「おぎゃ~」と生まれてすぐに『自然の愛』と同じ『無条件・無償の愛』で生きることのすべてをお世話してもらい『食べる・眠る・排泄する』という『基本的欲求』を気持ちよく満たしてもらうと『生きる力』の『基(もと)』ができ・・
『ありのままの姿』を受けいれてもらえると『自立の芽』はすくすくと育ち・・
自らの『生きる力』で自分の『花』を咲かせ、自分らしく『しあわせ』に生きていくことができるようになる。
この『生きる力』の『基(もと)』を根づかせ『ありのままの姿』を受けいれることが『生きる力』を培う愛となる。
こどもの健やかな成長にとっては、この『生きる力』の『土台』ができる『乳幼児期』のお父さんやお母さんによる『無条件・無償の愛』が最も・最も・最もたいせつになる。
どの花も、わけへだてなく無償に、お日様の光、空気、水、土の『自然(神様)』の『恵み』をいただき・・
自分の『種』の『強さ』と『素晴らしさ』を信じ、自分の『種』を精一杯、生きているだけで『生きる力』は培われ・・
自分の『花』を咲かせ『命』を嬉々として美しく輝かせ『実』を結ぶことができる。
人も同じで、この世に『命』を生みだしてくれたれたお父さんとお母さん、または、お父さんやお母さんの代わりになるおとなから、なんの条件もなく愛する『無条件の愛』となんの見返りも求めず愛する『無償の愛』によって・・
『からだ』の『欲求』である『食べる・眠る・排泄する』という『基本的欲求』を気持ちよく満たしてもらい『こころ』の『要望』である『ありのままの姿』を受けいれ、したいことをさせてもらえると『本能』は自然なかたちで満たされ『自我』が自然とつながるため・・
『生きる力』の『基(もと)』が、大地に根づくように自分のなかに根づき『自分らしく』生きながら『自立』することができるようになる。
『オギャー』と生まれた赤ちゃんは、あまりにも弱くて親(人)の手によってたいせつにお世話をしてもらってはじめて生きることができる。
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望むときに望むように『おっぱいをおなかいっぱい飲ませてもらう』ことでこのうえない満ちたりた『しあわせ』を感じ
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眠くなったらこころ安らぐ抱っこや添い寝で『気持ちよくおねんね』して、目覚めたら『やさしく』抱き上げてもらうことで『安心』と『気持ちよさ』を感じ
- 暑かったら涼しく、寒かったら温かくなるよう『お着がえ』させてもらうことで『やさしく触れられる』ことに『気持ちよさ』と『温もり』を感じ
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『やさしい言葉』をいっぱいかけてもらうことで耳に『心地いい響き』を覚え『やさしいまなざし』を向けてもらうことで「あなたのことをいつでも見ているよ」という守られている『安心感』を得て
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『お母さんのにおい』につつまれることでこのうえない『しあわせ』と『安らぎ』と『心地よさ』を感じ『こころ』が『温かく』なることで強い『信頼感』が生まれる
こうして・・
『生き物』として生きる『基(もと)』になる『食べる・眠る・排泄する』という『基本的欲求』を『五感』をとおして気持ちよく満たしてもらった赤ちゃんは、この『いい気持ち』の『いい気分』で『ご機嫌さん』でいられることが『本来の姿』であることを『からだ』と『こころ』で覚えるようになり、生きる『基(もと)』ができる。
この生きる『基(もと)』を根づかせるためには、生まれてすぐから離乳するまでのあいだの『乳児期』に、できれば母親の手によって気持ちよくお世話をしてもらい、1日を『ご機嫌よく』過ごすことができると、生きる『基(もと)』がしっかり赤ちゃんのなかに根づくようになり・・
特に、お母さんからおっぱいをもらえることは『命』と直結しているため・・
おっぱいを飲ませてもらうときに、お母さんに抱っこされ、お母さんの『心音(しんおん)』をききながら、お母さんの『匂い』や『温もり』を感じ、やさしい『まなざし』で見つめられ、ゆったりおっぱいをもらえると赤ちゃんは子宮に守られていたころを思い出し・・
このうえない『安らぎ』と『心地よさ』に満たされ『しあわせ』につつまれるため『こころ』にも『からだ』にも栄養がいきわたるようになる。
母乳であれば申し分ないけど、母乳でなくてもだいじょうぶ!!。
できたら、仕事をしているお母さんたちも『授乳休憩』をもらい、おだやかな気持ちでゆったり授乳できる『環境』が整うと、授乳している間に赤ちゃんと触れあうことができるだけでなく、赤ちゃんの様子を観ることもでき、働きながらも安心して子育てできるようになるため、そんな『子育てにやさしい社会』になることをハッピーは願っています。
ただ・・
お母さんがいない場合や授乳できる環境にいないお母さんや、授乳することに不快や苦痛や辛さを感じるお母さんもいることを認めることもたいせつであり・・
このような場合は、お母さん以外の人でも愛情をもって、赤ちゃんにミルクを飲ませてあげられればよく・・
お世話してくれる人の『ご機嫌』がいいと、赤ちゃんは、この人に愛されているという『安心感』により『情緒』は安定し、赤ちゃんも自然に『ご機嫌』がよくなる。
けれど・・
お世話してくれる人の『ご機嫌』が悪かったり『セカセカ』していると、赤ちゃんは自分のせいでこの人を『イライラ』させている、自分は愛されていない、自分は存在していてはいけないのかもしれないと感じ『情緒』が不安定になり、泣くことがやまなくなったり、熱が出たり、体調が悪くなったりしてしまう。
とはいえ・・
赤ちゃんが泣いても、グズっても、そんな赤ちゃんのすべてをまるごと愛し、つきっきりでお世話をすることはたいへんなことであり、お母さんひとりで赤ちゃんのお世話をしながら『ご機嫌』を保つのはとても難しいことでもある。
なので・・
お父さんがお母さんと赤ちゃんをやさしく守っているような感じでお母さんに協力して、楽しく子育てできると、お母さんも赤ちゃんも共に『安らぎ』に満たされ『しあわせ』な気分でいられるため、赤ちゃんの『からだ』も『こころ』も元気にスクスク育つようになる。
このとき・・
お母さんやお父さんにたくさん触れてもらい・・
『ありのままの姿』を肯定するような『自己肯定感』が高まる言葉や「生きていてくれる、それだけですでに素晴らしい」といった『自尊心』を高くするような言葉をたくさんかけてもらい・・
『スキンシップ』により『温もり』や『やさしさ』を肌で感じることができると・・
赤ちゃんの心身は健やかに育つばかりでなく、お母さんやお父さんも赤ちゃんから『癒し』をいただくことができ、互いに密着して触れあうことで『信頼関係』と『愛と絆』を深めることができる。
また・・
赤ちゃんの『からだ』と『こころ』に宿った『温かい愛』が、生涯、自分を自分で愛し、自分で自分を守る『愛の源』となっていく。
そんなことからも、言葉がわからない赤ちゃんであっても『美しい言葉』や『愛ある言葉』をかけてもらっている赤ちゃんとイヤな気分になる言葉をかけられてしまった赤ちゃんとでは自分に対する『自己価値』が違ってきてしまい・・
さり気ない一言であっても赤ちゃんの『潜在意識』に根づてしまった言葉は、その後の『育ち』や『生きる』ことにおいて影響がおよんでしまうことをこころにとめておくことはとてもたいせつになる。
赤ちゃんはとてもか弱いものではあるけれど、おなかがすいたり、体調が悪くなったりしたとき、ものすごい勢いで泣く姿は、なんとしても生きようとする『命』の『たくましさ』であり・・
そんな健気なこどもの姿に、お母さんやお父さんはこの子のために自分たちも頑張ろうという『励まし』をもらえるため、子育てはお母さんやお父さんにとっても『生きる力』を培ってくれるものとなる。
また・・
この頃の小さな赤ちゃんはもっとも愛らしい姿をしていて『笑顔』は魔法のようにお母さんやお父さんを癒やしてくれ、こんな赤ちゃんのめざましい『成長』を観ることができる日々は・・
『命』を育てることの『よろこび』と『たいへんさ』の両方を実感できる『貴重な時期』であり、
赤ちゃんをとおして『無条件・無償の愛』を学びながら『親』になっていく『自覚』を育て『命』や『生きること』について学べることは『貴重な経験』となり・・
仕事に復帰したあとにもこの経験を大いに社会で活かすことができるようになる。
なので・・
『乳児期』の子育ては、短い期間ではあるけれど、最も・最も・最もたいせつな時期であり、さらに続いていく『幼児期』の健やかな成長につながるばかりでなく、親にとっても『素晴らしい経験』ができるものとなる。
なのに・・
こんな『素晴らしい経験』をみすみす人に渡してしまうのはもったいないことなのであり、この時期は神様からの『贈り物』でもあるため・・
お母さんとお父さんがゆったり子育てを楽しみ、気持ちよく仕事に復帰できる社会になることができれば『いいことづくめ』になるため、こんな『子育てにやさしい社会』になることをハッピーは祈りつつ、きっとこれからはそのような社会になってくると感じます☆。
離乳食を食べられるようになると、手足もある程度、動かせるようになり、人に手助けしてもらいながら『ご飯を食べて、トイレに行って、眠る』という『基本的欲求』をすこしづつ身につけていくことができるようになり・・
『からだ』をもっている自分という存在がいることを自分で自覚できるようになると『自我が芽生え』てくるようになる。
さらに・・
『ハイハイ』できるようになり自分の意思で移動することができるようになると『未知なる冒険』の始まりに『ワクワク』しながら好奇心いっぱいに『興味・関心』のあることを『自分でする!!』といいだし・・
目にするもの触れるものを『からだ』と『こころ』で体験したがるようになる。
このときに、安全にしたいことを存分にさせてもらえると・・
- 自分は『ありのままの自分』のままで、ここに生きていていい!!
- 自分はしたいことをしていてもいい!!
- 自分はたいせつにされ愛されている、人を信じてもだいじょうぶ!!
という『自己肯定感』と『自尊心』と『信頼感』が芽生え『自立の芽』が育っていくようになる。
また・・
近くにいる人のことをよく観察していて『真似る』ことも増え『真似る』ことで生きることを『学び』身につけていくようになるため、おとなたちは『こども』のよい手本になるように努めることもたいせつになる。
というわけで・・
新しいなにかをするときは、まずは、手本を見せて➡手本を真似させ(学ばせ)ながら一緒にやってみて➡一緒にできたら、今度は一人でチャレンジさせてみる。
こうして・・
自分でやってみる『経験』をさせてもらい、自分でできたことを誰かと共に『よろこび』『ほめて』もらえると『達成感』と『成功体験』を味わうことができ、ここで得た『満足感』によって、生きていくために必要なことを自分のものにしていくことに『よろこび』を感じるようになり『自立の芽』は育っていくようになる。
また・・
『発達段階』にあったお手伝いを「○○をお手伝いしてくれる?」とたずねると「ウンウン」と気持ちよくお手伝いするようになり、お手伝いできたことに「上手にできたね!!」「ありがとう、助かったよ」と伝えると『よろこびの笑顔』になり・・
小さな『成功体験』を積み重ねていくことで「自分は人の役にたつことができる!!」「自分は素晴らしい!!」という自分の『存在価値』を『自己承認』できるようになることで『自己肯定感』と『自尊心』を高くすることができるようになる。
そうしていると、自ら積極的にお手伝いもするようになり、安全にできることであれば見守りながらたくさんお手伝いをしてもらえると『自主性(自ら進んでする)』も育つようになり、さらには、お手伝いをとおして得意なことや楽しくできることに『気づく』ことができ、自ら自分の『特質(個性・才能)』を知ることもできるようになる。
ときには・・
自分でなんでもしたいのに思いどおりにならなかったり、自分がしたいことを止められたり、お友達のものをほしいのに言葉にできないまま手がでてしまったりして、かんしゃくを起こしたり、ダダをこねたり、大泣きしたり、スネたり、するようにもなる。
でも、そんなときは・・
自分の思いどおりにならないことや自分の気持ちを言葉にできない『もどかしさ』や自分の気持ち(感情)を『コントロールできなこと』にイラだっていることをわかってあげて・・
どんな気持ちになっていたのかを代弁してもらったり『もどかしい』気持ちをなだめてもらえたりすると、自分のことをわかってもらえたことに『ホッと』して、気持ちはしずまり『す~っ』と気分がおだやかになる。
それでも・・
どうしても、ぐしゃぐしゃした気持ちがおさまらないときは、ひとり静かになれるところでしばらく放っておいてあげると『クールダウン』できて、自分で自分の気持ち(感情)をおさめることができるようになる。
おとなでも『感情』が波立ちぐしゃぐしゃした気持ちになっているときは『励まし』や『なぐさめ』より、そおっと静かにしておいてもらうことで、自分で自分の気持ちを整理しておさめようとするのと同じで『見守る』ことがたいせつになる。
こうして・・
自分でできることをひとつづつ増やし、できたことに『よろこび』と『自信』がもてるようになると、自分の身のまわりのことをすることがどんどん楽しくなり『自立の芽』はぐんぐん育つようになる。
さらに・・
言葉を少しづつ覚え少しづつおしゃべりができるようになってくると、誰かに自分の『気持ち』や『言いたいこと』を伝えたくなってくる。
このとき「ウンウン」と目を見て聞いてもらえたり、自分の『言いたいこと』をわかってもらえると『うれしく』なり、言葉を話す『よろこび』とともに少しづつ言葉が上手になっていく。
こうして・・
自分の話しにやさしく『あいづち』してもらい、最後まで話しを聞いてもらえると・・
- 自分の素直な気持ちを人に伝えてもいい!!
- 自分の話しを人にきいてもらうのはいい気分だ!!
と思えるようになり、自分のことを人に伝えることの『心地よさ』を感じることで、自分の話しをすることも人の話しを聞くことも自然に身につき『コミュニケーション能力』が育つようになる。
そして、この頃になると・・
自分の本当の『気持ち』や『望み』である『自我』をどれだけ受けとめてもらえるかを試すようにもなり、わからないことを言ってダダをこねたり、悪さをするようになったり、なんでも『イヤイヤ』と言いだすようにもなる。
けれど・・
これも『自我』をしっかり根づかせるためのたいせつな時期なのだと受けとめ、こどもの『気持ち』や『望み』をわかってあげられるように努めながらも、全部が全部『要求』を聞き入れる必要もなく・・
「今は○○するときだから□□することはおしまいにしよう」「△△は◇◇になってしまうから、してはいけないんだよ」という感じで、こどもの目線と同じ高さまでおとなの目線をもっていき・・
こどもにわかるように理由を伝え「こいうときは○○するんだよ」というふうに『正しいあり方』を落ち着いて伝えることで、安全に気分よく生きていける『術(すべ)』を学んでいくことができる。
あとは、程よく少しだけ放っておいてあげられるぐらいの『ゆとり』をもち『見守る』ことができると・・
こどもは、自分のことをわかろうとしてくれるお母さんやお父さん、または、おとなが近くにいてくれることに『安らぎ』を覚えながら、自分がしたいことにどんどん『チャレンジ』していくようになり、自分の本当の『気持ち』や『望み』も素直に伝えられるようになる。
そうして・・
自分の『本心』や『本音』をちゃんと親やまわりのおとなに話すことができるようになることで『生きる力』は培われていくようになる。
とはいえ・・
あまりにも、わからないことを言われたり、悪さをされると、ついつい、こどもを叱ってしまうこともあるのは自然なことであり・・
親も『感情』をもったひとりの人間であることを自分で認め許し、ときには『カァ~』となってしまうことも大目にみてあげられるようになると『自然な感情』はたいせつにしていいんだよ・・ということを伝えることができ・・
自然にわきあがる『感情』をおさえ遠慮しあう親子関係になるよりも、素直な『感情』をぶつけあえる『風通しのいい親子関係』になることで『本心』や『本音』をぶつけ、けんかをしても、あとでフォローして『仲直り』できるようにしていると『信頼』しあえる親子関係を築けるようになる。
とはいえ・・
『感情』をコントロールすることができず『怒り』が過剰になり過ぎ、こどもを『虐待』したり『育児放棄』するような親の場合は・・
自分が幼いころ『ありのままの姿』の自分を受けとめてもらえず、本当の『気持ち』や『望み』を伝えることもできず『こころ』が傷ついたままおとなになっていることもあり・・
自分の目の前にいるこどもが、すこしも自分のおもいどおりにならないと、自分のなかにいる『内なる傷ついた子ども』の姿をそのまま目の前にいるこどもに映し出し(投影)てしまうため、自分のこどものころの辛い『記憶』が『無意識』のうちによみがえり・・
そのときの『怒り』や『悲しみ』がこみあげ『感情』が抑えきれず、目の前にいるこどもに、その『怒り』や『悲しみ』を『無意識』のうちにぶつけてしまうため『虐待』や『育児放棄』になってしまう。
なので・・
このような親の場合は親の『内なる傷ついた子ども』が癒やされるような『親の育てなおし』の支援が必要であり、まわりにいる人たちの『サポート』を受けながら『親の育てなおし』ができるようになれば、このような『負の連鎖』を克服できると考えられる。
上記のような『イヤイヤ期』の『反抗期』がやってくるとますます動きも激しくなり、障害物や危険が目の前に出てくる機会が増えてくる。
こんなとき・・
安全を確保しながら、こどもにみあった『体験』をさせてあげられると、自分にとって何が危険であり、どうすれば障害物や危険から自分の身を守ることができるかを『学ぶ』ことができるようになる。
そこで味わった『痛み』によって、障害物や危険を見分けることができたり、自分を守ることができるようになる。
また・・
どうしても、自分ひとりではできないことやうまくいかないことを、人に手助けしてもらうことで乗り越える経験ができると・・
「どうにもならないときには、自分一人きりで頑張らず、人に助けを求めることで乗り越えることができる!!」ことに『気づき』を得て、人とつながり助けあい支えあうことで得られた『成功体験』により『感謝』と『よろこび』を感じられると・・
「困っている時はお互いさま」ということが実感できるようになり・・
困難を乗り越えるために人に助けを求めることは、人に迷惑をかけることでも甘えることでもなく互いに助あい支えあうことで『信頼』や『絆』を深められることを身をもって知ることになる。
こうして・・
『困ったときには人に助けを求める』ことも『困っている人を助ける』ことも素直な気持ちのまま自然にできるようになり・・
人は、だれもひとりで、生きていくことはできず、みんな、人とつながり補いあい助けあい支えあいながら生きることが『自立』であり・・
人の愛を『信頼』することが『自立』には欠かせないことを実感としてわかるようになっていく。
ここで得た『気づき』や『学び』や『知恵』や『自信』や『信頼』が、へこたれない『強さ』や『勇気』や『賢さ』になり『生きる力』は培われていくようになる。
なので・・
こどもが、危険や困難に出くわしたとき・・
こどもをじっくり見守りながら、必要な時に必要な助けや励ましをあたえ、こどもの『種』がもっている『特質(個性・才能)』の『素晴らしさ』と『強さ』を信じることが『生きる力』を培うことになり・・
そのなかで、こどもは自ら考え行動する『主体性(自ら考え行動する)』を身につけながら『自立の芽』をスクスク伸ばしていくようになる。
ところが・・
こどものことを信じることができず、傷つくことや失敗することを恐れ、親が先回りして障害物や危険や困難を取り除いたり、過分に助けてしまうと・・
この過程で得られるはずの『気づき』や『学び』は奪われ・・
こどもを守ろうとしている『監視』や『過保護』や『過干渉』が『自立の芽』を摘んでしまうことになる。
なので・・
じっと見守りながら『必要なサポート』をすることができると『生きる力』は培われるようになり『自立の芽』は育っていくようになる。
『生きる力』を培う愛は『生きる力』の『基(もと)』を根づかせ『ありのままの姿』を受けいれることにあり・・
『無条件・無償の愛』と『信じて、見守り、支える愛』が『生きる力』を培うことになる。
こうして・・
こどもの『意思』や『自由』を『尊重』されて育ったこどもは、自分がたいせつに愛されたように自分のことを自分でたいせつに愛することができるようになり・・
成長していくなかで、自分がたいせつに愛されたように人のこともたいせつに愛することができるおとなへと成長し、まわりにいる人たちを互いにたいせつにしあえる社会にしていくことができるとハッピーは感じます。
なので・・
お父さんとお母さんが仲良く『笑顔』で子育てを楽しむことができれば『良好な親子関係』は次の世代に引き継がれ・・
まわりにいる人たちを互いにたいせつにしあえる社会にしていくことができ『いいことづくめ』になります。
きっと・・
これからは、もっと自然に夫婦で仲良く子育てを楽しむ社会になっていくと感じます♡。
右の木は『種』のなかにある『特質(個性・才能)』の『素晴らしさ』と『強さ』を認め『生きる力』信じているため・・
『無条件・無償の愛』で必要な栄養をもらっているだけで、大地にしっかり『根』がはり、太い『幹』がまっすぐ伸び、素晴らしい『花』を咲かせおいしい『実』をつけています。
左の木は『種』のなかにある『特質(個性・才能)』の『素晴らしさ』と『強さ』を認められず『生きる力』を信じることができないため・・
『弱々しい根』がちょっとだけしかはらず、クネクネの幹に葉をやっとつけているだけで、枯れそうになっています。
どうして、右の木と左の木には、こんな違いがでてきてしまうのでしょう・・。
『生きる力』を培うのは『信じること』に続きます。
『感性花育』ものぞいてみてね!!。