5月24日に妹と戸隠神社に行ってきました。
前から従妹に・・戸隠神社はすごくいい気がもらえるよ・・とすすめられていて、今年は絶対に行ってみたいと思いたち・・甲府駅を6:07に出発して長野駅に9:08に着き、そこからアルピコ交通のバスにのって『戸隠奥社入口』に11時少し前に到着しました。
ここから新緑を浴びながら戸隠神社の奥社をめざします。
戸隠神社戸隠森林植物園の水芭蕉です。
奥社へ通じる道を左わきに入ると『森林植物園』があり、奥に進んでいくと水芭蕉が見えてきました。
思っていたよりずっと大きくてビックリ!!
今年は、温かかったせいか例年よりずっと早く見ごろを迎えたようで、ところどころにポツン・ポツンと咲いている姿が見えました。
奥社の大鳥居です。
手前の『下馬』とは、ここから先は馬からおりて進みなさいという意味だそうです。
ここを過ぎしばらくすると『随神門』が見えてきました。
ここからは聖域という感じで清浄なる気を感じます。
なぜか『整う!!』という感じがして、日ごろ感じているからだの痛みや不調がすっかりとれ、体の軸がまっすぐになり、まさに天然の整体という感じでした💗。
立派な杉並木が続きます。
杉の後ろには新緑が広がりとっても癒されます。
空気がとても美味しいので、からだもこころも軽やかになり最高の気分💖です。
大地に力強くはる根からは、大きなパワーをいただきました。
清涼な空気は・・
毒素を浄化し『気』を整え『からだ』と『こころ』の軸をまっすぐに据え『自分らしく生きる力=自分の軸』を強めてくれます。
たくましい根は・・
『神と共に生きるグラウンディング』にパワーを注ぎ『地に足をつけて生きる力=自立』を促してくれます。
この大いなる自然のすべての生き物を愛している『無条件・無償の愛』に抱かれていると、日常のちっぽけなことも忘れられ、ありのままの自分を肯定でき、どんな自分でも愛してあげられそうな気分になりました。
まさに『本来の姿』にもどれる感じ!!
わぁ~~~これが戸隠神社のパワーなのか!!。
地球・自然・神に生かされているこの命を元気にして、生きる力を強めてくれる・・そんなふうに感じたわたしにとっては、戸隠神社は『神聖なる野生』を目覚めさせてくれるパワースポットです🌟。
杉並木を歩いていると、このような自然が創りだす造形美にも出くわします。
人はこのような完璧なる『美』を見ると、あこがれをいだき、少しでも近づきたいと美を表現する芸の道を歩みますが、美を探求し芸を極めようとすればするほど、もしかしたら『ナチュラル』に『シンプル』になっていくものなのかもしれないと感じました。
飯縄大明神(いいづなだいみょうじん)は、飯縄山(いいづなやま)の霊山における山岳信仰・神仏習合の神で超人的な力神を持つと言われているそうです。
飯縄山は、忍術の修験道場でもあり、上杉謙信・武田信玄をはじめ戦国武将が信仰した戦勝の神で戸隠山の九頭龍様に対して、こちらは天狗様だそうです。
とても小さな社ですが、思わず吸い寄せられてしまいました。
甘ったれの弱い自分を自覚しつつそんな自分も愛してあげたい・・いえ、愛しましょうとも💗と思いながら、強くやさしいこころ(真実の愛)を持ちたいと、いつも願っているわたしのスピリットが、超人的な力を持つ飯縄大明神の力を感じて引き寄せられたのかもしれません。
あ~~、あやかりた~~い!!
こちらは、八水神です。
滝つぼには水晶玉が見え、水しぶきにはうっすら虹もかかっていました。
小さな滝ですが、この水しぶきと水の音で浄化パワーを高めてくれます。
戸隠神社・奥社に着きました。
これは、鉛筆でこすると絵柄が浮かび上がる拓本です。
このような拓本が戸隠神社周辺にはいくつもあるそうです。
ここが、奥社です。
この日は霧がかすみ・・ご神体なる戸隠山にも霧が・・・幻想的でした。
奥社の御祭神は、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、天照大御神が、弟の須佐之男命の粗暴さを嘆き、天の岩屋に隠れてしまい世の中が暗くなった時、無二の神力をもって岩戸をひらいた神様だそうです。
そして、この天の岩屋が遠くに飛ばされ降り立ったところが戸隠山だという伝承があるようです。
わたしは、天照大御神様が大好きです。
須佐之男命に挑もうとする勇敢さとあまねく世界を照らす光にものすごくあこがれるからです。
なので、奥社に来られてよかったです。
奥社のおみくじは、宮司さんに生まれた年の数字(早見表があります)を伝えると祝詞をあげてくださり、おみくじをいただけます。
おみくじは『吉』でした。
健康、神様から授けられた仕事に精一杯、楽しみながら励むこと、良縁成就、空気がきれいなところに居を移すことと『この世の平安』を祈願しました。
おみくじには、今のわたしに力をあたえてくれるメッセージがちりばめられていて、最後の方に「何事も思い立つ事、とげずということなし。ことに住所を定むるにとりわけよろしかるべし」とありました。
♪ワ~イ・ヤッタ~~~!!♬。
ここは、九頭龍社です。
九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)を御祭神とし五社の中で最古とされ、もともと地元の農耕の神が祀られていたそうです。心願成就の御神徳が高く、水の神や雨乞いの神、虫歯の神、縁結びの神様とされています。
良縁成就と歯が丈夫であるように祈願しました。
なんと、八重さくらが咲いていました。
ピンクの薄い花びらとさくらの葉っぱの侘びた色めが妙なる感じで、天照大御神様に「ようこそ!!」と歓迎されているように勝手に思い込みいい気分になりました(ウフフ♪)。
奥社をでて、すぐの道を右わきに入り鏡湖をめざします。
どうやら、この遊歩道は森林植物園とひとつづきになっているようで、こんな草木を楽しみながら新緑を浴びて歩くのは極上な気分になります。
いい気分のまま歩いていると・・
やさしいお顔の女性とお顔はよく見えませんでしたが、男性の像に出会いました。
あれこれ検索していると・・向かい合う一対の男女の石像は、戸隠に伝わる「鬼女紅葉伝説」の鬼女紅葉と紅葉を矢で討った平維茂(たいらのこれもち)ではないかと思われます。
やさしいお顔からは、鬼女を連想することはできませんでしたが・・この紅葉という女性は、神様からいただいた麗しい姿や特別な才能を人々のために活かしていましたが、恋する気持ちが魔となり我欲に囚われたことにより鬼のようになってしまい、最後は矢で撃たれるという悲劇で生涯をとじたようです。
美しいものや秀でたものに魔がさしやすいのは、神様のいたずらなのでしょうか・・
神様から授けられた素晴らしいもの(誰もがもっている個性や才能)を楽しみながら世のため人のために役立てること=神様から『授けられた仕事』に励むことが、誰にとっても天命であるのに、ある種の欲に囚われてしまうと魔に侵され、鬼のように恐ろしいものになってしまうことを物語っているのかもしれません。
わたしにとっては、いつでも謙虚なこころと中庸なこころと感謝のこころをもつことを忘れないで、神様から『授けられた仕事』によろこびをもち楽しく励んでいれば、あるがままにあるだけで、楽しくしあわせでいることができることを知らせてくれているように感じました。
たくさんの小さな鳥居があらわれてきました。
なんだろう?と進んでいくと、天命稲荷神社がありました。
ここは、戸隠修験道を受け継ぐ公明院の姫野公明という尼僧が、お告げを受け建てたものだそうです。
ここだけ、別の世界に迷い込んだ感じでファンタジーな気分になりました。
ようやく明るく開けたところに出てきました。
ここが鏡湖です。
実は、奥社から鏡湖までの歩道には、クマが出没しやすいということで、妹とふたり、口で「♬リン・リン・リン♪・・」と言いながら大きな声でおしゃべりしながら歩いてきました。
なので、ここまで来て内心ほっとしたところです。
鏡湖というだけあって、後ろにそびえる左から西岳・本院岳・八方睨・戸隠山・九頭龍山が湖水にうっすら映っています。
広々とした開放感がありとても気持ちがよかったです。
ぱ~ぁ~っとハートが開く感じがして、思わず大きな深呼吸をしてしまいました。
ここもパワースポットだそうです。
湖水のさざ波がキラキラ光って美し~~い💛。
こんなところで、1日ぼぉ~っとしていたいなぁ~とこころから思ってしまいました。
わたしにとっての一番の健康法は、自然に抱かれることだとつくづく思いました。
ここからは、車道を歩いて中社をめざします。
中社では、お参りしたあと戸隠そばも食べたいので、速足で歩きます。
ときおり出会う草花にしばし足をとめ、癒されながら道を急ぎます。
中社に到着しました。
ご祭神は、天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)です。
天照大神が天岩戸にお隠れになってしまったときに、八百万の神様に“天岩戸を開くための”知恵を授けたことから「知恵の神様」「学問・受験の神様」とされているそうです。
2時半のバスに乗るためには、残り時間あと40分!!。
お参りのあと戸隠そばを食べる計画をこなすために、みんなの健康を祈願しサラッとお参りをすませました。
中三本杉社からパワーをいただいているのがわたしです。
大きな木を見ると、必ずと言っていいほどハグして、太古の昔から続いている命のパワーと秘められた自然の叡智をいただきます✨。
中社の鳥居です。
ここの前からバスが出ます。
あと30分でお目当ての『うずら家』さんのお蕎麦をいただきたいところですが、この時、すでにお店の前に1グループ(2人の女性)が並んでいました。
と・・ちょうど、店主が出ていらして「30分でお蕎麦、大丈夫でしょうか?」とたずねると・・しばし考え、何とかいけそうな感じもありながら「ちょっと厳しいかなぁ~・・・ほかのお店もあるから行ってみるといいですよ」と言われ、鳥居のすぐ隣のお店に行くことにしました。
宿坊 極意のざるそばです。
お店の人に事情を話すとこころよく『大丈夫ですよ!!』と席に通してくださり、すぐにそばかりんとうをだしていただきました。ほうじ茶と共に美味しくいただいていると、すぐに戸隠そばのぼっち盛りがでてきました。
こちらは、500年の伝統をもつ宿坊が営んでいるお店とあって、ざるそばにも精進料理のような小鉢がついていました。
湯葉のようなお豆腐もとても美味しく、山菜のようなものをマヨネーズで合えた小鉢もめずらしかったです。
細いお蕎麦は、かつおだしがきいたおつゆとあいまって美味しかったです!!。
おそばを平らげたころにそば湯もでてきて、戸隠そばをゆったり満喫しても余裕でバスに間に合うことができました。ありがとうございました。
長野駅から甲府駅まで直通の電車が来るまでに時間があったので、夕食を買うために駅ビルのなかをウロウロしました。
長野といえば、野沢菜・・野沢菜といえば・・おやきという感じで、おやきのお店が3軒ほどありました。どれも美味しそうでしたが、縄文おやきが一番、素朴な感じがしたので色んな種類のおやきを購入しました。
おやきについているマークで具材がわかるようになっています。右の写真の一番上から・・野沢菜・切干し大根・りんご・きのこ・かぼちゃ。
電車のなかで、あずきとなすは食べてしまいましたが、どれも素朴な美味しさでした。でも、やっぱり定番の野沢菜とあずきが一番で次に美味しかったのは、りんごでアップルパイみたいでした。
こうして、戸隠神社の旅を終えてみると・・
少し前までは、とにかく空気がきれいなところに一刻も早く移り住みたい・・とばかり思っていました。そのくらい化学物質過敏症(特にタバコ)と体臭(ストレス臭)に悩まされ、居場所がないと常に感じていました。
が・・ここに来て少し意識が変わりつつあります。
タバコは、タバコを吸わない人の方が受動喫煙の影響であらゆる病気になってしまうことも大きな問題であり、特に、幼い子どもやお年寄りなどには、危険なものだと感じています。
これは、わたし自身が身をもって感じていることであり、身体だけでなく精神的にも『うつ』のような症状が現れ、ひどく辛い思いをしてきているからこそ強く感じていることです。
人が住んでいるところでは自然ではないニオイであふれています。そんなニオイに『からだ』の粘膜は鼻腔をはじめとして、息を吸って空気がとおるところは、以前よりずっと敏感になりヒリヒリし、からだのあちこちに痛みと不快を感じますが・・意識はクリアーになってきていることで何とか救われています。
意識が混濁しなくなってきているおかげで、魔(自分の影=モンスター)に侵されず『からだ』は不快でも『こころ』はニュートラルに近くなってきていると感じるからです。
ここでいう『魔』とは、受けいれたくてもなかなか受けいれがたい『自分の影』のことです。
なので、意識をもっと『本来の姿』にもどし、瞑想(無になるようにする・楽しいことをする・何かに没頭する・腹式呼吸する)しながら『からだ』を整えてあげることで、化学物質過敏症と体臭によるニオイによる触りをなんとかクリアーできるような気がしてきました。
まさに・・ニオイは意識(気)と通じるますから・・
意識を『本来の姿』にもどすためには、自然とつながり『自分らしく生きる力』を育てることがたいせつになってくると思っています。
大いなる自然が、すべての生き物を『無条件・無償の愛』で抱くように、自分自身を『無条件・無償の愛』で愛し、自分を肯定し、自分をたいせつにすることができれば、自己肯定感と自尊心が高まり、ずっと生きやすくなることは、前からわかっていました。
けれども、ここにきて、腑におちた気がします。
ニオイによる辛さをわからない人は『受けいれるしかないよね・・』とアッサリ言います。はたまた『そんなのただのわがままなんじゃないの?』と思われる人もいるかもしれません。
けれども、どんなことでも実体験がないと当事者の本当の気持ちはわからないものです。
どんなことでも、本当の辛さは当人しかわからず、受け入れたくても、どうやって受け入れたらいいのかわからない人もたくさんいるということをわかってもらえたら、救われる人もいると思います。
化学物質過敏症やタバコの受動喫煙に対する治療や対策は、今のところないようです。それにもかかわらず、苦しんでいる人は増えてきているようです。
これも地球が『本来の姿』にもどる=自然に帰る(自然回帰)ための変化による現象のひとつだと感じています。
ただ、タバコでストレスをしずめようとする人の気持ちや一服のタバコでリラックス気分を味わいたい人の気持ちも体臭が気になりニオイで人に不快感をあたえたくない人が香料でカバーしようとする気持ちもすごくよくわかります。
そのうえで『もう我慢も限界だ😣』とずっと思ってきたわたしだからこそ、同じような症状で苦しんでいる人たちの気持ちに寄り添いながら、できることがあるのかもしれません。
多様な人たちと共に生きていくためには、ハートを開いてお互いの『本心』を見せあい、譲りあったり・補いあったりしてつながっていくことが理想となりますが・・お互いの言い分をわかりあうことができなければそれは難しいことなのかもしれません。
けれども、これからの地球はみんなが笑顔になるために、多様なものに『思いやり』をもち、わかりあおうとしたり・たいせつにしようとする意識をもつことで『寛容で・・愛のある世界』にしていくことが『人類の進化』となっていくのだと思います。
戸隠神社のパワーは、地球・自然・神に生かされているこの『命』を元気にしてくれました。
と同時に『命』を生かしていただいている地球をもっとみんなでたいせつにして、みんなが笑顔で生きていくために、どうあったらいいのかを多くの人たち(こどもも含めて)と関わりながら、共に感じ・考え・行動していきたいと、あらためて思わせてくれた旅になりました。