こころの『扉』を開き『ありのままの自分』になって『こころのまま』自由に生きていこう!!。
こころの『扉』を開く・・というと、どんなことを思い浮かべたかな?
- 自分の『本性』を認め『本心』で人と関わる
- 自分を守る『殻』をぶち破る
まず、ぼく、ムートが考える『本性』は、ぼくら『生き物』の『本質』ともいえるものであり・・
『生存』と『子孫繁栄』のために、なんとしても生き残り子孫を残す『使命』を果たすためにそなわっている『本能』と『特質(個性・才能)』からなっていると考えているよ。
『本能』は『からだ』の欲求と『こころ』の要望を満たそうとするものであり、こんな感じだよ。
- 食べ物をおいしく食べ・気持ちよく息をして・気持ちよく眠って・気持ちよく目覚め・気持ちよく排便したい
- 好きな人と触れあい『いい気分』になって安らぎ癒されたい
- 好きな人と結ばれ、一体感を得られるような深い愛を感じたい
こんなことことを欲しているよ。
- 自分の『特質』である『個性』や『才能』を活かし『恋する気持ち』や『情熱』をもって『自分らしく』生きたい
- 好きなことや得意なことを仕事にしてワクワク『精』をだしながら、お金もたくさん稼いで豊かな暮らしをしたい
- 好きな人と一緒にいたい→家族になりたい→子どもをもうけ家庭を築きたい
- まわりにいる人たちと和気あいあい仲良く『笑顔』でつながり楽しく暮らしたい
- 地球にあるすべてのものと共に生き、みんなと『しあわせ』に『笑顔』で暮らしたい
- 『個性』は、ほかの人からみたら変わって見えたり、不思議に見えたり、ひょっとしたら欠点に見えるようなことでも、その人らしさが見えるもの
- 『才能』は、好きなことや得意なことや楽しくできること
『本能』を満たそうとする『エネルギー』はふたつあり、それぞれに『役割』があるんだよ。
- ひとつは『からだ』の欲求の方に忠実な『ヘビ』の『性エネルギー』であり、どんなことがあっても生き延び『子孫』を残そうとする『生き物(動物・獣)』としての『使命』を果たそうとすることに『快感』と『快楽』をあたえてくれる『役割』があり
- もうひとつは『こころ』の要望の方に忠実な『白ヘビ』の『性エネルギー』であり、みんなと共に安らかに『笑顔』で生きようとする『人間』としての『精神』を高め『清く美しく』あろうとすることで神様に近づこうとする『役割』があり・・
このふたつの『性エネルギー』が『バランス』よく『役割』を果たしていると『本能』は気持ちよく満たされ『本性』が発揮されるようになるんだ。
すると・・
『生存』と『子孫繁栄』の『使命』を安全にまっとうするための『直感』もさえるようになり『神聖なる野生』が『生きる力』となるんだ。
そうして・・
自分の『特質』である『個性』や『才能』を活かす・・好きなことや得意なことに『ワクワク』楽しみながら『精』をだしていると、それが神様から『授けられた仕事』になり、自分の『花』を咲かせ『夢』や『希望』をかなえながら『自立』して『しあわせ』に生きていくことができるようになるんだ。
『本心』は、こんな『本性』からわきあがる自分の本当の『気持ち』や『望み』であり・・
自分の『本性』を認め『本心』で人と関わるということは・・
自分の『本性』がどんなものであるかを知り認め、自分の本当の『気持ち』や『望み』である『本心』に素直に正直に人と関わるということになるよ。
けれど・・
ぼくらは、長い間、自然にわきあがる『本能』の欲求を『恥(はじ)』だと考えるような『教え』を植えつけられ『本能』にしたがって生きることに『自己卑下』や『罪悪感』や『おそれ』をいだかさせるような『ルール』にしばられた『コントロールの世界』による愛のなかで生きてきたから・・
自分のなかにある『本性』を認めることができず、見て見ぬふりをしたり無視したりしてしまうんだ。
このように・・
『本性』という言葉を浮かべると、人には見せられないような悪い『イメージ』が植えつけられているから・・
もし『本性』を認めてしまったら・・
- 自分は『獣』のようになってしまうのではないか
- 『社会』からつまはじきにされてしまうのではないか
- 悪いことをしていると自分を責め続けてしまうだろう・・
など『おそれ』の感情がわきあがり『本心』にしたがうことができなくなっているんだ。
けれども・・
人も自然の一部であり、だれもが人間である前に『生き物』であり、いち『動物』としての『獣』の『本能』をもっていて・・
どんなことがあっても生き延び『子孫』を残そうとする『本性』が根底に宿っているから、ぼくらはこうやって『子孫』を絶やすことなく生き残ることができたんだよ。
おなかが空いてどうしようもなくなったら、なんとか『食べ物』を得ようと、普段なら考えられないようなことでもしてしまうだろうし・・
ひとりでは抱えきれないほどの大きな『ストレス』に苦しんでいるときやたいせつな人を失い『こころ』にぽっかり穴があいてしまったようなときには・・
この『行き場』をなくした辛く苦しい気持ちを誰かにわかってもらいたい、そっとなだめてもらいたい、やさしく癒やしてもらいたい、という気持ちがつのり『人の道』に反するようなことをしてまでも、人の『愛』や『温もり』を求めずにはいられなくなったりして・・
『生存の危機』を感じるような事態に見舞われると『ヘビ』の『性エネルギー』によって『理性』ではあらがえきれないほどの『本能』の欲求がわきあがり・・
どんなことをしてでも『食べ物』を得ようとしたり『子孫』を残すために『愛⇒性』を求める気持ちを抑えることができなくなってしまうのは『生き物』としての『性(さが)』であり・・
きれいごとだけでは生きられない人のもつ『弱さ』にもなってしまうんだ。
また・・
社会の『教え』や『ルール』や『常識』やまわりの人の『期待』に応える自分になろうとしている人たちのなかには・・
自分の『個性』や『才能』を社会や親に認められず否定されたり、世間がよしとすることや安定した職業につくための『いい子・いい人』になるように育てられたことにより・・
社会や親に逆らってまで自分の本当の『気持ち』や『望み』である『本心』を『表』にだすことも、好きなことをすることも『身勝手』なことだと思い込んでいるため、自分の『個性』や『才能』の『素晴らしさ』や『強さ』に気づくこともできずにいるんだ。
けれど・・
『こころ』の奥底では『本性』を発揮して『本当の自分』を生きたいと望んでいるものなんだよ。
ただ・・
社会で生きているぼくらは、こんな『本性』を『無意識』のうちに『監視・干渉』しては『抑圧・禁止』しているから、実はたくさんの『ストレス』を抱えながら生きていて・・
この『ストレス』を『タバコ』や『お酒』や『ギャンブル』や『色恋に関わること』や『買い物』や『食』などで紛らわせたり、好きな人や好きな物に『夢中』になることで、日頃の『ストレス』を発散させたりしているよ。
でも・・
これらの『嗜好』や『趣味』を上手に活かすことができれば、人生を甘く彩り豊かにできるんだけど・・
度を超えて『依存』するようになると、健康や精神を不健全にしたり、経済的な危機を招くこともあるから、ほどほどであることがたいせつになるよ。
その一方で、社会の『ルール』や『教え』に『まじめ』にしたがい『理性的』に生きることに一生懸命になっている人もいて・・
この人たちにしてみたら『本性』を素直に出して生きている人や不健全にみえる『嗜好』を楽しんでいる人を見ると『嫌悪』や『反感』を感じてしまい『軽蔑』したりすることもあるんだ。
こうして・・
『本性』を出さないようにしていても『本心』では・・
- 欲しいものがあったら、素直に「これほしい!!」とつぶやいている
- イヤなことがあったら、正直に「イヤです!!」とつぶやいている
- なりたい姿があったら「○○になりたい」とつぶやている
- したいこことがあったら「○○したい!!」とつぶやている
- 辛いことや苦しいことや悲しいことや寂しいことがあったら「もうイヤだ」「ここから救い出して~」「だれか、そばにいて、なぐさめて~・・」とつぶやいているものなんだよ。
そして・・
こんな声はいくらかくしていても『ムクムク』とわきあがってきて『本心』を伝えたくなったとき・・
- イヤな顔をされ拒否されるかもしれない
- わかってもらえないかもしれない
- 心配や迷惑をかけてしまうかもしれない
- 悲しいおもいをさせてしまうかもしれない
- 良好な関係をこわしてしまうかもしれない
本当は、一番近くにいて、一番自分のことをわかってもらいたい家族や恋人に伝えたいのに・・
この人たちに嫌われたら生きるのがキツくなるだろう、この人たちだけには弱い自分を見せたくない、迷惑をかけたくない、甘えたり頼ったりしたくない・・などと思ってしまうため・・
自分の『本心』を誰にも言えなくなるばかりでなく、もっと一番近くにいる『自分自身』にすら『本性』を認め『本心』で関わることができなくなってしまうんだよ。
でも・・
自然にわきあがる『本心』を無視したり抑えこんでばかりいると・・
- 『からだ(命)』と直結している『動物(獣)』の『本性』が否定されるため『食べる・寝る・排泄する』ことがままならなくなったり
- 『こころ(魂)』と直結している『精神』の『本性』が否定されるため、自分を肯定することも信じることもできなくなり、生きること自体が苦しくなったり
- いいたいことも言えず、したいことや好きなことを我慢して『本当の自分』を生きられないでいる『ストレス』によって『怒り』がわきあがり『悪玉菌(腸内)』が暴れだすため『病気』になりやすくなったり
- 『本心』をかくそうとすればするほど、人目ばかりが気になり『自意識』が過剰になって『情緒』も『不安定』になったりして・・
『生き物』としての『生存』が危険な状態になってしまうんだよ。
なのでまずは・・
こんな自分だったから、なんとかここまで生き延びてこれたことに「よく頑張ったね、お疲れ様」と言おう!!。
「でも、これからは自分にも人にもウソをつかなくていいんだよ」とねぎらい抱きしめてあげよう。
『あたま』はウソを強いるけど自然のものである『からだ』と『こころ』はウソをつけないようになっていて『本当の自分』を抑圧したり禁止していると心身に『不調』が現われるようにぼくらはなっているんだよ。
だから・・
もう、自分を『苦しめる』ものから自分を『解放』してあげよう!!。
とはいえ『解放』してあげようとした途端、抑圧してきた反動が大きくなり『タガ』がはずれてしまうと『ヘビ』が『罠』をしかけるようになり・・
『快感』や『快楽』を得るための『そそのかし』をしてきたり、かわいそうな人が現われ、その人のためになろうとしたことで・・
『無意識』のうちに『我欲』に惑わされたり『人の道』からはずれるようなことでもしそうになることもあるから・・
『聖なる剣』で『ヘビ』の『罠』を断ち切り『白ヘビ』に導いてもらいながら『魂』の声でもある『直感』にしたがうようにしよう。
そうして・・
- 言いたいことを言ってもいいんだよ
- したいことをしてもいいんだよ
と言い聞かせ、自分の人生を『自分らしく生きる』ために『勇気』をだして、近くにいる人たちに『本心』を伝えてみよう!!。
もしかしたら『本心』を伝えたことで、驚かれたり、イラつかせたり、ショックをあたえたり、悲しいおもいをさせてしまうこともあるかもしれないけれど・・
『雨降って地固まる』のように、互いに『本心』を語りあうことで『信頼関係』を築けるようになり・・
『自分らしく』生きることを互いに『サポート』しあえるようになっていくはずだよ。
『まごころ』をこめて伝えた言葉ならきっと伝わり、わかりあえるはずだよ・・と『ラオリー』がお話しているよ。
『本心』を伝えたところ『誤解』を招いたり、ただ単に嫌われてしまい、先に進めなくなってしまうこともあるかもしれないから・・
自分の『本当の気持ち』や『望み』をわかってもらえるまで、何度かチャレンジし続けてみよう・・。
それでも、どうしても『本心』をわかってもらえないときは、誰がなんと言おうとも『自分らしく』生きられる『道』に進んでいくことを自分に許し『決心』して『実行』することもたいせつになるよ。
『不安』はあるかもしれないけれど『勇気』をだして、自分が歩いていきたい『道』に一歩、踏みだしてみよう!!。
こころの『扉』を開いて、自分の『本性』を認め『本心』で人と関わるようにしていこう!!。
自分を守る『殻』とは、どんなものなんだろう・・
- 不自然で不条理だと思える『教え』や『ルール』や『常識』であっても、自分の『居場所』を確保するためにしたがおうとすることであったり
- 『保身』のために、人の『期待』にそうようにしたり『ご機嫌』をとろうすることであったり
- 『警戒心』や『不信感』をいだきながらも傷つくことへの『おそれ』や『保身』のために自分の『本当の気持ち』を抑えることであったり
- 要らない『プライド』や人に心配をかけまいとする『やさしさ』により、弱い自分を見せまいと強そうに見せたり、困っていても平気な振りをしたり、人に頼らず自分に無理ばかりさせたりして・・
『弱い自分』を守ろうとしたり見せまいとすることが、自分を守る『殻』となって『本当の自分』を生きようとするときの『障害』になってしまうんだよ。
それで・・
自分を守る『殻』をぶち破ろうとすると・・
- 自分の『生存』と『防衛』が危ぶまれるかもしれない
- 人に嫌われてしまうかもしれない
- 自分や人が傷ついてしまうかもしれない・・
などの『おそれ』の感情がわきあがり、ものすごくこわくなってしまうんだ。
でも・・
自分を守る『殻』を破るためには、これらの『おそれ』を手放し『勇気』をだして、まずは『ありのままの自分』になることがとてもたいせつになるよ。
みんなそれぞれ顔が違うように『考えていること』や『感じていること』や『価値観』や『たいせつにしていることやもの』や『世界観』が違っているのだから、きみが言いたいことやしたいことをすることに『×(バツ)』をつけて否定する人や『反感』をもつ人がいるのは仕方がないことであり・・
きみが言ったことに対しても、聞きたいことだけ聞いて聞きたくないことは受け流されてしまうこともあるし、同じことを言っても受けとり方はさまざまで、わかってくれる人もいれば、うまく伝わらず怒ってしまう人や傷ついてしまう人がいるのも仕方がないことであり・・
自分にとって『○(まる)』なことでも、ほかの人にとっては『×(バツ)』になってしまうこともあり、よかれと思って言ったことやしたことでも、期待はずれの結果になってしまうこともあるものなんだ。
例えば・・
大好きな高級メロンを仲良くなりたい友達に奮発してプレゼントしたとき、その友達はメロンが苦手なこともあるよね。
メロンのニオイがダメだったり、アレルギーがあるかもしれないものね。
でも・・
その友達はきみが一生懸命、自分をよろこばせようとしてくれていることをわかっているから、一瞬、戸惑いながらも「ありがとう、こんな高級なメロン、うれしいよ」などと『本心』とは違うことを言ってしまった場合・・
きみとしては、なんか顔が曇っていたけど「本当はどうたったのかなぁ?」と気になってしまい『モヤモヤ』してしまうよね。
それに・・
友達の方も「全然うれしくないなぁ~、このメロンどうしよう?」と思い、お互い『モヤモヤ』が残り・・
ふたりとも少しも悪くないのに、なんだか『気まずい』感じになり、このあと普通に仲良くできるか考えてしまいそうだよね。
でも、このとき・・
きみの方から「もしかしたらメロン、苦手だった?」とたずねることができて・・
友達の方も「そうなんだ~、実はメロンアレルギーがあって、でも、プレゼントしてくれたその気持ちはとってもうれしいよ♡」と伝えることができたり・・
友達の方から最初にメロンアレルギーがあることを伝えることができれば・・
「そうだったんだ~、じゃ~、このメロンは、ぼくが食べちゃうぞ・・」と笑いあえて『モヤモヤ』は消えるよね。
こんなふうに『本当の気持ち』を伝えたことで、この先、お互いに『本心』や『本音』を伝えあえる『信頼関係』も築けるようになれそうだよね。
生きていれば誰だって知らぬ間に悪気もなく、人を傷つけたり人に傷つけられたりしてしまうのは『お互いさま』なんだよ。
だから・・
自分がしたことで相手が『期待どおり』でなかっとしても(例えば、あいさつしても返事がなかったり)、自分も相手の『期待どおり』になれなかったとしても(例えば、ラインの返信がすぐに返せなかったり)、これも『お互いさま』なんだ。
もともと、みんなの期待に応えることなんかできないし、みんなに『いい顔』して、誰からも嫌われないようにすることなんて、できっこないんだから『ありのままの自分』でいればいいんだ。
そうでなければ『八方美人』や顔なしの『のっぺらぼう』になってしまうよ。
とはいえ・・
相手の反応が、期待どおりでなかったり、反応が薄かったり、ちょっとイヤな感じがしたりすると、寂しい気持ちになったり、怒りがこみあげてきたり、なにか悪いことでもしたかなぁ~・・と悩んだりしてしまうのも仕方がないことだよね。
ぼくらは『こころ』という『感情』をもった生き物なんだから、色んな気持ちがわきあがってくるのは当然なんだ。
なので・・
わきあがってきたどんな気持ちも、まずはしっかり感じて受けとめてあげてから、この先、自分はどうしたいのか『こころ』の声をきいてあげて、その声にしたがうようにすればいいんだよ。
けれど・・
『こころ』の声がわからないこともあるし、または『こころ』の声がきこえても『こころ』の整理がうまくできないこともあるから・・
そんなときは「きっとなんとかなる、だいじょうぶ、今はアレコレ考えるのをやめよう・・」と開き直って・・
今、目の前にあることやしたいことや楽しくなれることに『気』=『エネルギー』を注ぐようにしていると、案外、取り越し苦労だったりして、物事がいい方に向っていったりすることもあるものなんだよ。
それに・・
人の『本当の気持ち』や『本当のこと』はわからないんだから、自分のたいせつな『気』=『エネルギー』をむだづかいしないためにも、あれこれ考えるのをやめにしてしまおう!!。
「だれだって、気分や体調の加減が悪いときや余裕がないときやトラブルが起きてくることだってあるものだし、そんなときはすぐに対応できないこともあるだろうし『笑顔』になれなかったり『やさしく』なれないのは、お互いさま!!」ぐらいの『大らかな気持ち』になって・・
互いの違いを認めあう『ゆとり』や互いの『ありのままの姿』を認めることができるようになると『楽に』なれるよ。
あのね・・
『ありのままの自分』でいても「きみのことを好きだよ」と言う人もいれば「嫌い!!」という人がいるのは自然なことであり・・
「チーズ、大好き!!」と言う人もいれば「チーズなんて、ニオイがするだけで気持ちが悪くなるから大嫌い!!」というのと同じことなんだよ。
それに・・
チーズが嫌いな人にチーズを好きになってもらおうとすること自体、その人の好みを『尊重』していないことになってしまうし・・
最初はチーズが嫌いだった人でも、チーズの本当のおいしさがわかるようになったら「チーズが大好きになった」ということだってあるんだから・・
「きみのこと好きだよ」と言う人たちと仲良くなれれば、それが一番、自然なことだし、互いに気分よくいられるんだから『ありのままの自分』でいればいいんだよ。
とはいえ・・
人にされたら「イヤだなぁ~・・」とおもう『ふるまい』はしないようにして、そのうえで、きみがきみらしくいられるように『個性』や『才能』を磨いていけばいいんだよ。
そうすれば・・
自分が傷つくことや人を傷つけてしまうことや人に嫌われてしまうことへの『おそれ』を手放せるようになり、自分を守る『殻』をぶち破ることができるようになってくるよ。
あとは・・
『ありのままでOK!!』と思えるほど、すこし『図太い神経』になって、ほんのちょっとだけ『お馬鹿さん』や『能天気』になれるといいんだけど・・
繊細な人は「こんなふうになりたい!!」って思っているかもね。
でも・・
これも『修練』で身につくようになるよ。
人に何を言われても、嫌われても、自分だけは自分の『味方』になるという強い『こころ』を自分の『真ん中』に持ち続ける『自分軸』をブラさないで生きると決め・・
『ありのままの自分』を生きることに『おじけづき』そうになるときは、こんな『自分軸』をブラさないためにも・・
自分の『個性』や『才能』の『素晴らしさ』と『強さ』を自分だけは信じてあげる『根拠のない自信』を繰り返し・繰り返し・繰り返しつけてあげながら・・
「嫌われるかもしれないけど、いい子・いい人、卒業!!」と宣言して『あっけらかん』としている『癖』をつけるようにしていると、すこしづつ『ありのままの自分』に『自信』がもてるようになってくるよ。
このときたいせつにしてほしいのは『あたま』で考え過ぎる『癖』を手放して『あたま』を空っぽにする『イメージ』でいると『神経過敏』な自分を克服できるようになっていくと思うんだ・・。
でもね・・
ここでひとつつけ加えておくと、繊細な人が無理して『図太い神経』になる必要はないってことなんだ。
『繊細さ』がきみの『個性』であり、その『繊細さ』がきみの『才能』を輝かせてくれるものだったりするからだよ。
自分を守る『殻』のことがなんとなくわかってきたと思うんだけど・・
さらに理解するために、自分を守る『殻』を『鳥かご』にたとえてお話することにするね。
『鳥かご』のなかにいる鳥たちのなかには・・
『自由』に空を羽ばたくことを夢見ているけれど、それは『見果てぬ夢』だと思い込んでいる鳥がいるよ。
この鳥はヒナのときに羽根にケガを負い、もう傷はとっくになおっているのに、そのときの『こころの傷』が癒されていないために・・
自分は『力』が弱いままで『鳥かご』から抜け出す『力』もなく、飛び方もわからくなっているから「どうせ、ここから抜けだすことなんてできっこない・・」と決めつけているよ。
また・・
『自由』に生きたいけれど、飼い主の望む歌を歌っていれば『自由』はないかわりにエサをもらって安全に生きられると思い込んでいる鳥もいて・・
この鳥は『外の世界』に出ることで危険な目にあうことを『おそれ』ていたり、自分がいなくなることで飼い主さんを悲しませてしまうことが『辛い』と感じていて・・
『鳥かご』から抜け出すことをこわがっているだけでなく『罪悪感』までかかえているよ。
こうして・・
どちらの鳥も『外の世界』で『自由』に羽ばたくことを夢見ていながらも『鳥かご』から抜け出すことができずにいるよ。
けれど・・
飛び方も忘れた自分が外に出られるだろうかと『不安』に思ったり、慣れ親しんだ『鳥かご』のなかで生きることの方が『安全』だし、ずっとお世話をしてくれた飼い主さんを悲しませてしまうのは『辛い』など・・
外に飛び出したい自分と「このままでいいや・・」とあきらめてしまう自分が『葛藤』するようになってきたんだよ。
けれど・・
だんだん息苦しさは増し、このまま『鳥かご』のなかにいたら死んでしまうかもしれないという『崖っぷち』に立たされるようになってきたんだ。
それなのに『鳥かご』から出ようとすると足がすくんで、どうしても自分の『力』を信じることができなかったんだよ。
だけど・・
もう『鳥かご』のなかにいることが、あまりにも苦しくなりすぎて『本当の自分』を殺して生きるぐらいなら、なにが待っているかわからないけれど、とにかく『外の世界』に飛び出すしかない、とおもうようになり・・
『勇気』をふりしぼって『鳥かご』から飛び出してみたんだよ・・。
そしたら・・
ふわぁ~と空に羽ばたくことができたんだよ。
鳥たちは、ここでやっと目が覚め『鳥かご』は、自分がつくりだした『幻想=思い込み・決めつけ』であり・・
「〇〇してはいけない」「〇〇なんてできるはずがない」という『制限』や『限界』は、自分がつくりだしていたこに気づけたんだ。
とはいっても・・
『鳥かご』から抜け出すためには『準備』を整えることがたいせつになり・・
今までずっと『鳥かご』のなかで飼い慣らされてきたんだから『自由』な世界に出てくために『飛び方』や『自然のルール』を思い出し『からだ』も自然に耐えられるような体力をつけることが必要であり・・
鳥たちはさまざまな『葛藤』をかかえながらも、実は、羽ばたくための準備を整えていたんだよ。
- 「失敗したらどうしよう?」「知らない世界はこわいよ~」「このままなら安全でいられる・・」という『恐怖』や『弱気』や『甘え』からわきあがる『おそれ』
- 飼い主さんを歌でよろこばすことができないなんて『許されない』だろうし、飼い主さんを悲しませることが『辛い』と感じてしまう『罪悪感』
- 自分の『個性』や『才能』なんてたいしたものではないし『過去』にした『失敗』や『過ち』がある自分が『しあわせ』になる価値はないと思い込んでいる『自己卑下』
- 『本当の自分』になることで『傷つくこと・傷つけてしまうこと』への『おそれ』を手放すこと
- 要らなくなった『プライド』を捨て、カッコ悪いところも見せられる『はだかの自分』になること
-
自分の『個性』や『才能』を活かす好きなこと・得意なことをすると『決意』して、まわりの人がなんと言おうともブレない『自分軸』をしっかりすえ『こころ』の向く方に迷わず進む『勇気』をもつこと
- 『本当の自分』を生きるために『情(じょう)』に流されない『強い自分』になること
-
窮地にたたされたとき、自分を『あきらめたり』『なげだしたり』『腐らせたり』することがないように、人の善意を信じ、人に相談したり、助けを求めたり、頼ったり、甘えたりすることを自分に許し、素直に『感謝』しながら自分を立て直すようにすること
- どんな自分であっても「生きている それだけで、神様から祝福されている!!」ことを信じきって、自然のふところに還り、身をゆだねる『覚悟』をすること
これらを実行していったんだよ。
そうすれば『人智』を超えた大いなるもの(神様・自然)に導かれ、少しづつ『準備』が整うようになってくるからなんだ。
けれど・・
早く『準備』を整えようと焦るとうまくいかなくなってしまうから、いつでも自分の『からだ』と『こころ』の声に耳をかたむけ、無理をせず『自然の流れ』に身をまかせるようにすることがたいせつになるよ。
なぜなら・・
自分にとってもまわりの人たちにとっても、置かれている『状況』や『環境』にとっても、一番、いいタイミングに『準備』が整うように神様がしてくださるから・・
『自然な生き方』を実践しながら自分のペースで『ゆっくり』と『魂』を成長させることに励み『あたま』と『こころ』と『からだ』を整えていけばいいんだよ。
もともとぼくらには『神聖なる野生』という『生きる力』が宿っているんだから、だいじょうぶ!!。
『自然の流れ』がやってきたら『勇気』をだして自分を守る『殻』をぶち破ろう!!。
こころの『扉』を開くということが、どんなことであるかわかってきたかなぁ~・・。
こころの『扉』を開くと・・
自分の本当の『気持ち』や『要望』である『本心』に素直に正直になれるから『まごころ』で人と愛を交わしあえるようになり・・
人の『ご機嫌』などとる必要もなく自分の人生の『ハンドル』を自分でにぎって自分の『ご機嫌』を自分でとって『気分よく』いられることに『精』をだしていれば、自分を自分で『しあわせ』にすることができるようになるんだよ。
その姿は『自然界』の生き物たちが『ありのままの姿』で美しく輝いて生きているのと同じようになれるってことでもあるよ。
さらに・・
こころの『扉』を開くと・・
きみがきみらしく輝き『しあわせ』に生きていくために必要なものが、どんどんはいってくるようになるよ。
こころの『扉』は『自由』と『自立』のための『光の道』に通じる『入り口』であり『扉』を開いてあげられるのは、きみなんだ!!。
自分がしてみたいことにどんどん挑戦して『本当の自分』に出会っていってね!!。
さぁ~・・
こころの『扉』を開き『ありのままの自分』になって『こころのままに』自由に生きていこう!!。
- リラックス
- もう、だいじょうぶよ・・ものぞいてみてね!!。