて考えもせず『ありのままの姿』を『認め』あい『尊重』しあっているよ。

 

それぞれの『特質=個性・才能が違っていれば『住む場所』も『咲き方』も『泳ぎ方』も違うのは当然であり、それぞれの違いに『否定』も『批難』も『差別』もしないでいるから自然界の『生き物』たちは、それぞれの『あり方』や『やり方』を強要したりなんかしないで・・

 

みんなそれぞれの『違い』を『認め』あい『尊重』しあって、それぞれが気持ちよくいられる場所で『自由』に生きることができるんだ。

 

人だって、それぞれもっている『特質=個性・才能が違っていれば『考え方』や『とらえ方』や『感じ方』が違うのは当然であり、気分よくいられる『場所』や『生き方』や『あり方』や『やり方』だって違うのは、自然なことなんだ。

 

「きみは、そんなふうに考えそんなことを感じているんだね・・OK!!。ぼくときみは違うから・・どっちも、OK!!」と互いにそれぞれの違いを認めあう『思いやり』の気持ちをもつことができれば、互いを『尊重』しあうことができるようになるよね。

 

これが『赤いハート』でつながれているということになるよ。

 

ただ、ここで気をつける必要があることは『尊重』と『同意』は違うということだよ。

  • 『尊重』は互いの『違い』を認めること
  • 『同意』は相手の『考え』や『行為』に『賛同』すること

であり『尊重』は、自分と違った『考え』や『行為』に『×(バツ)』をつけることなく、まずは『認める』ことであり同じように考えたりふるまったりすることではないんだよ。

 

互いの『違い』を認めたうえで『本心』や『本音』を伝え、互いが『笑顔』になれるように『わかり合ったり』『話し合ったり』するための『土台』になるものなんだ。

 

だけど・・

ぼくらは、社会の『常識』や『ルール』や『固定観念』や自分の『過去』の体験からこしらえた『ものさし』や『レッテル貼り』に照らし合わせて・・


自分と違った『考え方』や『感じ方』や『ふるまい』に『×(バツ)』をつけては「それは、おかしい・・」とか「それは、普通じゃない・・」とか「それは、間違っている」と言って、人を『否定』したり『批難』したり『差別』したり『攻撃』して、
同じように考えたり感じたりふるまったりすることを強要してしまうことがよくあるよね。

 

人と自分は違うのに、そんなことされた人はどうなってしまうだろう?・・『居場所』がなくなってしまうことになるよね。

 

こんな例として・・

先住民の人たちが守ってきた暮らしに『×(バツ)』をつけて、文明が進んだ生活や習慣を強要したら、彼らがたいせつに守ってきた暮らしや文化は奪われ『居場所」がなくなってしまうよね。

 

でも・・

これと似たようなことが普通の生活のなかでも起きていて・・

 

みんなそれぞれの『考え方』や『感じ方』や『ふるまい』があってもいいのに(もちろん人に迷惑をかけたり、イヤな気分にさせることはしないという『前提』において)『学校』『職場』『家庭』で『自分らしく』いられなくなるようなことを強要されたら、その人は『居場所』がなくなってしまうよね。

 

それに・・

みんなが普通にいられるところが、だれにとってもだいじょうぶな場所とは限らず、それぞれにふさわしい『適材適所』があるんだから、辛いおもいや苦しいおもいをしてまで、自分にあわない場所にとどまる必要なんてないんだよ。

 

自分とあわない場所にしがみついて無理して頑張っても、毎日『ヘトヘト』に疲れてしまうだけで、思うように成果もでず、それでも耐えて頑張っていると、とうとう病気になってしまうよ。

 

だから・・

逃げる』のではなく、自分の『個性』や『才能』を活かせる場所に移ればいいんだ。

 

今までいた場所は、自分の『花』を咲かせるところではなかった・・ということがわっかったことに『感謝』して、そこにいる人たちを責めたり憎んだりする必要なんかないんだよ。

 

『海の魚』が『川の魚』を責めたり憎んだりしないのと同じことだよ。

 

もし・・

自分にあう場所を見つけたいと思う以前に『体調』や『気分』がすぐれず休みたい、とにかく疲れている・・というのであれば『からだ』と『こころ』が元気になるまで『休養』をしっかりとることがとてもたいせつになるよ。

 

今は、自分の『花』を咲かせるためにしっかり大地に根をはるための『休眠期間』なんだと思って・・

 

ここで『生きる力』を蓄えられれば元気になれるんだから、これでいい!!、こうやって休むことも前に進むための『立派な仕事』なんだ。しっかり『休養』しよう!!・・と、自分に言い聞かせて、とにかく『英気』を養うようにしよう!!。

 

とはいえ・・

自分の『プライド』が許さなかったり、人に頼ることは人に迷惑かけるこという『思考』に囚われていると「こんな弱い自分は許せない、情けない」とか「まわりの人に迷惑ばかりかけている・・」と、自分を責めてしまい『自分の弱さ』を認め許すことができず『×(バツ)』をつけてばかりになるため・・

 

苦しみや辛さはもっともっと大きくなり『からだ』は横になっていても『こころ』が休まらないために、すこしも『休養』できず『リラックス』することがとんでもない『難題』になってしまうんだ。

 

なので・・

人はときに『弱く』なってしまうことも『病気』になってしまうこともあるものであり『あたま』でいくら強そうに見せてなんとかしようとしても『からだ』と『こころ』は自然なものでウソをつくことはできず「こんなふうになってしまうこともあるよね・・」とわかってあげて・・

 

こんな弱い自分も認め許し愛してあげることも『自立』するためには必要なことなんだと『考え方』を切り替えて、自分が自分の『味方』になってあげよう!!。

 

最初のうちは、まわりの人に『後ろめたさ』や『申し訳なさ』や『ごめんなさい』という気持ちばかりがわきあがってしまうかもしれないけれど・・

 

人を頼り、助けてもらったり、甘えさせてもらったりして、みんなとつながり支えあうことで自分を立て直すことが今の『課題』であり・・

 

この『課題』をクリアーできれば『魂』はひとまわり大きく『成長』でき、同じように苦しんでいる人の気持ちがよくわかるようになることで、今度はその人たちを支えてあげる側になることができるんだ。

 

「ここで自分は生まれ変わる!!」ぐらいの気持ちになって、今までの『考え方』とはすっかり違う・・自分にも人にも『やさしく』なれる『チャンス』をいただいていることに『感謝』しよう。

 

そうして・・

まわりの人たちに「わるいなぁ~」とか「申し訳ないなぁ~」と感じてしまう『罪悪感』をぬぐい去ることができると、まわりの人たちにも『心苦しい気持ち』をあたえずにすみ・・

 

「ありがとう」「助かっています」という『感謝』の気持ちに切り替えることができると、まわりの人たちも「よかった♡」という気持ちになり、お互いに『愛』で満たされるようになるから、やさしくしてもらえるようになるよ。

 

あとは・・

まわりにいる人たちは当人が一番、苦しんでいてなんとかしようと思っていることをわかってあげて元気になるまでは監視・干渉』はせず、必要な『助け』だけをしながら「だいじょうぶ!!、今は、立ち上がる力を蓄えているんだよね」と寄り添い見守り・・

 

ある意味、すこしだけ放っておいて『自由』にしたいことをさせてゆっくり休ませてあげることができると『リラックス』して休めるようになり『回復』も早くなるよ。

 

『再生』と『自立』の一番の『力づけ』は苦しんでいる気持ち』に寄り添いながら『自立』を信じ『自由』に好きなことをさせて『リラックス』させながら、焦らずゆっくり見守ることにあるよ。

 

でも・・

この先のことに対する『心配』や『不安』を抱き『自立』を信じてあげることができないでいると、当人を『弱く』させ『自立』を妨げてしまうことになるから・・

 

見守る側も「困ったなぁ~、どうしよう・・このままだったら・・」という『ネガティブ』な『意識』を手放し「だいじょうぶ、きっと元気になれる!!」という『ポジティブ』な『意識』に切り替えて、とにかく『自立』を『信じる』ことがとてもたいせつになるよ。

 

そうして・・

『自立』を『信じて』もらえていると『ポジティブ』な『意識』は目には見えなくても伝わり『力づけ』になるため、すこしづつ気持ちも上向きになってくるものなんだ。

 

すると・・

今まで『無理』をさせてきたことや『抑圧』してきたものから、すこしづつ自分を解きほぐすことができるようになり・・

 

楽しくなることや自分が好きなことや得意なことをしたくなり、それに『夢中』になっていると、すこしづつ元気がでてきて・・

 

『生きる力』が『ムクムク』とわきあがり動き出したくなるから、あとは、したいことや進んでいきたい『道』に行けるように、まわりの人に協力してもらえばいいことになるよ。

 

こうして・・

まわりの人とつながり支えてもらうことが自然にできるようになると『お互いさまのおかげさまのありがとう』のつながりのなかで互いに生かされ『自立』できるようになるんだ。


いままでの社会がこしらえた『ルール』や『教え』による『コントロールの世界』で生きていくためには・・

 

自分の『個性』や『才能』を活かす好きなことや得意なことをするためにたくさんの『障害』があり前に進めなかったり、自分が『自由』になることへの『罪悪感』のために、だれかの『犠牲』になってしまうような『被害者意識』があったかもしれないけれど・・

 

これからの『新しい世界』では、それぞれの『個性』や『才能』の違いをみんなが『認め』あい『尊重』しあって、自分らしく輝ける場所で『本当の自分』を生きていけるようになるよ。

 

むしろ『本当の自分』を生きることができなければ、どんどん生きずらくなり心身に不調を感じるようになってしまうから、そんなときは上記にあげたようにしっかり『休養』をとって『自分らしく』イキイキと生きられるようにしてあげれば、それだけでこの世に『奉仕』していることになるよ!!。

 

なぜなら・・

きみが『本当の自分』をとりもどし『自由』に『自立』することができれば光り輝くようになり、その『光』がまわりの人も明るく照らし、彼らも『自由』と『自立』の世界に踏みだしたくなるからだよ☆。

 

『自由』と『自立』の世界では、自分が輝ける場所は、多様にひろがっていくよ。

 

自分のふるさとが輝ける場所になる人もいれば、いろんな国になることだってあって、さまざまな『境(国や宗教や風習や性)』を超えた場所で『自分らしく』生きられるようになっていくよ。

 

それに・・

今までのような『上下の関係』や『男女の関係』はゆるみ、上司も部下も、男性も女性も、おとなもこどもも『対等な関り』のなかで、それぞれの『種』のなかにある『特質=個性・才能を活かした『役割』を果たすようになり・・

  • 積極的・行動的にみんなをひっぱっていくのが得意だけど、ちょっと自己主張が、強いところもある『赤い種』の人
  • 控えめで和をつくるのが得意でサポートするのが好きだけど、白黒はっきりできず、いいたいことを言うのが苦手な『緑の種』の人
  • ユーモアのセンスにあふれ場を和ますのが得意だけど、すこしおっちょこちょいで、ゆる~いところもある『オレンジの種』の人
  • やさしい気遣いで人を励ますのが得意だけど、繊細過ぎて、傷つきやすいころもある『ピンクの種』の人
  • ここぞというときに斬新なアイディアで成功へと導くけど、自由奔放で遊び人的なところもある『黄色い種』の人
  • 地球環境を守りながら平和的にものごとを解決しようとするけど、理想に走り過ぎ『青くさい!!』と言われるところもある『青い種』の人
  • 洞察力がすぐれ先を見通すことが得意だけど、目に見えないものを感じ過ぎて『生きずらさ』も感じている『藍色の種』の人
  • 神秘的な雰囲気を漂わせ芸術的なセンスは抜群だけど、世離れしたところもある『紫の種』の人

など、ひとりひとりは『長所』が『短所』になってしまうような『デコボコ』している『個性』と『才能』をもっているけれど、それぞれの『違い』と『素晴らしさ』を『認め』あい『尊重』しあっていると、それぞれが得意なことに存分に力を発揮することができ・・

 

互いに協力しあい補いあうことで目標が達成できたり成功を手にすることができると、互いにそれぞれの『メンバー』を誇らしく思えるようになり『チーム』に『活気』と『和』が生まれるようになるよ。

 

だから・・

今までのような「女性だから〇〇」「年下だから〇〇」「〇〇なところがあるから×「(バツ)」というような『姿かたち』や『立場』に照らし合わせた『役割』を果たす『制限』や因習のような『偏見』はなくなり・・

 

『多種多様』な『個性』や『才能』を存分に発揮できる『役割』を果たすことでみんなが『笑顔』になれるようになっていくよ。

 

こんな『新しい世界』では、自分は「〇〇したい」とか「〇〇のようにありたい」という『本心』を正直に伝えあい、それぞれの『想い』をたいせつに「やってみたいことはやってみよう!!」「やらない後悔より、やった後悔の方がいい!!」「失敗を恐れるより、挑むことに価値をみる」「体験は、人生の宝☆」ということをもとに得られる『学び』や『気づき』を尊いものとして・・

 

とにかく、やってみる!!」ことで『今』や『未来』に活かすことをたいせつにしているよ。

 

こうして・・

それぞれの『意思』と『熱意』を『尊重』しあうことで互いに伸びていこうとしているから『古い考え』や『古い体制』にしばられた『制限』に固守することなく・・

 

組織のひとつの『コマ』としての『役割』を果たすというより、それぞれが『主体性』と『自主性』をもって『よりいいもの』『新しいもの』を生み出すために、みんなで『チーム』をつくりあげているって感じなんだ。

 

それに・・

「自分でできることは自分でする」「自分がまいた種は自分で刈り取る」という『責任』も、それぞれが果たすことをたいせつにしているよ。

 

もともと『自由』とは『自(みずから)に由(よる)』ということであり、自分ですることを決めたら、その責任も自分でとるということであり・・

 

『責任』を果たす過程で貴重なことをたくさん学ぶことができ『魂』を大きく成長させることができるからだよ。

 

失敗しても、それを挽回する『力』を誰もがもっていることを信じているから、むしろ『失敗』したからこそ得られた『学び』を『強み』にして、新しいことにどんどん『チャレンジ』する柔らかい『あたま』とすぐに動ける『からだ』と『まごころ』で行動しているよ。

 

とはいえ・・

とんでもない『危険』が待っていそうなことは止めることが前提にあるし『責任』をとる段階で自分の手におえなくなってしまったことは、遠慮なく相談をもちかけ助けあう関係も築いているよ。

 

だれもが『不完全』で、みんなが補いあい助けあい支えあうことで『完全』になれることをよく理解していて、助けあって困難をのり越えた先には、助けてもらった方も助けた方も互いに『学ぶ』ことがたくさんあり『成長』できることをわかっているからなんだ。

 

さらに・・ 

みんなそれぞれにとっての居心地のいい『空間』と自由な『時間』を『尊重』しあうために『本心』や『本音』は交わしあうけど『監視・干渉』はしあわないようにしているよ。

 

おかげで、手足を『自由』に動かし自分の力を最大限に発揮できる程よい『距離』と『対等』な関係を保つことができ、変な『気』をつかいあわずにいられるから『あたま』も『こころ』もスッキリしていて『やる気』と『効率』が上がるんだ。

 

また・・

『弱者』といわれる人たちの『尊厳』もみんなで守り『生き甲斐』をもってイキイキと生きられるように『まごころ』でつながりながら、手と手をとりあい支えあっているから・・

 

みんなが『家族』のように『リラックス』して『happy・happy』になれるようにして『自立』しているよ。

 

こんな『自由』と『自立』が『新しい世界』で『自分らしく』生きる『新しい生き方』となっていくよ。

 

『自由』と『自立』の世界に踏みだそう ラッキー

 

さぁ、こんな『自由』と『自立』の世界に踏みだそう!!。